第39話 v.s. 魔界の使者 マジョルカ! 中編

「桜子、オ前ハ我ガ国デ、兵舎ノ教官トシテ第二ノ人生ヲ歩ムノダ。身ヲモッテ、愛情ノ与エ方ヲ示セ。歓迎スルゾ」


 ええ、いいわ。

 この子といっしょなら、どこにでも行くわ。


「サア! 連レテ来ルノダ!」


 桜子が衣装ケースのそばにしゃがんで、抱っこひもを広げた。

 ゆっきーが羽化したばかりのパンテちゃんを取り出そうと手を伸ばす。


 ゆっきーがパンテちゃんに触れた瞬間、奇妙な音が鳴り響いた。

 まるでハーモニカを吹くような――、高く、澄んで、いくつもの音階が重なった音だった。


『ヴィイイーーーッ!』


 パンテちゃんが羽を広げて、大きく体を反らした。


『やだっ、つれてかないで!』


 それは声だった。

 横っ腹にある左右五個ずつの気門から空気を吐いて、重なり合う声を出していた。


『あたし、行きたくないっ、三人いっしょにいたい! お願い、目を覚まして! さくら! さーくーらぁーっ!』


 その叫びは、まるで母を求める幼児の声さながらだった。

 夢想の世界に入りこんでいた桜子にも、その叫び声は届いた。


「パ……パンテちゃん!」


 いまだ七色の光が消えない視界のなか、桜子は声を張り上げた。


「パンテちゃん! 覚えててくれたの!?」


『何言ってるの、忘れるわけないよー!』


「と、とりあえず、早くあの鳥から逃げてっ!」


『やだ、さくらといっしょがいい!』


 パンテちゃんの短い頭角から、青い光が飛んだ。


『鳥さん、きらい! あっちいって!』


 バチバチバチバチィッ!


「あだだだだだだっ」


「あっ、あっ、いたい、いたい!」


「ウガガギゴ、ガガッ!」


 全身がびりっとしびれた。ゆっくりと桜子の視界が戻る。

 横を見ると、ゆっきーが頭を抱えていた。


「いってぇ。なんか、すっごい静電気みたいなのが来た」


 ゆっきーの目をのぞきこんでみる。

 焦点が合っていた。どうやら正気に戻っているようだ。


「マ、マサカ、羽化シタバカリデ電撃ヲ放ツトハッ」


 桜子は見た。

 パンテちゃんの外翅に青いラインがいくつも走ったかと思うと、それが頭の短い角に向かって収束し、空気中へ解き放たれたのだ。


「ムギャギャギャッ!」


 今度は、電撃に撃たれたのはマジョルカだけだった。


「チョ、チョット待テ、話ヲ聞ケ!」


 バリバリバリッ!


「アニャガニャニャアアッ!」


「このエロ鳥! とっとと出てけ!」


 マジョルカは光る外翅を取り落とし、ほうほうの体で窓から飛び去っていった。


「ありがとう、パンテちゃん! あなた、すごいわ」


『さくらぁ』


 六本の『手』で抱きつくパンテちゃんを、桜子はぎゅうっとハグした。


「マジョルカのやつ、パンテオンにこんな性質があること、黙ってやがったな。ただでさえ強いのに電撃まで出すのか。そりゃ戦争に使いたがるわけだ」


「ねえ、あいつ、どうしよう」


 このまま放っておくのは危険な気がする。

 ゆっきーはポケットからスマホを取り出した。


「まかせて。あいつがこれから何をするかは、だいたい予想がつく」



 ――*――*――*――*――*――*――*――*――*――



 階層世界の第六階層、通称『魔界』の使者たる怪鳥マジョルカは、電撃でしびれる翼をなんとか羽ばたかせて飛んでいた。


 彼はあきらめたわけではなかった。

 パンテオンはまだ多くの成虫が魔界にいるが、まずいことに新たな世代がほとんど産まれていない。

 今いる成虫に寿命が来たら、絶滅待ったなしになる。

 数少ないパンテオンの成虫、それも『完品羽化』のメス。

 個体数を増やすためには、あのメスを何が何でも手に入れなければならなかった。

 マジョルカはゆっきーの自宅、白藤家へと急いだ。

 あそこには魔界のカブクワが残されている。

 こういう不測の事態のために、わざと残しておいたのだ。

 特に必要なのは、あれだ。


 ――『ドゥオモオオカブト』。


 ゆっきーにブリードを依頼した五種のうちのひとつ。

 垂直に伸びる七本の角と、白く堅い羽が特徴のカブトムシ。

 魔界での呼び名をこちらの言葉に直訳すると、『雷を呑んだ虫』となる。

 そもそも『クラドノータ』だの『インゲンス』だのという名前は、ゆっきーが勝手につけたものだ。

 最初、ゆっきーには魔界で呼ばれている名前を教えた。

 だがそれはヒトには発音しにくい名前だったため、ゆっきーは名前から連想した単語を組み合わせ、新しく名前をつけ直したのだ。

 ただ、『雷を呑んだ虫』だけはウソの名前を教えた。

 『尖塔のごときトゲのあるカブトムシ』、とかなんとか。

 本当の名前を教えておかなくてよかったと思う。あれだけ頭がまわるなら、名前から感づく可能性もあった。

 『雷を呑んだ虫』もとい『ドゥオモオオカブト』は、成虫の腹のなかに黒い結晶体を作る。

 それが砕かれると、すさまじい音と光と衝撃が放たれるのだ。


 この結晶体は昔から色んな用途に使われてきた。

 現地のネコ獣人たちは、その結晶体だけを取り出して狩りに利用する。

 ときに部族間の争いにも使われるようだ。すさまじい音と光と衝撃の三連コンボは、ほとんどの生き物を一時的にスタンさせてしまうのである。

 マジョルカの所属する国もこれを戦争に利用していた。『託宣』で大量殺戮魔法のたぐいが禁止されているため、こういったものを使うしか手がないのだ。

 もっとも威力は折り紙つきで、集団戦闘からゲリラ戦、暗殺、陽動、制圧、などなど、なんにでも使える。

 連続して破裂させれば、頑健なパンテオンの成虫とて耐えきれないだろう。ひっくり返ってしばらく身動き取れなくなるはずだ。電撃など使うひまはない。

 当然、ただのヒューマノイドにすぎないゆっきーや桜子は間違いなく昏倒する。

 そのすきにパンテオンの成虫を外へ引きずり出してやろう。

 あれくらいのサイズなら足でつかんだまま余裕で空を飛べる。そのまま裏手の山にある『階層の穴』に運んでしまえばいい。

 桜子を連れて行けないのは痛いが、それはまた別の機会でいい。


 マジョルカの行く手に、ゆっきーのコンテナハウスが見えてきた。

 高速飛行のまま近づき、すべりこむようにして入り口の扉にとりつく。

 首から下げた巾着袋から鍵を取り出して、扉の鍵穴に差し込んだ、


「ムムッ!?」


 鍵が、奥まで入らない。

 いつの間にか鍵を変えられていたようだ。


 けっ、まあいい。

 だったら、違うところから入るだけだ。


 マジョルカは翼を一打ちして、扉の真上にある出窓に飛び乗った。

 春先にもここから入ったことがある。

 ネジを器用にはずし、窓枠をこじ開けて中へ忍びこんだ。

 そのまま魔界のカブクワが飼育されている秘密の部屋へ直行する。

 そこの鍵はなぜか、かかっていなかった。

 まるで入ってもかまわないと言わんばかり。

 妙な予感がした。

 そして扉を開けた途端、「ウグッ」とマジョルカは目を丸くした。


 がらんどうだったのだ。


「ド、ドウナッテイル?」


 『ドゥオモ』も、『イリスルミナス』も、『クラドノータ』もいない。

 巨大水槽には掘り出したあとがあり、あれほど大きな『インゲンス』の姿さえも見当たらなかった。

 魔界のカブクワたちが、ゆっきーのコンテナハウスから一頭残らず消えていた。


「マ、マサカッ?」


 ピロピロピロッ。


 どこかから電子音が鳴った。

 知っている。これはスマホと呼ばれる通信機器の着信音だ。

 音のするほうを向くと、うす暗闇のなかでスマホよりも少し大きめの画面がぼわっと光っている。

 スマホではなくタブレットというものだった。大きさが違うだけで基本は同じらしい。

 いやぁな予感がしたが、マジョルカは鳴り続けるタブレットに近づき、猿のような足で通話ボタンに触れた。


『やあ、やっぱり、そこにいた』


「ユッ、ユッキー!」


『残念だけど、もらったカブクワたちはほかのところに移したよ』


 ぐううっ、とマジョルカは歯噛みした。


『パンテオンだけが戦争に使うものじゃないよな。ほかのもそうなんだろ? いやあ、全部一気に移すのは一苦労だったよ』


「ムガァーッ!」


 マジョルカは返事もせずにきびすを返すと、入ってきた窓枠から飛び出した。


『あ、おい待て! どこ行くんだ!』


 くっ、くっそぉおおぉ、あのガキめええ!

 これほど用意周到だとは!

 まんまとしてやられた。

 道理で昨日の夜、ゆっきーがすぐ桜子の部屋に来なかったわけだ。

 ずっと桜子とパンテオンを見張っていたから、ゆっきーが何をしているかまではわからなかった。

 まさか魔界のカブクワたちを片付けていたとは!


 全速力で風を切り、再び御花見家へ飛んでいく。


「クッ」


 思わず笑いがこみ上げた。


 クッ、クックッ。クックックッ。


 空を飛びながら、のどを鳴らして笑う。笑い声は風の向こうへ消えていく。


 あまい。

 あまいな、ゆっきー。

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