第41話 虫とともに過ごす日々

 時が過ぎ、あっという間に春が終わった。

 すでに六月の下旬。

 空気は蒸し暑く、日差しも日に日に強さを増している。


 パンテオンの羽化から二ヶ月ほどがたっていた。

 『ウララ』は羽化した直後こそ電撃を飛ばしたりしていたが、そのあとはほとんど動かず一日中寝ていた。

 食事もまったくといっていいほど摂らなかった。

 どうやらほかのカブクワと同じく、羽化してしばらくは休眠が必要なようであった。

 それがここ数日になって、ようやく少しだけ食べるようになった。


「ありがとな、マジョルカ。おまえが教えてくれなかったら、パンテオンの成虫が何を食べるのかわからなかったよ」


「フム。ソンナコト、オ安イ御用ダ」


 と言っても、成虫が食するのはこちらのカブクワとそう変わらない。

 熟した果物や、エネルギー分の高い糖などである。

 だが乾いた土や動物の死骸もある程度食べるのは、さすがに教えてもらわないとわからなかったろう。

 おそらく塩分をはじめとしたミネラルやビタミン類をそれらで補っているものと思われた。


 ところで、マジョルカは――。


 魔界の使者たる知性ある鳥は、今もふつーにゆっきーたちと行動をともにしていた。


 パンテオンの成虫が羽化した日、マジョルカは桜子の姉に心底ビビらされたあげく、『御花見家で絶対に虫を飼わない』、『有形無形問わず、人間に危害を加えない』という約束をさせられた。

 こっちの言葉が分かると知るや、姉は書類を用意してマジョルカに一筆書かせたのである。

 マジョルカの猿に似た足に、朱肉をペッタリつけて手形の判子まで押させたというからおどろきだ。

 おまけに約束の証として、緑色の羽根を数枚ゆずりうけるという念の入りようだった。

 もし約束を破れば、姉はその羽根と手形が付いた書類をあわせて“保健所に提出”するつもりらしい。

 そんなことをしたら別階層の生き物がここにいることが分かってしまう。

 保健所の人間や警察が来たらマジョルカは逃げるしかない。

 ここから逃げるとはすなわち、派遣された下っ端にとって仕事の失敗を示す。

 マジョルカは桜子の姉に、ぐうの音も出ないほどやりこめられたのだった。


 姉から解放されてへろへろに疲れていたマジョルカを、ゆっきーは御花見家の庭先で待ち構えていた。

 身がまえるマジョルカを自宅のコンテナハウスに連れて行き、食事と飲み物で歓待した。

 かなりひどい態度をとったのにもかかわらず温かく迎えてくれたことに、マジョルカはいたく感激した様子だった。



「私ガ『金ダコノタコ焼キ』ヲ、気ニ入ッテイタコト、ヨク覚エテイテクレタナ……」


「なんか好きだって言ってたからさ」


「コノ、ソースノ香リ、クゥー、タマラン』


「ふうん。意外な好物だわ」


「ほら、山ブドウ工房のジュースもあるぞ」


「アリガタイ、喉ガ、カラカラダッタノダヨ。精神ヲ擦リ減ラシタカラナ」


「よっぽど、お姉ちゃんに恐い思いさせられたのね。なんか気の毒になってきたわ」


「桜子。オ前ノ姉ハ、本当ニ人間カ?」


「あ、そーいうこと、言っていーんだ? お姉ーちゃーん!」


「ワ、ワーッ、ジョ、冗談ダ! 口ガ滑ッタ!」


「あはははっ」



 心がゆるくなった頃合いを見計らって、ゆっきーはマジョルカに伝言をお願いした。

 魔界の責任者への伝言を――。


 伝言の内容はいたってシンプル。


『累代したいので、パンテオンの成虫はまだこっちに置いておく。』

『ブリード法を探す協力は今後も続けたい。』


 この二点だった。

 戦争の道具にして欲しくないとか、あれこれ言うのはやめておいた。

 文句を言うにしては階層世界の第六階層は遠すぎる。


 伝言をたずさえたマジョルカが帰ってくるまでドキドキして待っていたが、返事は拍子抜けで『いいですよぉ~』とのことだった。


 いいですよぉ、だって?


 ほんとにそんなふうに言ったか知らないが、マジョルカによると責任者はゆるい性格でテキトーらしい。

 とりあえず、今はこれでいいということにしよう。

 ブリード法も悪用するかどうかは、結局人によるのだ。

 願わくば『絶滅危惧種の繁殖』や『失われた森林の再生』に使ってほしいと思う。



「ユッキー」


「なんだ、マジョルカ」


「ヒトツ、聞キタインダガ」


「ん?」


「パンテオンガ羽化シタ日、ドウシテ桜子ノ家ノ換気口ニ、私ガイルコトガ分カッタノダ?」


「そんなこと聞きたいのか。だっておまえ、あのときコンテナハウスの秘密の飼育部屋に来たじゃん。それで魔界のカブクワがいないと知ったらすぐ、どっかに飛んでっただろ?」


「ア、アア」


「だから『ああ、あいつ、こっそり自分で魔界のカブクワを育てている場所に向かったんじゃないか』って思ったんだ。きっとそこへ飛んでいったんだって」


「ムムム……。私ガ育テテイルコト、バレテイタノカ……」


「魔界のカブクワが戦争に使われていることはだいぶ前から予想してたから、どこかで自分でも育てているかもしれないって思ってた。そのほうがいざという時、役立つはずだから」


「ソレデ、ドウシテダ? ドウシテ換気口デ、育テテイルコトガ分カッタ?」


「分かったって言うか、とっくに知ってた」


「ナ、ナニッ?」


「前もって探して、突き止めてたんだよ」


「馬鹿ナ、ドウヤッテ? ソモソモ何故、桜子ノ家ダト? 山トカ、他ノ家トカ、別ノ可能性ハ考エナカッタノカ?」


「夏の暑さや冬の寒さが飼育に良くないこと、お前は知ってたはずだから、山の中とか屋外はない。たぶん空調のある人家だと思った。見つかるリスクを考えると、知らない家ではない」


「……ゴキュッ」


 話を聞きながら、マジョルカが唾を飲み込んだ。


「とすると、僕か桜子の家のどちらかだろうなと思った。それで、去年の暮れあたりに『ここ最近、家に小バエが出て姉に疑われてる』っていう桜子の言葉を思い出してピンときたんだ。桜子の家のどこかで、魔界のカブクワを育ててるんじゃないかって。育てるとき、おまえが小バエ対策するとは思えないしな」


「グググ」


「一応、僕の家を念入りに調べたけど何もなかった。それで一月くらいだったかな、桜子に立ち会ってもらって、桜子の家を探させてもらったんだ。クローゼットの収納とキッチンの床下倉庫の二箇所で見つけたよ、幼虫入りの容器。中身はその日のうちに培養土に替えといた」


「不覚ダ。全ク気ヅカナカッタ……」


「あと怪しかったのは、空調用の換気口だ。狭い上に金属の枠がはめ込んであって入れなかったけど、のぞいてみたら小バエが飛んでるのとプラスチックの端っこらしいものが見えた。だから十中八九あると思った。結局ほんとにあったわけだけど」


「ソ、ソウカ。ナルホド」


 マジョルカはがくんと肩を落とした。


「こっちもひとつ聞きたい。『ドゥオモ』や『イリスルミナス』、『クラドノータ』の使い道はわかった。けど『インゲンス』は何に使うんだ?」


「ン、アア、アレカ。アレハ」


 インゲンス・マンモスオオカブト。

 ゆっきーがブリードを依頼された、魔界のカブクワ五種のひとつ。

 魔界の森で最大のカブト。

 神木を思わせるほどデカい、超巨大な幼虫はいまだに成長中である。


「アレハ、食ベルノダ」


「食べ? おおぅ」


 ゆっきーは目をぱちくりさせた。


「土ガアレバ、ドコデモ育ツ。量ガ多クテ、栄養価ガ高イ。兵隊ノ食料トシテピッタリダ」


「カブトの幼虫って、泥くさくて食べれたもんじゃないって聞くけど」


「好ミノ問題ダナ、私ハ好キダゾ。ソレニ戦地デ贅沢ハ言エン。ダガ一ツ問題ガアッタ」


「問題? 食べ過ぎて絶滅しかかってることか」


「ソレモアルガ、モット別ノコトダ。『インゲンス』ノ幼虫ハ、自然下デハ成長スルノニ、ソレホド時間ハカカラナイ。対シテ、人工飼育ダト、一年以上カカル。ソコガ難点ダッタ」


「そっか……。じゃあ、ぼくはその問題を解決できてなかったわけだ」


 マジョルカはゆっくり首をふった。


「問題ナイ。ホカノ者ガ解決シタ。『インゲンス』ノ幼虫ハ、岩石ヲ食ベルコトガ分カッタ。特別ニ教エテヤルガ、『コンクリート』ヲ混ゼタ土ダト、劇的ニ成長スルラシイ」


「へえ、そりゃおもしろい。今度やってみよっかな」


 コンテナハウスの呼び出し音が、「ぴんぽーん」と鳴った。

 うすい壁を通して、『ふたり分の女子』の会話が聞こえてくる。

 桜子たちが来たのだ。


 今日はニジイロクワガタの幼虫を割り出す予定だった。

 扉を開けると、桜子がひとり立っている。

 若草色のトップスとフレアスカートという爽やかな出で立ちだ。


「やっほー、ゆっきー」


「やあ、桜子」


「ね、聞いて聞いて! 今朝起きたらね、オオクワが羽化してたの! 去年、ゆっきーからもらったやつ。まだ羽が白っぽかったから、きっと羽化したばっかりだわ」


「おお、やったじゃん」


 桜子が背負ったナップサックから、琥珀色の虫がひょこっと顔を出した。

 外の様子をうかがうように、かわいい触覚がぴろぴろと動く。


「そこにいたのか。こんにちは、ウララ」


『こんちはっ! あのねー、クワガタね、ひっくり返って足もごもごさせてたの』


「いいんだよ、それで。体が固まるまで、しばらくそんな感じだから」


「ね、ね、ゆっきー、今日はニジイロの幼虫、何頭かもらえるんでしょ? ウララもほしいって言うんだけど、いいかしら」


「全然オッケー。育てるのは桜子が手伝ってやってよ」


 カブトムシがクワガタを飼うのか……。

 ちょっとおかしくて、ゆっきーはクスッとした。

 と言っても、パンテオンは人間の小学生並みの知能がある。

 生き物を飼って面倒を見るのは、いい情操教育になるはずだ。


「ユッキー、ユッキー」


「ん、なんだ、マジョルカ」


「私ニモ幼虫、クレナイカ? ニジイロノ幼虫ハ、タクサン取レルンダロ? 是非トモ、食ベテミタイノダ。……ジュルリ」


 目をぎょろっとさせて、マジョルカはふとい舌でクチバシをなめた。


「ちょっと! ふざけたこと言わないでよ、この鳥野郎!」


『やだぁ。鳥さん、幼虫、食べちゃだめえっ』


「大丈夫だよ、ふたりとも。食べさせたりしないから。マジョルカ、悪いけどおまえはあきらめてくれ」


「ズルイゾ。私ダケ、モラエナイノカ」


「食べるとかマジでやめてよね、それとさぁ、ベロ出さないでくれる? いやらしい」


「…………ッ。ホッホゥ」


 ニヤっといやな笑い方をしたマジョルカは、そのふとい舌を出しながらバタバタ飛んで桜子のまわりを旋回しはじめた。


「ベロベロ、ホォーラ、ベロベロォ~」


「うあっ、きゃあー! なにすんのよぉっ! あっ、ちょ、やめっ、このエロ鳥ぃーっ!」


「クケケケッ、ベーロベロベロベロ~~ッ」


 緑や紫の羽根がバサバサ舞うなか、黄色い悲鳴が上がる。


「あんた! 鉄拳くらわすわよ!」


「桜子ノ、ヘナチョコパンチナンゾ、クラウモンカ。カウンターデ指ヲ、ペロペロシテヤル」


「うげげっ、キモっ」


「ベ~ロベロリンッ!」


「おい、マジョルカ、いいかげんにしろ」


「ケケケッ、足ヲ舐メテヤロウカ、首筋ヲ舐メテヤロウカ」


「もー、こいつサイテー!」


「ケーケケケッ!」


『えいっ』


 ――ぱしぃっ。


 乾いた音がひびき、青い電気が走った。

 さっきまで元気に飛んでた鳥が、さかさまにぽとりと落ちる。


「ギ、ギュ、ギュエエ。デ、電撃ハ反則ダ……」


 マジョルカは目を白黒させて、しびれた体をなんとか動かそうとしていた。

 ゆっきーは半分笑い、半分あきれた。


「頼むから、ここでケンカしないでくれ」


 ひとりメンバーが増えて、前よりにぎやか。

 どうやら今年は、去年よりも濃ゆい時間をすごすことになりそうである。

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