第8話 魔王の天啓

 しばらく道を行ったところで、道から外れて収納魔法に収めていた旅道具を取り出していく。

 この魔法は手ぶらを装える点では便利だが、アイテムを入れている間は常に魔力を消費してしまうため、すべての荷物をずっとしまっておくというわけにも行かない。


 分類としては空間魔法にあたるらしく、私が扱うことのできる唯一の空間魔法だ。

 そのほかは詠唱が分からないので扱えるかどうかがわからない。


 荷物の整理が終わって、街道へ戻ろうと思った途端、雲行きが怪しくなってきた。


「さっきまであんなに晴れてたのに」


 雨に降られるのも嫌だったので、急ぎ足でメイリスさんが言っていたレングリアの街を目指す。

 半刻もせずにつくと言われたのでさほど遠いわけではないだろう。


 そこでふと、歪な雲が視界に入った。

 雲にしてはずいぶん幾何学的な形をしている。

 だが、雲なんて時としていろんな形に見えるものだ。

 特段気にする間でもないであろう。


 と思っていたのだが……、

 なんとその雲は、どう見ても私を追いかけてきている。


 え……?

 なに? 何で雲が!?


 雲に追いかけられる経験なんて生まれて初めてであったため、気が動転してしまい思わず走り出した。


「な、なんなのこの雲っ!」


 右へ左へと方向を変えても、依然として追いかけて来る雲に焦りが増していく。

 こんな現象見たことも聞いたこともない。


「こ、来ないでよ!」


 中心に真四角の雲があり、周囲には八つの真球状の雲が浮いている。

 自然のものとは思えない幾何学構造で、このまま走っていては追いつかれてしまう。


「くっ、【アイスブラスト】!」


 無数の氷弾をお見舞いするも効果なし。


「効かない!? ならっ! 【ファイヤーエクスプロージョン】!」


 大爆発により雲を吹き飛ばそうとしたのだが、依然としてついてきていた。


「っ! ならこれは!? 【トランスペアレンシー】」


 透明化魔法により姿を消す。

 見ることができなければ追いかけられないかもと思ったが、関係なくこちら目掛けてやってくる。

 意味がないとわかって透明化を解除。


「【ブレスファントム】、【サンダーストライク】、【フォースブレイバー】、【ブレイククラスター】――」


 思いつく限りの魔法を連打していったのだが、効果が見られない。

 雲が自分の頭上に来て、もうダメだと思ってしまう。


 そこで初めて感じたのは悔しさであった。

 角無しに生まれて、ずっと酷い毎日を送って来て。

 ようやくエルガさんという救いの神様に出会えたのに、その方にも他界されてしまい、いざ自分の道を行こうとしたら苦難ばかり。


 なんで、私だけ……。


 怒りとも虚しさともとれない感情が胸の中をドロドロと渦巻いていき、それでもと救いを求めてしまう。


「助けて……エルガさん……」


 雲が光り輝く。

 気休めで防御魔法も三重に張っておいたが、今まで魔法が一切効かなかったことを鑑みるに、これも効果があるとは思えない。

 案の定、雷は防御魔法を素通りして私落ちてくるのだった。


 ドガァァァン!!


 轟音が鳴り、雷に打たれたという事実からうずくまってしまう。

 人生で初めての経験だったが、意外と痛みはなかった。

 残光に包まれながら、自分の状態を確認していく。


 まだ……生きている……。

 でも、さすがにもうすぐ死ぬだろうな。

 身体だってもう全然――

 ってあれ?

 体、普通に動くじゃん。

 というか何のダメージも受けていない……。


 意味が分からず首を捻っていると、四角い雲の周囲を浮いていた真球状の雲たちが私の中に入り込んでくる。

 そして、どこからともなく声が聞こえてきた。


『汝に暗黒魔法の概念を伝える』

「え?」


 突然のことに思考が停止してしまう。


 へ? 暗黒魔法……? どゆこと?


 などと考える間もなく次の球が来る。


『汝に永久の聖典の獲得方法を伝える』

「ちょ、ちょっと? 誰なの? 誰が私に話しているの?」


 脳内になぜだか知らない情報が入り込んでくる。

 こちらの問いかけなど一切無視して、雲の球が機械的にやってきては音声を脳内へと流していった。


『汝に精霊石の起動方法を伝える』

『汝に生命の泉の在処を伝える』

『汝に夢幻郷の破壊方法を伝える』

『汝に全魔船の在処を伝える』

『汝に地獄の門の開き方を伝える』


 雲たちからそれが聞えて来て、私を包んでいた雲たちは霧となって消えていくのだった。

 そして最後の雲が私に入り込む。


『汝を魔王に任命する』

「……は?」


 空は雲一つない晴天へと戻っていった。

 それと同じように、私の頭の中は真っ白だ。

 視界には何事もなかったかのような平野が広がっている。


 開いた口が塞がらないまま、なんとか思考をしようとしているのに、脳がそれを受け付けてくれない。


 魔王? なんで?

 えっ、私が魔王ってこと?

 いや、そんなのありえない。


 しばらくその思考を何度もグルグルと回していたのだが、徐々に今起こったことに対する現実味が湧いてきた。

 そして、居ても立っても居られなくなった私は、一拍遅れて叫んでしまうのだった。


「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」


  *


 無駄にあたふたしたり、独り言を言いまくったり、そんな時間が過ぎて――、


 私はようやく落ち着くことが出来た。

 とりあえず、私は魔王という事らしい。


 だが、現時点で困ったことがいくつかある。

 まず一つ目に、私は勇者を目指しているのであって魔王になんてなりたくない。

 せっかく自分の夢に向かって歩み始めたところであるというのに、私を困惑させるようなことはしないで欲しい。


 次に、もし魔王をやるにしても、すでに国境を越えてしまったため魔族領に帰るのが難しい。

 こちらへ入るのは角無しのおかげで簡単だったが、逆ではその作戦が使えない。


 あれこれと悩んでみたが、そもそも、さっきの声は本当に現実だったのだろうか。

 実は長旅で疲れた私の脳が見せた幻覚ということは?

 いやいや、暗黒魔法とか私知らないし……。


 頭の中には、先ほど得たばかりの知らない情報が溢れている。

 異常な何かが起こったのは明白であろう。


 うーん……。

 もう……いっか。

 どうせ気にしたって仕方ないし。

 それに、傍から見たら、私が魔王だなんて誰に気づかれないだろうし。

 なら、今まで通り勇者を目指せばいっか。


「っていうか、雷が落ちるような感覚ってビーザルさん言ってたけど、本当に雷が落ちてくるんだ……」


 正直死んだかと思った。


「魔王か……。私、魔王だったんだ。それなら、そういう人生もあったのかな……?」


 だが、脳内にエルガさんの言葉がフラッシュバックする。


『自分のなりたいものになりなさい。それがあなたの人生です』と。


「いやいや、私は勇者になるって決めたんだもん! なら勇者を目指すべきよ!」


 未だに迷いはあったものの、自分に言い聞かせるようにその言葉を口にしながら、レングリアの街へと歩を進めていくのだった。

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