第38話 v.s. 魔界の使者、マジョルカ! 前編

「ソコノ、パンテオンの成虫、私ニ渡シテモラオウカ」


「っ! だめ!」


 桜子はパンテちゃんの前に、両手を広げて立ちふさがった。


「ダメト言ワレテモ、ソウイウ約束ナノダ。ソウダロウ? ユッキー」


「たしかにそうだけど」


 ゆっきーはわざとらしく口ごもった。


「それはぼくとの約束だろ? 育てたのは桜子だ。あいつとはなんの約束もしてないよな」


「オイオイ、ソレハ通用シナイゾ」


「言ってみただけ。屁理屈だよ、わかってる」


「ダッタラ、早ク渡スノダ」


「『絶滅危惧種の繁殖』のためなら、渡してもいい」


 桜子はびっくりして、ゆっきーのほうを振り向いた。


「いやよっ! あたし、この子とはなれたくない!」


 ゆっきーは桜子をさとすように、肩に手を置いて首を横に振った。


「もともと魔界から提供されたものだったんだ。返すのが道理だよ」


「そんなぁ」


「それに渡さないって言うなら、このあとどうするつもり? 現時点で、パンテオンの成虫はこの一頭しかいない。こっちで一生ひとりぼっちで過ごさせるの?」


「そ、それは……」


「故郷で仲間と過ごすのが、幸せだと思う」


 桜子はうなだれた。返す言葉がない。


「サスガダ、ユッキー。話ガ分カル」


「う~ん、でもね……」


 ゆっきーは芝居がかった様子で、うで組みをした。


「ン? ナンダ?」


「ちょっと気になるんだけどさ」


「ナンダ、何ガ気ニナルノダ」


「魔界に連れ帰ったとたん、売り飛ばしたりしないよね?」


 マジョルカはニタッと笑って、うんうんと頭を縦に動かした。


「アア、売ッタリシナイ」


「見世物小屋に閉じ込めたりしない?」


「ククッ。シナイ、シナイ」


「ちゃんと野生に帰す?」


「ヤ、野生? ア、アア、調査ガ終ワレバ……」


「戦争に使ったりしない?」


「セ、ンッ? 戦争ッ?」


 急にマジョルカはへどもどした。


「ソ、ソンナコトッ、スルワケナイッ。ス、ス、スルワケ、ナイダロ、ソンナ、ソンナ……」


 マジョルカは落ち着きなをなくし、視線をあっちこっちに向けている。

 突然、ゆっきーの声質が硬いものに変わった。


「やっぱりか、おまえ!」


 マジョルカは全身の羽根を逆立てて、あわてふためいた。


「ワ、私ハ何モ言ッテナイッ」


「言ったも同然だよ。その反応で十分だ」


 桜子の頭は混乱した。


 さっき、彼はなんて?


「ゆ、ゆっきー。それはどういう意味?」


「桜子、ぼくたちは知らず戦争行為に加担するとこだったんだ」


「えっ、えっ?」


「魔界の連中がパンテオンのブリード法を知りたがったのは、戦争に使うためだ」


 ゆっきーはマジョルカに向き直った。


「マジョルカ、魔界の戦争が終わっただなんてウソだろ。パンテオン・ヴィルガオオカブトは戦争に使われていて、今も使われてる。そうなんだろ?」


 魔界のエロ鳥は、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。

 桜子は信じられない思いだった。


「あんた、それ本当?」


「ウ……ウウ」


「なに、マジなの? いや、っていうか、戦争に使うってどういう意味よ」


「……ドーモコーモ、ソノママノ意味ダ」


「たぶん兵隊としてだよ。力が強くて、火に巻かれても平気なほど頑丈、しかも知能は高い。訓練させればすごい戦力になると思う。さながら超強い軍用犬……」


 そこで一度言葉を切った。


「いや、知能は犬よりはるかに高い、そのわりには未熟な情緒……、軍用犬と言うよりむしろ少年兵、のほうが近いか」


 桜子は愕然とした。


「戦争に使われるってことは……、もちろん死ぬ可能性があるってことよね」


「そりゃあ、当然」


「…………ひどい」


 桜子は抗議の声を上げた。


「絶滅危惧種の繁殖っていうのは、協力させるためのウソだったのね」


「まったくだ。いい方便だよ、すっかりだまされた。でも案外それも本当だったかもね」


「へ、どーいうこと?」


 ゆっきーはマジョルカにも聞こえるように、少し大きな声で説明し始めた。


「戦争で大量に使いつぶしたか、それとも住処の森を破壊してしまったか、とにかくパンテオンの数は本当に減ってたんだろう。だからブリード法を探ろうとしたんだ」


 マジョルカは是とも否とも言わず、ゆっきーの言葉を聞いている。


「魔界の文明度がどの程度か、僕には正確にはわからない。でも昆虫のブリードなんてまだ誰もやってないんだろ。ブリードする方法が皆目見当つかないから、ほかの階層に行ってできそうなやつに丸投げしようってなったんだ。それが一番簡単だからってさ。そうじゃないか? マジョルカ」


 マジョルカはうつむいて、翼についたかぎ爪で首をポリポリと掻いた。


「フフッ、本当ニサスガダナ。ソコマデ見抜カレテイルトハ」


「はっきり言う。戦争の道具に使う気なら、パンテオンの成虫は絶対に渡さない」


 ゆっきーの決意を聞いて、桜子は胸をなでおろした。

 マジョルカはヤレヤレといった感じで首を左右に振った。


「ショウガナイナ。出来レバ、コウイウ手ハ使イタクナカッタガ……」


 桜子は首にかかった小さな巾着袋を、かぎ爪でつかんだ。


 ん? あれはなに?

 あいつ、あんな小さなポーチ、以前は身につけていなかったはず。


「ユッキー。コレガ何カ、分カルカ?」


 巾着袋から取り出したのは、淡く光る石のようなものだった。

 表面に不思議な紋様がある。

 見つめていると、その紋様がぐにゃぐにゃと動き出した。

 光も強くなり、明滅し始める。


「桜子!」


「っ! わかってる!」


 ふたりは咄嗟に目を手で遮って顔を背けた。

 ゆっきーが持参したナップサックに飛びつき、何か取り出して桜子に手渡す。


「ムムッ?」


 マジョルカが目を剥いた。

 桜子とゆっきーのふたりは、スキー用のゴーグルを顔につけていた。


「大晦日に、桜子のこと、警官から助けてくれたろ? そのときの話を聞いて用意しておいたんだ」


 その話では、突然何かが光って、桜子は強いめまいを感じたという。そして気づけば警官は正気を失っていた。

 マジョルカが何か光る道具を持っていて、それで警官を攻撃したのは明らかだ。

 その光る道具とは何なのか、初めて目の当たりにして分かった。それは……。


「その光、『イリスルミナス』の外翅か? 死んだあとも効果があるなんてすごいな」


 イリスルミナス・オオツヤクワガタ。

 ゆっきーがブリードを依頼された魔界のカブクワ五種のうちのひとつ。

 魔界で最も美しく、最も人の心を惑わせる、危険なクワガタムシ。

 二十四色に発光する器官を持ち、見る者の精神を汚染するという。


 視界が揺らぎ、膝から崩れ落ちた。


「あ、あれ?」


「ううっ、なんか気持ちわる……」


「クックックッ、光ヲ遮ルアイデアハ、悪クナイ。ダガ、無駄ダ」


 桜子の視界が、ぐわんぐわんと激しく揺れ始めた。

 あわてて目を閉じるが、まぶたの裏に光が焼き付いて離れない。


「今頃、目ヲ閉ジテモ遅イ。スデニ光ハ、目ヲ通シテ脳ニ入ッタ」


 マジョルカは紋様のある石のようなものを高らかに掲げた。


「タダノ『イリスルミナス』ノ羽ダッタラ、防ゲタダロウ。シカシ残念ダッタナ。コレハ!」


 石の中で紋様が生き物のように踊り狂い、怪しい光がうねって四方に放たれた。

 それ自体、幻覚だったが、見ている者には現実だった。


「『イリスルミナス』ト『クラドノータ』、ソノ交雑種ダ!」


 クラドノータ・ミカヅキクワガタ。

 これもゆっきーが依頼された五種のひとつ。

 ツノゼミのような奇怪な姿が特徴だが、近縁種でなくとも交雑する(合いの子を作る)という節操なしである。


「『イリスルミナス』ノ『精神汚染ノ光』ハ、『クラドノータ』ト交雑スルコトデ、ヨリ強力ナ『催眠能力』ヲ得ルノダ!」


 光は七色となり、視界のなかで――否、脳のなかで激しくきらめいていた。


「マズハ、ソノミットモナイ眼鏡ヲ取ルノダ」


 ふたりは言われた通り、スキー用のゴーグルを自らの手で外した。

 よりハッキリと、目に幻惑の光が入るようになった。


「サア、次ダ。『パンテオン・ヴィルガオオカブト』ノ成虫、渡シテモラオウカ」


「……わかった」


「ええ……わかったわ」


「ヨシヨシ、チャント言ウコトヲ聞ケヨ。抵抗スルナ」


 そう、抵抗してはいけない。


「成虫ヲ、運ビヤスイ容レ物ニ、入レルノダ。何デモイイ、幼虫ノ時ニ、使ッテイタ物ガアルダロウ。ソレデイイ」


 ゆっきーが夢遊病者のように歩き、パンテちゃんのそばへ寄った。

 桜子は部屋の収納から、抱っこひもを引き出した。


「ソウダ、イイゾ」


 パンテちゃん、羽化したばっかりでまだ体が動かしにくいでしょ。

 これに入って。じっとしてればいいわ。


「連レテ来ルノハ……、桜子、オ前ダ」


 わかったわ。

 いっしょに行けばいいのね。


「ユッキート、ドチラニシヨウカ迷ッタガ、私ハオ前ヲ、高ク評価シテイル」


 そうなの? 意外ね。


「知識ハ教エラレル。技術ハ伝エラレル。ダガ、愛情ハ、ソウハイカナイ」


 マジョルカはクックックッと喉を鳴らして笑った。


「桜子、オ前ハ我ガ国デ、兵舎ノ教官トシテ第二ノ人生ヲ歩ムノダ。身ヲモッテ、愛情ノ与エ方ヲ示セ。歓迎スルゾ」

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