第2話 捨て子

 夜になって、通りの隅でうずくまっている私に声をかけてくる者がいた。


「もし? あなたは……?」


 ふらりと顔を上げると、昼間の神父さんがそこにいた。


「やはり、今日適性検査に来られていた方ですね。こんなところでどうされたのですか?」

「どうも……していません。どうも、できません」


 この返しだけで……いや、私の身なりとこの状況で、神父さんは何かを察したようだ。


「……今日いらしていた親御さんはどうされたのですか?」

「親からは、捨てられました」


 そう述べると、神父さんの顔が強張っていく。


 どこにこんな角無しで能無しの娘を欲しがる者がいるであろうか。

 きっとこの神父さんも親切心で声をかけてくれたんだろうけど、内心、厄介事に巻き込まれそうだと思い始めているに違いない。


「どなたか頼れる方はいらっしゃいませんか?」


 その言葉に、ふとフィリア兄の顔が思い浮かぶ。

 けど、兄さんは十三という年齢でありながら私のことを十分庇ってくれた。

 いくら兄さんであっても、これ以上は無理であろう。


「いません」

「……そうですか」


 ため息のように吐かれた言葉に、ああ、やっぱりな、と思ってしまう。

 次の言葉は、きっと孤児院に行くよう勧めるものであろう。

 けど、アイゼンレイク家は私を孤児院に押し付けようと一度交渉している。

 しかしながら、角無しを理由に引き取りを断られてしまったのだ。


「これから、どこか行く当てはありますか?」

「ありま……せん」


 もう涙が溢れて来て、これ以上喋りたくなかった。


「ふむ……。そうですか」


 嫌だ。

 もうこれ以上、人の悪意を見たくない。

 もし次の言葉で孤児院を勧められたら、この優しい笑顔を浮かべるこのおじいさんまで悪者に見えてしまう。


 そんな思いをしたくなかったから、私は適当な言い訳でこの場をやり過ごすことにした。


「あの、でもいいんです。私、冒険者になろうと思ってますから。きっと、私でも何かできることはあると思うんです。だから、いいんです。私は、大丈夫、なんです」


 そう述べて、逃げるようにその場を離れていこうとしたのだが、神父さんに呼び止められる。


「ああ、ちょっと待って下さい。もしよければ、うちに来ませんか?」


 想像だにしていなかったその言葉に、思わず顔を上げてしまう。

 そこには昼間見た通りの優しい笑顔があった。


「もちろん無理にとはいいません。こんな老いぼれしかいない家ですので……。ただ、私は家族がいなくて、おまけに今日が定年日。つまり、仕事は今日でおしまいなのですよ。あとは一人でひっそりと老後を過ごす予定だったのですが、何分、人と話すのが好きなたちでしてね。あなたのような子がいてくれると、非常にありがたいのですが」


 願ってもない申し出であり、同時にありえないと思えるその提案に目を見開いてしまう。


「私、何もできませんよ」

「では、私と一緒ですね。何もできないただの老人です」

「魔法の素養もないんですよ」

「若いあなたは可能性に満ち溢れています」

「角もないんですよ……っ!」

「それで言えば、私はただのシワシワなジジイですね。人の外見など些末なものです」

「一体、神父さんに何のメリットがあるんですかっ!?」


 神父さんが私の両肩に手を置いて、諭すように述べてくる。


「人を助けるのに、理由など必要ありませんよ」


 理由が……必要ない……?


「困っている人に手を差し伸べる。悪に立ち向かう。私は、人とはそうあるべきだと考えています。それは私の損得とは何の関係もありません」

「……ついて行っても、いいんですか?」


 すがるように、そんな声が漏れてしまった。


「もちろんです。実は、引退後は山奥の小屋に一人でひっそりと暮らす予定でしてね。二人になれば賑やかになりそうですね」


 さっき、人と話すのが好きと言っていたではないか。

 そんな人がなんで山奥に居を構えるの?


 私のために嘘を……?


 そのとき、なぜだか目から涙が流れて、言葉を発することができなくなってしまった。

 自分がなぜ泣いているのかがわからない。

 本当は嬉しいはずなのに、悲しい時に流れるはずの涙がとめどなく溢れて来て、どうしようもなくなってしまった。


 そんな私を神父さんは優しく抱きしめてくれる。


「辛い思いをされてきたのですね。大丈夫。大丈夫ですよ。世界は、あなたが思っているほど悪意に満ちていません。どうか、今まで辛かった分も楽しい思いをしましょう。世界も、そんなに悪いものじゃありませんよ」


 そのまま私は大声で泣き出してしまった。

 それまで溜め込んできた全てがせきを切ったように溢れて来て。

 泣いて、泣いて、ひたすら泣いて。

 いつしか私は、神父さんにおぶられたまま眠ってしまうのであった。


  *


 目が覚めて、すぐにここが自分の硬い寝床でないことに気付く。

 柔らかいベッドの上だ。

 暖かな毛布に浸っていたいという思いを抱きながらも、眠け眼を擦って周囲を確認していく。


 どこだろう。

 見たことのない部屋だ。

 何で私はこんなところにいるんだろう……。


 そんなことを思っているのも束の間、部屋の扉が開いて神父さんが中に入ってくる。


「ああ、起きていましたか。良かったです。三日も眠り続けていたものですから、目覚めなかったらどうしようかと不安に思っていたところです」

「み、三日?! えっと、私、三日も眠り続けていたんですか?」

「ええ。よほど心の内に溜め込んできたものがあったのでしょう。すぐに食事の準備をしますので、待っていてくださいね」


 そんなことを述べて、神父さんは行ってしまう。

 自分は夢でも見ているのだろうか。

 こんな柔らかいベッドで、しかも叩き起こされることなく眠ることができるなんて。


 食事が出てきて、私はさらに驚いた。

 品数が多く、どれも美味しそうなものばかりだ。

 今までのご飯と言えば、家畜に与えるようなものばかりであった。


「あの、これ、全部食べていいのですか?」

「もちろんです。おかわりもありますよ」


 それらを口にして、また、涙が溢れる。

 夢じゃない。

 通りの隅でうずくまっているところに、神父さんから声をかけられたのも、家に来ないかと誘われたのも、そして今、自分が口にしているこの食事も。


「ああ、すみません、お口に合いませんでしたか?」

「い、いえ、そうじゃないんです。私の体、幸せ過ぎると、どうも涙が出てきてしまうみたいで……」

「幸せ過ぎると……? ああ、そういうことですか。それは嬉しいんですよ。人は喜びが感極まると涙が出るものなのです。あなたはそう言った経験がこれまで一度もなかったということなのですね……」

「そう……なんですか」


 一通り食事を終えて一息をつくと、神父さんが改めって問いかけてくる。


「さて、それでは今一度お話しておきましょうか。私はエルガ・ミハルドと申します。お名前を聞いてもよろしいですか?」

「は、はい。えっと、角無し、です」

「角無し? いえ、特徴ではなく名前を教えて頂きたいのですが」

「ですから、角無しが私の名前です」


 エルガさんが深刻そうな表情となってしまう。


「そうですか……。では私から名を送ろうと思いますが、よろしいですか?」

「え? は、はい。お願いします。角無しはあんまり好きな名ではなかったので……」


 本当は好きじゃないどころか反吐が出るレベルだ。


「では……ミュリナというのはいかがでしょうか? はるか昔にミューラという角のない魔族の方がいらっしゃって、それはそれは魔法の扱いに長けていたそうです。それと、これは人族の話になりますが、こちらもだいぶ昔にマリナという人徳に溢れた方がいらっしゃったそうです。そのお二人からお名前を頂いております。いかがでしょうか?」

「ミュリナ……!? いいです! すごくいいですっ! それがいいです!」

「わかりました。ではミュリナさん、話を戻しますが、結局あなたのお返事をちゃんと聞かずに勝手に連れてきてしまいました。ミュリナさんは今後どうされたいですか? むろん、レグルの街に戻りたいのであれば、私がお送り致します」


 本心を言うのであればここに留まりたい。

 けど、本当に我儘を言っていいのだろうか?

 実は毎日暴力を振るう相手が欲しかっただけとか?

 でも、レグルの街に戻ったって、私には生きていく術がない。

 なら、多少辛くとも、ここに置いてもらえる方が生き残れる可能性が高い。


 私は意を決してここに残る決心をする。


「こ、ここにいさせて下さいっ!!」

「わかりました。では、私と一緒に暮らしましょう。そこまで豊かな暮らしではありませんが」


 現段階でも私からすると天国のような場所なのだが……。


「それで、ミュリナさんは将来やりたいこととか、なりたいものはございますか?」

「あ、えっと、その、まだないです」


 そう述べると、エルガさんは優しく微笑んでくる。


「そうですか。では、それを探すお手伝いもできればと思います」

「あの……、一つお聞きしたいのですが」

「なんですか?」

「どうしてそこまで良くしてくれるんですか?」

「前にも言ったでしょう? 人を助けるのに理由など必要ありませんよ」


 じんわりと胸のあたりに暖かい何かが溢れてくる。


「……じゃ、じゃあ! 私もエルガさんを助けていきたいと思いますっ! で、できることは……そんなに、ないですが」


 なんて尻つぼみになる言葉を述べていくと、エルガさんはまたも顔をほころばせる。


「それは嬉しいですね。実は今まで都会暮らしだったもので、私も山奥暮らしには不安を感じていたところです」




 その後、数日を彼と共に過ごして私は理解するのだった。

 エルガさんが本物の善人であるということを。


 そして、私の人生にようやく光が差し込んだということを。

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