第30話 仮面の令嬢

「お嬢様、おはようございます」

「おはよう、ラナ」


 傍仕えのラナに声をかけられて、メイリス・リベルティアは伸びをしながらベッドから降りる。

 彼女は学園の寮にラナと二人で暮らしており、ニアやサイオンのように別宅をここミストカーナに構えているわけではない。


 朝起きたら、いつものように顔を洗って着替えをして、朝ごはんと優雅なティータイムを嗜むのが彼女の日課だ。

 こうやって心にゆとりを持つことで、彼女は様々な仮面を使い分けるための心の猶予を生み出す。

 いわば、準備体操のようなものだ。


 先代が不意の事故により急死してしまったことで、彼女の家系は家督争いが熾烈となり、誠実さだけで生き残ることは困難であった。

 その戦いを制したのは仮面を完璧に使い分けられたメイリス・リベルティアなのである。

 ある勢力には媚びを売り、またある勢力には威圧的に出て、相手が変わるごとにどう対応すればよいかを完璧に演じきれるのが彼女の最大の武器なのであった。


 その彼女が今、一番落とさなければならないと感じているのは――


「ミュリナ、今日は何の話をしようかしら。あなたにいつ仕掛けるか、楽しみで仕方ないわ」

「? 何かおっしゃいましたか?」

「いえ、何でもないわ。ところでラナ、何か耳に入れておいた方がいいニュースはある?」

「ニュースですか? 特段ございませんが、そういえば、今朝おかしな噂話を耳にしました」

「おかしな?」

「はい。なんでもあのグレド・レンペルードが女性と一緒に寮へ朝帰りしたとか」

「グレドが……?」


 彼の浮ついた話など聞いたことがない。

 あのグレドを落とした女性とは一体だれなのだろうか。


「ええとたしか女性は……そうそう、ミュリナ・ミハルドとか言いましたっけ」

「ぶふっ!!!」


 紅茶を思いっきり吹き出してしまう。


「わっ! だ、大丈夫ですか!? お嬢様!」

「一大事じゃないの!」

「え? そうなのですか? 学生にはまあよくあることかと思いま――」

「よくあるわけないでしょう! あの他人に常に怯えていながら、エディアル山のど真ん中に大穴を開けたミュリナが相手よ! 絶対にありえないわ」

「エディアル山!? あの第三次試験で強大な魔法を放って山の中腹に大穴を開けたというあの!?」

「ええ。そのミュリナがグレドと朝帰りなんて……」


 彼女の思考は完璧に読み取っていたはずであるというのに、あまりの想定外にメイリスは思案を巡らせてしまう。

 どこをどう読み違えたのだろうか。

 今の学園内で言えば、ミュリナが一番慕っている相手はてっきり自分だと考えてきたが、もしグレドとそういう関係になっているのであれば、今後の計画を大きく変更しなければならない。


「ミュリナ……やっぱり何を考えているか読めないわ。せっかく体力測定ではみんなにパンツを見られてまで競争に残らせたってのに……」

「お、お嬢様、パンツを見られたのですか?」

「気にしなくていいわ。リベルティアの名にすこーし傷がついたかもしれないけど、それよりも得られるリターンの方が大きいから」

「ちょっと待って下さい! パンツ見られたのですか!? どうして!?」

「別にいいでしょうがっ! あたしだって必死だったんだからっ!」


 逆ギレ気味に返答し、今後の方針を苦心する。

 万が一ミュリナの心がグレドに傾いているのであれば、アプローチ方法を変えなければならない。

 何としても自分が彼女の心を射止めにいかなければ。


「くぅぅ。こういうとき男なら色仕掛けができるのに、サイオンが羨ましいわ。まあでも、同性愛ってパターンでもいけるわけだし、やりようはあるわね。なんにしても、まずは情報収集からね。グレド・レンペルードめ。まさかこんな大胆な手に出てくると思ってなかった。私ミュリナは絶対に渡さないっ!」


 そう自分に活を入れて、メイリスは学園へと登校していくのだった。


  *


 眠け眼をこすりながら、私は学校に登校する決心をする。

 本心を言うのであれば、昨日あったことがあまりに印象的過ぎて今日は休みたかったが、学校をサボるのはやっぱり気が引けた。

 徹夜明けだし、魔力を相当消耗したから疲れ切っているけど、こういうときこそ気合を入れなければ。


 教室に入ると、さっそくクラスメイトたちから話しかけられた


「ミュリナさん! 聞いたわよ! あなたグレドさんと朝帰りしたんだって?」

「……へ?」

「もうどこまで行ってるの!? 侯爵家の跡取りの心を掴むなんて玉の輿じゃない!」

「朝帰りってことはそういうことだよね!? グレドさん、どうだった!? やっぱり大きいの?!」


 なんて具合に、女子たちが集まって来て黄色い声が飛び交う。


「ちょ、え? ちょ、ちょーっと待って下さい! なんでそんな話になってるんですか!?」

「え? だって、二人で朝帰りしてるのを見たって人がいっぱいいるよ。しかもミュリナさんがグレドさんに肩を貸して歩いてたって」

「ちょっと待って!! ってことは、グレドさんの体力がなくなっちゃうほどミュリナさんってすごいってこと!?」

「「「きゃー」」」


 黄色い声が途端にピンク色へのものへと変わっていく。

 とそこへ、怒声が鳴り響いた。


「おい! 邪魔だ! どけや!」


 当の本人であるグレドさんが立っていた。

 女子たちは大急ぎでその場から離れ、距離を取った場所から私たちのことを見つめ続ける。


「おい」

「ひぅ」


 不機嫌そうな表情を浮かべる彼に対し、私は小さな悲鳴を上げてしまった。


「……昨日は、その……、助かった。お前のおかげで死なずにすんだ」

「へ?」

「それと、入学試験の時、平民風情だなんて言って悪かった。訂正する」


 そう述べて頭を下げた彼は、そそくさと自分の席に行ってしまうのだった。


 周囲では先ほどまでとは別のざわめき声が聞えて来る。

 それもそのはず。

 だって彼は――、


「ちょっとミュリナ、あなたなにやったのよ」


 メイリスさんに肩を掴まれた。


「え、あ、えっと、べ、別に、とくには、何も……」

「そんなわけないでしょ! あのグレド頭を下げているところなんて見たことないわよ!」

「は、はへぇ……」

「はへぇって。まったくあなたは。それで? 昨日は何をしてたの? グレドと何かしてたんでしょう?」

「え、えっと、ギルドで依頼を受けたら、たまたま一緒になりまして」

「それで朝帰り?」

「あ、朝帰りって言っても、べべべ、別にやましいことなんてしてませんよっ」

「じゃあなんでそんなに遅くなったのよ?」


 メイリスさんが若干すねた態度を取っている。

 あれ……?

 これってもしかして……嫉妬している??


「は、話せば長くなります」

「ふーん。二人で長い夜を過ごしたってわけね。別にいいけど」


 全然別に良くなさそうな顔してるっ!


「あ、あの、メイリスさん、そんなに怒らないで下さい」

「私にもちょっとくらい相談してくれたっていいじゃない。私、ミュリナのこと親友だって思ってたのに……」

「え、えっと、その、あの、わ、私、メイリスさんに頼ってばっかりで、め、迷惑ばかりかけてるなぁと思ってしまって」

「迷惑かけてよっ! 友達なんだから!」


 そんな風に言われてしまい、身を縮めてしまう。


「あぅ。ご、ごめんなさい」

「埋め合わせ、してよね」

「う、埋め合わせ……ですか? ど、どうすればいいでしょうか?」

「次の休みに買い物行きましょ」


 よかった、それなら問題なさそうだ。

 兼ねてより彼女とはお出かけしたいと思っていた死、メイリスさんがこれで機嫌をなおしてくれるのであれば一石二鳥だ。


 ……いや、そもそもなんで機嫌を損ねているのか若干疑問は残るが。


「二人でお買い物というわけですね」

「何言ってんのよ!」

「ひゃい!?」


 ムスッとした顔を私に近づけてくる。


「デート! に決まってんでしょ!」

「……へ?」


 頭が真っ白になる私に対して、メイリスさんはニコニコしていた。


「ええええええええ!?」

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