第40話 v.s. 魔界の使者 マジョルカ! 後編

 あまい。

 あまいな、ゆっきー。


 こういうこともあろうかと、『ドゥオモ』だけべつの場所で独自に幼虫を育てていたのだ。

 万が一ほかの誰かに見つかることも考えて、育てる場所は桜子の住む御花見家にしていた。

 桜子の家族なら最悪、見つかっても有耶無耶にできると踏んでのことだった。

 魔界の生物をこの人間界でこっそり飼うのは、本当ならリスクの高い行為である。

 もし見つかって警察や保健所に通報されたりしたら、それまでの苦労が水の泡になるからだ。


 あっという間に、マジョルカは御花見家に舞い戻った。

 桜子の部屋のほぼ反対側、家の下部に空調のための換気口がある。

 マジョルカは金属製の枠をこれまた器用に外し、身をくぐらせて中へ入った。

 換気口は幅があるが、縦にせまい。

 中には、ぷ~~ん、ぷ~~ん、と小バエが飛び交っている。

 換気口を少し進んだところに、幼虫を入れたプラスチックの容器がいくつも置かれていた。

 容器にはいずれも、びっちりとマットが詰められている。

 この換気口は、全部で三箇所ある秘密の飼育場のうちのひとつである。

 プラスチックの容器をひとつひとつ、ふたを開けて、中身をぶちまけた。

 マットから煙が立ちのぼるように、ぷわぁ~~~んと無数の小バエが飛び出す。

 太く育っている幼虫たちを見て、マジョルカはほくそえんだ。

 ドゥオモは幼虫の時点でもすでに小さな結晶体がある。おしりの辺りにそれがあることを、マジョルカは知っていた。

 結晶を五、六個ほど取り出して、ゆっきーたちにぶつけてやる。

 小さいがそれでも十分な威力だろう。

 幼虫たちをマットから出して、きれいに横一列に並べた。

 クチバシを大きく振りかざす。


 すまないなぁ。おまえたちに恨みはないが、殺して体の中の結晶をもらうことにするよ。

 残った『肉』は私が責任持って食べてやるから安心しろ。


 クチバシから、つつーっとヨダレが垂れる。

 そして、まさにクチバシが振り下ろされんとしたそのとき――。


 マジョルカは首筋に冷たい刃物を突きつけられたような怖気をおぼえた。


「???」


 いったい、なんだ? 今の感覚は?

 振り向こうとしたとき、うしろから声が聞こえてきた。


「ほんとだ。いたわ」


 マジョルカは身震いした。


 い、いいい、いまの、声は……。


「ねえ、こっち向きなさいよ」


 抑揚のない、冷気のこもった声。

 そおっと振り返ると、狭い換気口に無理やり体を突っ込んでいる人間のメスがいた。


「うわ、派手な顔の鳥」


「ウ、ウワワッ。オ、オマエハッ」


「へえー、たしかに機械みたいな声ね。気持ち悪い」


「サ、桜子ノ姉!」


「ふうん、あたしのこと知ってるの。んー? そう言えば……あんた前に見たことあるわね」


「オ、オマエ、ソコデ何ヤッテル!」


「変な鳥がうちに入ってくるかもって言うから、手分けして探してたのよ。床下の倉庫か、クローゼットの収納か、換気口か、どれかだろうって。こっちがビンゴだったわけだけど」


 マジョルカはあたふたした。


「オ、教エテモラッタ? マサカ、ユッキーカ? 何故ダ、ドウシテ、ココガ分カッタ?」


 桜子の姉は、たかってくる小バエをうっとうしそうに手で払った。


「そう、白藤くんが電話で教えてくれた。まったく、夜勤明けに何させるんだか。どうしてって? 『小バエが出てるから』でしょ」


 小バエ? 小バエが出てるからなんだ、答えになってないぞ。


 混乱してすぐに行動に移さなかったのが運の尽きだった。

 姉が肘でずりっと這いずると、いきなり手が伸びてきてマジョルカの足首をつかんだ。


「ヒイッ」


 この女は手が氷でできているのかと思うほどだった。

 つかまれた足が異様に冷たい。


「ねえ、ここ最近、どれだけがまんしてきたと思う?」


「ガ、ガマン、ダト?」


 姉が並べてある幼虫をあごでしゃくった。

 プラスチックの容器のまわりを小バエがつかずはなれず飛び回っている。


「小バエって、飛んでるだけでも、かなりいらつくのに」


 姉の声がぐっと冷たさを増した。


「ごはんに寄ってきたり」


「ウ」


「スマホとかテレビにまとわりついたり」


「ウウ」


「寝てるとき、耳のそばを飛んだり」


「ウウウ」


「いくら退治してもきりがないし、出所を探しても見つからないし、すっごいストレスたまってたのよね」


 姉の手が足首からはなれ、なめらかな動作でマジョルカの首まで上ってきた。

 自然な動作でクチバシを指でつかまれる。


「それはいったい、だ、れ、の、せいかしらねぇ? しゃべる鳥さん?」


 マジョルカはようやく自分のミスに気づいた。

 ここで幼虫を育てたりしたから、大量に小バエが出た。

 なんだかわからないが、どうもそれがヒントになってこの場所がバレたようだ。

 小バエのことなど気にもしていなかった。


「ちょっと話があるのよ。外に出ましょ」


 姉がマジョルカの背中をやさしくつついた。


「ほら、こっちに来て」


「ウググ」


 マジョルカは姉の顔を横目でチラ見して、何食わぬ顔でドゥオモの幼虫をクチバシでつまもうとした。


「さわらないで!」


 姉の声に、体が動きを止めた。

 氷水をぶっかけられたかのように体が硬直してしまったのだ。


「ワ、ワ、ワワ、分カッタ」


「話をするだけよ。そのまま、すうっと外に出てくれないかしら」


「ア、アア。了解シタ」


 マジョルカは小刻みにふるえながら、換気口の外へ歩いていった。



 ――*――*――*――*――*――*――*――*――*――



「そうですか、ありがとうございます。ええ、好きにしてくださってけっこうです」


 ゆっきーはスマホの通話を切った。


「お姉ちゃんのとこに行ったの?」


「そうみたい」


「あいつも運がないわねえ」


 ふたりして、あははっと笑った。

 いっしょにパンテちゃんも笛を吹くような音を立てた。


「幼虫と小バエ、いたってさ」


 桜子は「うわぁ」とつぶやいて、目をおおった。


「お姉ちゃん、怒ってたでしょー」


「声はいつもの調子だったよ。でもたぶん、怒ってたと思う」


「あーあ。あのエロ鳥、大丈夫かしら。まさか殺されはしないだろうけど」


「そのへんは桜子のお姉さんにまかせるよ。まあ、きついお説教ですむんじゃないかな。とりあえずこれで当座の危険はなくなったと考えていいと思うよ」


 桜子はパッと顔を輝かせた。


「パンテちゃんっ、よかったわね、もう安心よ!」


 桜子はもう一度、パンテちゃんとぎゅっとハグをした。


「無事に羽化したことだし、今度こそちゃんとした名前をつけてあげたら?」


「うん。実はあたし、もう考えてある」


 桜子はパンテオンの成虫の、感情を宿した目をじっと見つめた。


「きみの名前は、『ウララ』よ」


『うー……らら?』


「あたしのひいおばあちゃんの名前。あたしと同じように、虫が好きだったんだって」


「いい名前じゃん。おめでとう、ウララ。今日がもうひとつのきみの誕生日だね」


『にひっ』


 琥珀色に輝くウララは、はにかむように笑ったかに見えた。



 ゆっきーのスマホが再び鳴った。


「お姉さんからかな。あれ、父さん?」


『雪、あ、あれはなんだ』


「ごめん、父さん。勝手に書斎、使っちゃった。カギも……」


『それはいい。無断で父さんの書斎を使ったことも、カギをかけたことも、この際いい。だがあのデカイのはなんだ? 父さん、あ、あんなの知らないぞ。あんな巨大な幼虫はっ!』


 ゆっきーは「しまったぁ」という顔をした。

 桜子はそっと近づいて聞いた。


「どうしたの?」


「魔界のカブクワ、父さんの書斎に隠しといたんだ。だけどインゲンスの幼虫はデカすぎてどうしようもないから、そのまま畳の上にぼてんって置いておいた」


「そ、それは」


 ゆっきーのお父さんは、ずいぶんとおどろいたにちがいない。


『その声は桜子さんか? 雪、ふたりして何やってる。ちょっと説明が足りないんじゃないのか? ああっ、デカイ幼虫が床の間をかじっている! どうしたらいい! うわあっ!』


 ゆっきーは桜子に「あとは頼んだ」と言うと、大急ぎで家へと走っていった。

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