第74話 養子入り

 ……あれ。

 痛みが全然ない。

 それどころか、斬られた衝撃も、血を失うあの嫌な感じも、一切が感じ取れない。

 それとももう死んでしまったのだろうか。


 薄っすらと目を開けると、不思議な光景が広がっていた。

 ミナトさんは未だに冷徹な瞳でこちらを見つめているのだが、確かにわかるのは私が死んでいないということだ。


「あ、れ……? えっと……」


 そのまま彼は剣を鞘へと納め、アルベルトさんを肩で担ぐ。


「浄玻璃とは噓偽りないという意味だ。先ほどのスキルは偽りを喋った者のみを斬り裂く」

「――ってことは、私のことを試していたんですか?」

「君のことはしばらく泳がせておく。俺はたしかに魔族だからとか魔王だからという理由で君と敵対したいわけじゃない。だがその一方で君を手放しに信用できるわけでもないことは理解してほしい」


 そう述べてミナトさんは行ってしまうのだった。


 えっと、つまり……。

 助かった……ってことか……。


 緊張の糸が溶けて、思わずへたり込んでしまう。


「そっか。よかったぁぁぁ」


 思わずその言葉が漏れてしまった。

 これから解決しなければならないことはたくさんあるけど、まずは命が助からないと何もできない。


「ニアさん、たぶん大変ですけど、一緒に頑張りましょう」


 私もニアさんのことを担ぎながら、遺跡の外へと歩んでいくのだった。


  *


 それから二日が経ち――。


 さてどうしたものか。

 現状ニアさんは数多くの懸案事項を抱えている。

 一つ目に、彼女は魔族内通の罪で死刑罪が言い渡されている。

 二つ目に、騎士団長であるアルベルトさんと戦闘を行い、主に私が彼に重傷を負わせている。

 これには暗殺未遂が適用されることになる。

 三つ目に、前回ハロルアさんが移送していった魔族たちだが、結局私が取り返してこちらで保護しており、彼らも行き場を失っている。


「それで僕らのところに来たと?」


 もはや八方塞がりの状態であったため、私たちはサイオンさんとメイリスさんを頼ることにした。

 サイオンさんとニアさんは依然として仲が良いわけではないが、以前レベルカさんの件での恩義を忘れてはいないはずだ。

 恩着せがましくするわけにはいかないが、ここは何とか頼らせて欲しい。


「そうなんです。サイオンさんやメイリスさんなら何か妙案が思い浮かぶんではないかと思いまして」

「なんでもっと早く相談しなかったのよ」「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ」


 二人から同時に同じ内容を指摘されてしまう。


「ここまで複雑にならなければもっと手の打ちようがあった。現状だとやれることが少ない。それにアルベルトは政治も結構できる奴だ。ニアの直接逮捕を後出しにしてきているあたり、確実に死罪にしたいという意志すら感じ取れる」

「そうねぇ。いっそのことどこかに夜逃げするとかじゃない。そんな場所ないだろうけど」


 そう述べると、ニアさんが私の腕に絡みついて来る。


「わたくしはミュリナさんとでしたらどこへでも参りますわ」

「何言ってんのよ。あんた一人に決まってんでしょうが。ミュリナを連れてかないで」

「あら、わたくしはもうミュリナさんと共に添い遂げる覚悟ですわ。絶対に渡しませんことよ」

「ゼルス王子はどうすんのよ? って言っても、今回の件でもう婚約は破棄されているだろうけどね」


 なんて言い合いをするメイリスさんたちに対し、サイオンさんがポツリと口を開く。


「ニア・サートンバゼル。今後、ミュリナさんを独占しないと約束しろ。それが条件だ」


 いきなり何の話かと思ったら、ニアさんとメイリスさんが途端に真剣な表情となる。


「……助かる方法がございますの?」

「ああ。今回に限ってはほぼ確実だ」

「でも、ここで約束しても、わたくしが守らない可能性もございますわよ?」

「いや、ミュリナさんの前で宣言してくれればいい。彼女は誠意を重んじる」

「……なるほど。約束を違えるような行為をすれば、結局ミュリナさんからの信頼がなくなると」

「そういうことだ。ミュリナさんもそれでいいかい?」


 いきなり話を振られて若干戸惑う。


「え? あ、はい。あの、えっと、何とかなる方法があるのでしょうか?」

「それは君次第だ」

「私次第、ですか?」


 一体何を言われるのだろうかと身構えてしまう。

 サイオンさんがその重い口を開いた。


「ミュリナさん、今日から君が公爵令嬢だ」

「……は?」


  *


 あの後、サイオンさんが何やら忙しそうに動き回ってからさらに二日が経ち、私たちはサートンバゼル家の本家がある屋敷にやってきていた。

 サイオンさんとメイリスさんも一緒で、私はニアさんのお父さんと相対することとなっている。

 いや、これからはお義父さんと呼ぶべきか……。


「え、えっと、あの……、ほ、本当に私なんかでよろしいんでしょうか?」

「むろんだ。むしろ、この度は娘のことで迷惑をかけて本当に申し訳ないと思っている。そして、娘を助けてもらったことを感謝している」


 そう述べながら、お義父さんは頭を九十度に下げてきた。


「あ、い、いえ、む、むしろいろいろと至らない点もあろうかと思いますが、こ、こちらこそよろしくお願いします」


 背中に汗をかきながらこちらも同じように頭を下げる。


「オルト公爵、これにて本件は解決を望めます。約束を果たしてくださいますよう、よろしくお願いいたします」

「もちろんだ。今回は君の仲介で本当に助けられた。君にも感謝している」


 お義父さんがサイオンさんにも頭を下げた。

 それを見て私は、やっぱりサイオンさんはすごいんだなぁと感心してしまう。


 彼が提案した妙案は三つの内容に分かれていた。

 最初の一手はニアさんを本当に私の名目奴隷にしてしまうというもの。


「まさかわたくしが本当にミュリナさんのモノになってしまうとは思っておりませんでしたわ」

「べ、べつに奴隷扱いなんてするつもりはないんですが……」

「あら、わたくしは何でもして差し上げますことよ」


 咄嗟の事とは言え、私がニアさんからの反発を防ぐために、彼女へ隷属化魔法をかけていたのだが、功を奏したらしい。


 というのも、人族の法律には死罪になった者を重労働奴隷として購入できる制度があるらしく、彼女を購入したことにしてしまえば問題ないとのこと。

 時系列で言うと、騎士団が宿へと突入した段階で彼女には死罪が言い渡されており、その後私と二人になった際に隷属化魔法が使われている。

 そのため、隷属化魔法が使われた段階で購入が成立したという主張が通ってしまうそうだ。

 そんな馬鹿なとは思うが、政治の世界は理屈と証拠さえあれば話が通せてしまうのである。


 そしてこれが二つ目の話につながるのだが、購入した奴隷は当然その人の所有物であり、そのニアさんを理由もなく攻撃したのであれば、アルベルトさんが一方的に非を被ることとなる。


「しかし、アルベルトさんの顔ときたら、真っ赤になっておられましたね」

「ま、まあ、随分な詭弁でしたからね」

「何をおっしゃいますか、わたくしはちゃんとあなたと相対したときに購入されておりますわよ」

「そんなことをした覚えはありませんが……。隷属化魔法がこんな形で役に立つとは思いませんでした」

「この手の手合いは僕も何度もやったことがある。魔力痕跡を辿ればいつ隷属化魔法がかけられたかも明白になるからな」

「アルベルトさんはそんなはずないって主張してましたが……」

「あるさ。じゃなきゃ隷属化魔法をニアが受け入れる合理的理由がなくなる。君に購入されることで死罪を回避できるというのは十分すぎる理由さ」


 実際は全然違う理由で隷属化魔法を使っているが、そんな真実はさっさと忘れろとサイオンさんに言われた。

 結果として、アルベルトさんは私と私の所有物であるニアさんを不当な理由で攻撃したとして、苦しい立場に追いやられているとか。


「実力派閥をつくるようそそのかされたのは自覚していたが、利用されていたと思うと途端にアイツが気に食わなくなってきた。これはその仕返しだ」


 この人はやっぱり怒らせると怖そうだ。



 ただ、このままニアさんが私の名目奴隷になると、ニアさんはサートンバゼル家に残れないし、サートンバゼル家の跡取りもいなくなってしまうことになる。

 そこで今話している養子縁組の話が、彼の用意した三つ目の策略だ。


 私をサートンバゼル家の養子とし、その名目奴隷であるニアさんが実質的には跡取りとしての実務を執り行っていく。

 これであれば今までとほぼ変わらない形でサートンバゼル家を運営することができ、かつ彼女をこの家に残すことができるというわけだ。


 その内容でサイオンさんの方からお義父さんへと話を持っていき、娘を救えるとのことでお義父さんも即座に承諾。

 話はトントン拍子に進んでいった。


「しかし、あの短時間に良くここまでのことを思いつきましたね」

「こんなの普通さ。さて、残る二つの問題もとっとと片付けてしまおう。一つは僕の方でやるが、残りもう一つはミュリナさんたちの方でやってほしい」

「あ、あの、ごめんなさい、まずその二つが何なのかわからないんですが……」

「君たちに突っかかって来た三人組へのお礼参りと、残された魔族たちをどうするかだ。今回の件で魔族たちの存在は公のものとなってしまった。そのため魔族領に逃がそうとすると風当たりが強くなる。一応敵国の民だからな」

「じゃ、じゃあ、やっぱり奴隷にするしかないんでしょうか……」

「一般的にはそうだが、今回は別の方法を取る。村興しだな」

「む、村興し……?」

「さて、ミュリナさんはサートンバゼル家の名目養子になってもらったが、次は名目なんかじゃなくて真面目にやってもらうぞ」


 サイオンさんの目がぎらついていて少しだけたじろいでしまう。


「えええと、ななな、なんでしょうか?」

「ミュリナさんには村長になってもらう」

「村長!?」

「ああ、実はそれがオルト公爵にお願いしていることでもある。ミストカーナの近くに疫病で村人が全滅してしまった村があってね。そこに魔族たちを移住させようと思う。君にはそこの村長になってもらう」

「ええええええええ!?」

「まあ、ほとぼりが冷めるまでだ。ずっと牢の中というわけにもいかないだろうし、ある程度は自給自足してもらわないと金もかかる。それとも、君が養ってくれるのかい?」

「い、いえ、それは……」


 自分の財布事情を考えれば、ほぼ不可能だ。


「そこで村にしばらく移住させるのがいいと考えたんだ。君にはそこの村長をやってもらう」

「ちょ、ちょっと待って下さい。移住させるところまではわかったのですが、なんで私がなんでしょうか?」

「君が助けたいと言い出したからだ。責任は取るべきだろう?」

「あぅぅぅ」


 ぐうの音も出ない内容に、反論できなくなる。


「まあまあ、ミュリナさん、わたくしもお手伝い致しますわ」

「うぅぅ、自信はないですが頑張ります。……それで、三人組の――えっと、名前が良く思い出せませんが、あの方々はどうするんでしょうか?」

「その話か。ふっ、楽しみだな。一体どうしてやろうか。ミュリナさんに迷惑をかけたんだ。僕が思いつく限りのことをしてやるさ」


 そんな風にくつくつと笑うサイオンさんを見て、やっぱりこの人は怒らせたら怖いなと思ってしまうのだった。

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