第37話 レベルカの想い

 レイミル家別宅の執務室にて、入室してきたレベルカを見るや、サイオンはそちらへと歩み寄っていく。


「彼女は?」

「……客室にて、寝かしております」

「よし、作戦の第一段階は成功だな」

「サイオン様、本当にやるのでしょうか。彼女は……我々が当初想定していたような智謀に長けた存在ではなく、どちらかというと誠意をもって接すれば応えてくれる人物のように思えます」

「またそれか。それがどうした?」

「で、ですから、彼女には、その……せ、誠意をもって接する、べきかと、思います」


 サイオンに意見をすることへの畏れからか、レベルカの言葉は尻つぼみとなっていく。


「レベルカ、君は優秀だ。君の見立てがそうならば、ミュリナさんはそういう人物なのかもしれない。だとしてもやることは変わらないさ」

「なぜでしょうか」

「確実性がないからだ。誠意なんてもので人を縛ることはできない。最近の動きを見たであろう。グレドが動き、メイリスが動き、ニアまで動いた。彼女は今この学園における中心的存在だ。にもかかわらず、本人にその自覚がない。今のうちに首輪をつけておいた方がいいよ」

「し、しかし……彼女は間違いなく反発してくるかと思われます」

「君は敵対する相手と相対するとき、相手の反発に遠慮してこちらの手を止めるのかい?」

「それは……そんなことはないですが……」

「むしろ反発を予期して、相手が反発できないような弱みや威嚇をするのが対話ってもんだ。今までの悠長なやり方ではミュリナさんが落とせないと分かった。やり方を変える」


 反論ができなくなって、レベルカは押し黙る。


「それで、作戦第二段階だが、僕はミュリナさんと結婚しようと思う」

「……え?」


 あまりの突拍子もない内容に、思わずその声が漏れてしまった。


「これは元々予定していたことだ。貴族の僕が平民と結婚する。貴族位なんてものはさっさと排してしまおうという良き事例になるはずだ。加えて、才能あふれる彼女ならば、平民であっても活躍できるということを内外に示せるだろう」

「ま、待って下さい! そんなっ! サイオン様が、ご結婚なんて! そんなこと――」

「結婚は一生に一度しか使えない手札だが、まさかここまで良い手札になるとは思っていなかったよ。今晩、彼女の女を奪ってしまって、それを盾に彼女を脅していこうと思う」


 レベルカの表情がさらに深刻なものへと変わっていく。

 それはミュリナの心配をしてというのもあるが、愛する人が別の女性と体を重ねることへの嫌悪感からだ。


「し、しかしそれでは、彼女はおろか他の派閥まで表立って敵対することとなりましょう!」

「元々敵対していた。それがミュリナさんという変わり種がやってきたことで一時的に様子を見ていたに過ぎないよ。みんな思想が違うんだ。敵対して当然であろう」

「で、ですがっ! サイオン様は、ミュリナさんを愛しているのですか?」

「愛? 愛なんて関係ない。目的を達成するためにすべきことをする。僕はそのために生きている」

「人生をともにする伴侶ですよ!? 計略のために選ぶなど――」

「そんな悠長なことは言っていられない」


 その言い様に、さすがのレベルカも我慢ができなかったのであろう。

 彼の前へと立ち塞がり、サイオンへと負の視線を向ける。


「サイオン様、無礼を承知で申し上げます。その方法には反対です! サイオン様が平民のことを想っているのはしかと伝わっております。わざわざこのようなことをせずともよいはずです」

「目的を違えるな。それはあくまで副目的で、主目的はミュリナさんだ」

「彼女は私が落として見せます! お願い致します! どうかそのような手段に出ないで下さい!」

「では、その方法論を提示して見せろ」


 レベルカは苦い顔を返すことしかできない。

 そんな方法があるならとおに試しているからだ。


 彼女が黙っているのを見て、サイオンはため息をついてから部屋を出て行こうとする。


「待って下さい!」


 レベルカがサイオンの後ろから抱き着いて止めに入る。


「サイオン様……。どうか、どうかおやめになって下さい。どうしてそのようにご自身を蔑ろにされるのですか。もっと、ご自身の幸せのことも考えて下さいな」


 涙ながらにそう懇願していく。


「幸せ……か」

「あなた様はご自身をあまりに犠牲にしておられます。昔はもっと正当な手段で戦っておられたではありませんか。そのように汚いことにばかり手を染めずともよいではないですか。今のあなた様は……見るに堪えません! なぜそうも悪役になっていこうとされるのですか! あなた様の理想は皆の夢なのですよ!?」


 レベルカの言葉にサイオンは俯く。


「一日に、だいたい三百人だ」

「……え?」


 いきなり何の話しかと眉を寄せてしまう。


「重税や労役で、貴族に殺されている平民の数だ」

「……それ、は」

「年間およそ十万人。人族の全人口の一パーセント弱だ。国王はこの数字を軽視している。出生数の方が圧倒的に多いからね。国王の考えは減ったら増やせばいいというものだ」


 けどね、とサイオンは怒りを露わにする。


「十万もの人生が無為に奪われているんだぞ。その一人一人はみんな苦しんで死んでいる。やむにやまれず犯罪に手を染め、食うに困った家族が子どもを捨てていく。そんな地獄が、この世界には存在している」


 レベルカもまさにその被害者の一人だ。


「もう一日も待っていられないんだよ。地道な政策を取れば、たしかにいつかはこの国を変えられるかもしれない。けど、それまでに一体どれほどの死体の山ができると思う? 僕はもうそれを待つことができない。そのために自分の幸せなど捨て去ることにした。悪役になんていくらでもなるさ。僕が悪になるだけで多くの人が救われるのだろう。けっこうなことじゃないか」

「じゃあ彼女は!? ミュリナさんは不幸にしていいんですか!?」

「ミュリナさんには悪いが、彼女には犠牲になってもらう。僕は神じゃない。何の犠牲もなしに目的が達成できるなんて思ってないよ」

「ですが、……ですがっ!」

「僕の見立てでは、彼女は勇者一行に内定する。その伴侶となっていれば、僕の貴族位は上がるであろう。そうすれば発言権が増して国政により大きな影響を与えることができる。それでも遅いくらいだがな」

「サイオン様……」


 サイオンが振り返って、レベルカの頬を撫でる。


「レベルカ、本当は君と共に歩みたかった」


 思いもよらないその言葉に、レベルカは顔をあげる。

 なのに、彼ときたらまたも背中を向けてくるのだった。


「でも、貴族位を廃するっていうことは、つまりは自分を断頭台に送るってことだ。僕の目的が万が一にも達成されれば、僕の最後の仕事は自分の首をはねることになる。そのあとは――」


 サイオンがレベルカの肩を持つ。


「――お前が民衆を導くんだ」

「なにを、おっしゃっているんですか……」


 サイオンの言っている言葉の意味を理解したくなくて、レベルカは眩暈すら感じてしまう。


「ミュリナさんとはこのまま仲良くしていろ。僕という共通の敵を見つければ、彼女もきっとレベルカに協力してくれるはずだ。ミュリナさんに手をかけたとなれば、たぶん僕は四方八方から政敵と見做されるようになる。それでも、僕は目的のために突き進んでいくよ。あとのことは頼む」


 そう述べてサイオンは彼女の伸ばす手を振り払って部屋を出て行ってしまうのだった。


  *


 部屋で一人、泣き崩れていたレベルカは、震える自身の手を爪が食い込むほど握りしめる。


「サイオン様……。絶対に、絶対に嫌です」


 私を救い出してくれた王子様。

 その人が、自ら矢面に立って目的のために悪に手を染めようとしている。

 そんなこと、あってはならない。


 悪に手を染めるのは私の仕事だ。

 彼が汚い道へと進むことなど、私は絶対に認めない。

 レベルカはやがてその瞳に炎を宿す。


「私の王子様を悪者になんて、絶対にさせない」


 静かに立ち上がったレベルカは、強い意志を持って部屋を後にするのだった。

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