第56話 父と子と、暗殺者
~時は少しだけ遡り~
ミュリナと別れて、ニアはため息をつきながら扉の前に立つ。
父親がどんな人物であるかは自分が一番よくわかっている。
それゆえ、背中に汗が伝うのを感じながらニアは部屋をノックするのだった。
「ニアです。参りました」
「おお、入りなさい」
部屋に入ると、以前と変わらない父親がそこに座っている。
デスクで書類と睨めっこを続ける彼を眺めながら、ニアは声をかけられるのを待つことにした。
「……そんなところに立ってないで、座ったらどうだ?」
「失礼します」
「学園生活どうだ? もう慣れたか?」
「はい。各派閥が精力的に動いておりまして、人族としての輪が乱れないように動いておりますの。それと、勇者一行に相応しい方も見つけておりまして、今は関係構築に努めております。あと、サイオン・レイミルの――」
「あっ、ニア、そうじゃなくて、学園の生活はどうだ? 楽しいか」
「え? はい。今後のサートンバゼル家に利するよう、わたくしなりに最大限に立ち振る舞っておりますわ」
淡々と述べるその言葉に、父親の表情は曇るばかりだ。
「わたくしは恐らく勇者一行にはなれないかと思われますので、今後の活動の種を蒔いておりますの」
「なれない……? ニアは勇者一行にはなりたくないのか?」
「もちろん、なれるよう最大限の手を尽くしております。ただ、わたくしの実力を鑑みれば、現実的には難しいでしょう」
実力がない。
昔、父に散々言われた言葉だ。
サートンバゼル家としてそんなことでいいのか、と。
「そうか……。ま、まあ、こればかりは競争だからな。だが、別に一番でなくてもいいんだぞ」
父の目を見て、ああ、またあの瞳だ……、なんてニアは顔を伏せてしまう。
わたくしに対して、何の期待もしていない瞳。
昔は違った。
一人娘ということもあって、ニアに対し過度の期待を寄せていた父親は、厳しい教育と訓練をしてきたものだ。
なのに、ニアの母親が亡くなって以降、父親はニアに対して期待をしなくなってしまった。
たぶん、自分にはこれ以上の伸びしろがないと判断されたのであろう。
今回の暗殺予告の件だって、わたくしがいなくなってしまえば、サートンバゼル家は血のつながりが薄い縁戚に対しても跡継ぎの対象を広げることができる。
父親にとってはたぶんその方が都合がよい。
ということは、もし暗殺者が本当に来てしまったら、その差し金は――。
ニアはそこで思考を停止する。
そんなことを考えたって、心が痛んでしまうだけだ。
その事実には気付かないふりをしておいた方がいい。
「ところで、この舞踏会には学友も連れてきているそうだな? 仲良くなれた者はいるか?」
「はい。勇者候補として最も可能性の高いミュリナ・ミハルドを連れてきておりますの。平民であることに難癖のつくことがございますが、実力は恐らく歴代の中でも一番ですわ。サートンバゼル家に利する御方かと思っており、現在取り込み工作中です」
「いや、そうでは――。そうか、友達は大切にするんだぞ。ときに、ニアは噂話には明るいか?」
「……もしかして、魔族内通のお話でして?」
「ああ。お前が内通の手引きをしているなどというけしからん情報まであってな。あの話は……、まあ噂だとは思うが、ニアは真実関係ないんだな?」
「ええ。むろん根も葉もない噂だと思っておりますわ」
「そうか。そう、だよな。はは、すまない、変なことを聞いたな。そう言えば、期末テストがあったらしいな。どうだった?」
「筆記二科目は二位と三位。その他の戦闘系科目は平均的なものですの」
「おお、すごいじゃないか! お前は昔から勉強ができたからな」
なんて具合に、戦闘系科目には言及しない。
父は公爵家であることとその一人娘であるわたくしに強いこだわりを持っていた。
昔は一番でないというだけで酷い体罰をもらったものだが、その父が一番でなくていいはずなんてない。
いつから、こんな風になってしまったのだろうか。
父はわたくしに期待を寄せなくなり、わたくしもそんな父と距離を取る。
もう、この関係は一生直ることはないであろう。
そのことに小さくため息をついた瞬間、突然――、
隣にある本棚が倒れた。
何かと思って顔を向けると、そこには明らかに暗殺者風の恰好をした者が短剣を構えている。
――暗殺者!? 暗殺予告をした者!?
「何者ですの!?」
「ニア! 下がれ!」
暗殺者と思われるものは構わずこちらへと突っ込んでくる。
「【アイシクルバースト】!」
氷の魔法で牽制するも相手は構わず斬りかかって来る。
そ奴を何とか体術で捌いて、そのまま再び詠唱へ。
「【アイススピア】!」
氷槍を生成して暗殺へと飛ばしていく。
まともに入った……が、浅い。
仕留め切れていない。
このままだと、返しの太刀でわたくしが――。
迫りくる暗殺者の短剣に走馬灯を見てしまう。
結局、これで終わりか……。
お父様は――。
できる限り気付かないふりをしてきたが、ここまでくれば確定であろう。
お父様は先ほどから動いていない。
事態を眺めているだけだ。
たぶん、この暗殺者はお父様が差し向けた者だ。
わたくしがいなくなれば、お父様は縁戚にサートンバゼル家を継がせることができる。
何をやっても中途半端な成果しか出せないわたくしは、もういらない存在なんだ。
――けっこう、がんばったのにな……。
そんな風に涙を溜めながら、ニアはまぶたを閉じた。
「【ミストルテイン】!!」
衝撃が走ったと思ったら、遅れて風圧が押し寄せてニアは尻餅をついてしまう。
目開くとそこには――、
まるで勇者を思わせるほどの安心感を抱かせる、彼女の背中が映るのであった。
*
この状況はもはや確認するまでもないであろう。
私はニアさんを庇うように前へと立ち魔法陣を展開する。
「どなたか存じませんが、こんなことをしてただで済むと思わないで下さい」
フードの侵入者が持っていた剣は私の魔法で植物まみれになっており、もはや使い物にならない。
「ふっ。死すべき人間が死ぬだけだ」
「死すべきですって?」
わずかな違和感……!
ガキィィン!!
ニアさんの後方から振り下ろされていた大鎌を何とか防御魔法で受け止める。
フードの男とは別に、大鎌を持った少女がそこにいた。
周囲に魔力反応はなかったのに、一体どこから現れたのか。
「わぁお! 防がれた!」
「ニアさん! お父さんの方へ下がってください!」
二人を守りながら、フードの暗殺者と新たに現れた大鎌使いの両者を視界に収めていく。
「リー、こいつ強いぞ」
「だねっ。あっはは! 楽しぃ! あたしの隠蔽見破れる奴なんて初めて見た! でも――」
大鎌使いが正面から。
フード男は回り込んで側面攻撃を仕掛けてくる。
「二人相手にどこまで戦えるかしらねっ!」
「【フリーズレゾナンス】」
「氷魔法? 甘いね。そんなんで――」
その瞬間、目で見えていたはずの大鎌使いの姿が消えて、別方向にいた本体が姿を現わす。
私の氷魔法で足が床とピッタリくっついてしまっている。
「なっ! なんで!?」
ナイフで切りかかるフード男を適当に対処しながら答えていく。
「あなたが隠蔽能力の使い手だとわかった段階で対処は決めてました。目に見える情報なんて頼りにするわけないじゃないですか」
以前イビルビーストと戦った時もそうだった。
隠蔽が得意な相手は五感情報に頼らない戦術を組み立てるのが最も有効だ。
この少女が姿を消して別方向から迫っていることはすでに察知していた。
「だ、だが! たかが氷魔法なんて――」
「【グラビトニアン】」
フード男が重力魔法で地面に崩れ落ちた。
いや、叩きつけられたという方が正確だ。
それと同時に、光剣が大鎌を持つ少女の首へとあてがわれる。
「重力魔法に生成魔法まで!?」
「終わりです。諦めてお縄について下さい」
「はんっ! すげぇなお前。確かに真正面からじゃ敵わない。でもあたしらはプロフェッショナルだ。これで終わりなわけないだろ!」
ちょうど時を同じくして、ニアさんが血反吐を吐きながら倒れてしまう。
「ニア! どうしたニア!」
「ニアさん!?」
お父さんが彼女を抱き留めているが、ニアさんが痙攣をおこしながら口から血が溢れてくる。
暗殺者のことを横目に、彼女の方へと駆ける。
「毒物!? お父さん! 離れて下さい!」
「だ、だが、娘がっ!」
「私が治します! 【ヘビー・リカバリー】」
緑の光がニアさんを包んでいく。
「さっき大鎌を撃ち込んだときに別方向から毒針を仕込ませてもらったぜ。致死率百パーセントの毒だ。治せるわけが――」
ニアさんの状態が改善していき、顔色が見る見るよくなっていく。
「っ!? コイツっ!?」
「リー!」
私がニアさんへと構っていたのを良いことに、丸い玉のような物が放られる。
この感じ……、魔力結晶体!?
「自爆する気!?」
「死なばもろとも!」
「【スペースコンプレッション】」
結晶体が魔力暴走を起こして破裂を開始していたのだが、その空間ごと魔法で圧縮していく。
その隙に二人は逃走開始。
「守ってくれると思ったぜぇ~、じゃあねぇ~」
なんて言いながら、二人は去っていくのだった。
私は両の手で圧縮を強めていき、魔力結晶体をそのまま押しつぶす。
「くっ。逃げられた。二人とも、ご無事ですか?」
「あ、ああ。だが、ニアは……?」
「眠ってはいますが体は治しました。安定しているはずです。賊はどこから現れたのですか?」
「そこの本棚の後ろに隠し通路が……?!」
本棚が倒れてはいたが、そこには――
ただの壁しかないのであった。
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