第34話 おでんわ、おでんわ

『へー、白藤くん、あんまり来ないんだ』


『あたしはもっときてほいしんですけどー』


『ねえねえ、ところでさ、そっちに赤ちゃんいるでしょ?』


『え、いないですよ?』


『ふぅーん』


 お手洗いから戻ってきた桜子は、ドア越しに会話が聞こえてきたので不審に思った。

 ガチャ、と自室のドアを開けると……。

 パンテちゃんが桜子のスマホを勝手に使って誰かと話していた。


『あ、さくら、もどってき……』


「パ、パンテちゃん! なにやってんの?」


『でんわ、かかってきたからー、かわりにでたのー』


 桜子は飛び上がりそうになった。


 あわわわわっ。

 そんなことしたら、別階層の生き物だってバレちゃうじゃん。

 警察か保健所のひとが来てしまう。


 パンテちゃんはカギ爪をうまく使って、桜子のスマホを操作していた。

 もともとお古のタブレットで動画を見たりしているので、扱いはお手のもののようだ(パンテちゃんの足にも静電気はあるらしい)。


 と、とりあえず、話してる相手は誰っ!


『さくら、あんた、こんなかわいい妹さんがいたのね』


 スマホにはよく知る顔が映っている。

 天然早とちりのオードリーこと、クラスメートの女子、不破踊(ふわ・おどり)だった。


 ……っ、この子かあー。


「踊、なんの用?」


『用? とくにないわ。なきゃだめ?』


「だめじゃないけど」


 用はないと言っているが、さっき赤ちゃんがいるかどうかをパンテちゃんにしれっと聞き出そうとしていたこと、桜子は聞き逃していなかった。

 まだ『赤ちゃん産んだ疑惑』は晴れていないのだと思う。

 その辺りを探りに電話をかけてきたのかもしれない。二人っきりなら教えてくれる……とか考えたりして。

 いっしょのクラスで毎日見かけてるんだし、そんなわけないじゃん、ほんとに産んでたらさすがに気づくでしょ、と少しあきれる。


 それよりオードリーはパンテちゃんの姿を見てしまった。

 さて、どうやって説明、もとい誤魔化そう。

 巨大なイモムシ姿で話すパンテちゃんのことを、どうやって。


 つんつん、とパンテちゃんがカギ爪で肩をつついてきた。


 やっぱりAI……AIかしら……。警官はともかくオードリーだったら誤魔化せそうだ。


 つんつん。


 AI搭載の最新式ぬいぐるみ。それでいこう。

 AIって便利だなぁ、さすがAI。


 つんつん。


「よーし、あー、踊ぃー。あのね、この子のことなんだけど…………さっきからどうしたの、パンテちゃん」


 おっきな蜜柑のような頭を寄せて、小刻みに身体を震わせてきた。

 ささやかな振動だけが伝わってくる。


『だいじょーぶだよ、すまほにはうつらないようにしたからー』


「およ?」


 桜子は片手で見得を切った。

 細かい振動はさらに『だってほらー、まえにひとまえにでちゃだめって、いわれたしー』と続いた。


「それ、早く言って……」


 あわてて損した、と桜子は思った。


『あんたの妹さん、恥ずかしがり屋さんなのね。全然顔見せてくれなかったの。それとも知らない人に顔見せちゃだめって教えられてんのかな』


「そ、そう、そうそう」


『話した感じだと五歳くらい? もうすぐ小学校?』


「そ、そんくらいかな(精神年齢は)。小学校は、うーん、すぐは行けないかな〜」


『年の割にずいぶんしっかりしてたわね、物怖じしないし、頭良さそうだったし。話しててなんて言うか、知性を感じたわ。自慢の妹さんでしょー。うちの甥っ子が小学校上がるときは、同じ登校班になるんじゃない? そん時はよろしくね。年上のお姉さんよねえ、初恋になっちゃうかも! あ、まだ気が早いかー。いつか甥っ子が言葉話せるようになったら、遊びに連れてってもいい? そしたら会わせてくれるよね? あ、それから』


 話、ぽんぽん飛ぶなぁ。


 思い込みと早とちりでどんどん会話が明後日の方へ行ってしまう。

 けれどこれが彼女の魅力でもある。

 桜子とパンテちゃんは、しばしの間、オードリーとの会話を楽しんだ。



 後日、そのときの話をするとゆっきーは目を見開いた。


「それだ」


「なに?」


「パンテちゃんが僕らとしか会話したことがないのは、偏りすぎてると思ってたんだ。いつかほかの人と会話させようと考えていたんだけど、電話で話すのはいい手だと思う」


「そう言えば、前にそんなこと言ってたわね」


「よし、さっそく身近な人に頼んでみよう」


 最初の一人は、ゆっきーの父にお願いすることにした。

 ゆっきーは「ネットで知り合った外国の小学生が、日本語の会話の練習をしたいと言っている。いろんな人と話したいということなので少し相手をしてやってほしい」と頼んだという。

 ツッコミどころがいっぱいあるが、ひとまず承諾してくれたらしい。

 スマホ越しに見るゆっきーの父は、戸惑いを隠せない様子だった。

 息子の頼みだからと引き受けたものの、完全に納得しているわけではなさそうだ。


『もしもし、あたしパンテちゃんです』


『はい、こんにちは。雪……ゆっきーの父です。はじめまして』


 スマホにはアニメ調の女の子が映っていた。

 おだんごヘアーの八重歯幼女だ。

 ゆっきーがアプリを使って即席で作った、造りの甘いアバターだった。

 声はボイスチェンジャーでこどもっぽい高い音に変えてある。

 これはパンテちゃんの正体を隠すための措置である。

 ひいてはマジョルカたち別階層のものたちから、電話の相手を守ることにもつながる。

 万一マジョルカたちが、事情を知る人間を全て始末するつもりだとまずいからだ(そこまではやらないだろうと桜子は楽観視しているが)。


 おじさん、すごい困った顔してるなあ。

 相手が素顔を出さないこと、どう説明して納得してもらったんだろう?


 ともかく、こうして電子機器を間にはさんだ異種間会話は始まったのだった——。


『えー、パンテさんは毎日何をして過ごしていますか』


『ほんをよんだり、おりがみをおったりしてますー』


『折り紙ですか、いいですね』


『どうがでおりかた、べんきょうしてまーす』


 これは異種間の会話だが、ある意味異世界間の会話でもあるし、かなりの世代差の会話でもある。

 会話はそのまま十五分ほど無難に続いた。

 ボロが出るといけないので、そろそろ切り上げようとゆっきーが割り込もうとしたとき、ゆっきーの父がした質問が波紋を広げた。


『パンテさんはうちの息子と桜子さん、二人と仲良いのですね』


『はーい、なかいいです。さくらはあたしがうまれたときからいっしょにいて、なかいいしー。ゆっきーはときどき、あたしとさくらがすんでるおうちにきて、あそんでくれますー』


『おや? 桜子さんといっしょに住んでるんですか? 生まれたときから……?』


『そうでーす』


『いや、でも……あの、パンテさん、あなた、桜子さんとはどういうご関係で……差し支えなければ教えていただけますか』


『うーーん? ともだち? おねえちゃん? でも、ごはんもだしてくれるし、おふとんもつくってくれるし、うんこもかたづけてくれるし……ママとかおかあさんにちかい、のかな』


 桜子はなんだかいやな予感がした。

 既視感に似た予感だ。


『ではパンテさん、うちの息子とはどういうご関係ですか』


『あー、それはともだちですー』


『ほお、友だち』


『ときどき、あそびにきてくれてー、さくらとさんにんでおでかけしたりしてー』


 ゆっきーが動きを止めた。


『さくらがあたしをだっこしてー、さくらがつかれたら、ゆっきーにだっこしてもらってー、たまに、たかいたかいしてもらったりー』


『……』


『あたし、さくらと、ゆっきーと、さんにんいっしょだと、なんだかすごくきもちがあったかいのー』


 スマホに映るゆっきーの父の背中から、ゆらっと陽炎のようなオーラが立ち上がった。

 その顔は菩薩か如来のよう。


『桜子さん』


『は、はひっ?』


 桜子は無意識のうちに居住まいをただした。


『うちの息子について……謝罪と感謝を申し上げねばならないようですね……』


『え、えと、べつにそんな』


『父さん?』


『雪、おまえはあとで話がある』


 ゆっきーの父は眼鏡を外して目をつぶり、右手の親指と人差し指で、目をよく揉んだ。

 ふーっと重い息をつく。

 また眼鏡をかけた。


『まさかこんな形で……いや、それはこの際いいでしょう、複雑ですが……。ごほん』


 ゆっきーの父は咳払いをして、やさしい目を向けてきた。

 桜子とゆっきーとは目を合わせた。

 彼も、まずいなあと言わんばかりの困った顔をしている。

 たぶん、互いに抱く予感は同じだ。


『単刀直入にお聞きます。パンテさんはもしかして、桜子さんと雪の……』


「ち、ちがいますちがいます!」

「そんなわけないだろ! 誤解がある!」


 パンテちゃんだけが、ぽかんとして太い首をひねっていた。



 次の会話の相手は桜子の父だった。

 前もって、ゆっきーの父に言ったのと同じ、嘘の事情を説明してある。


『もしもし、あたしパンテちゃんです』


『あー、はいはい、こんにちは』


 桜子の父は部屋着とは思えない、パリッと糊の効いた襟付きの服を着ている。

 普段、はだかステテコ姿を見慣れているせいで違和感が超ハンパない。


『いやあ、しかし、話をするのに顔を見せないというのはなあ、おじさん、ちょおお〜〜っとどうかと思うなあ』


 開口一番、父は苦言を呈した。

 無理もないが、そこは有耶無耶にしてほしかったなと思う。


『ごめんなさい、あたし、ヒトとはちがうかお、してますのでー。びっくりさせるといけないかなと思いましてー』


『えっ、人とは違う顔……』


 父はあたふたし始めた。

 困った目線を娘である自分に向けてくる。

 説明できないので顔ごと目をそらした。


『い、いや、べつにそういうつもりで言ったわけじゃないんだよ。そうだね、外見にこだわるのはよくないね。こちらこそ、すいません』


 よく分からないが、何か勝手に解釈してくれているようだ。


「いいから、お父さん、お話、お話して。ほら、好きな食べ物とか、なんでもいいから」


『そ、そうだね、パンテさん……は、何が好きかな? おじさんはお酒好きだな、あ、あははは……』


『すきなごはん? あたし、つちしかたべたことないですー』


『つ、土っ?』


 父が頓狂な声を上げて、目線をキョロキョロさせた。桜子とゆっきーを交互に見ている。


「土みたいな味、その、つまり、あまり美味しいものは食べたことないってことよっ」


『あたし、おいしいって、よくわかんないんですー』


 パンテちゃんの味覚は、あまり発達してないようだ。

 土(マット)の種類をいくつか用意して選ばせたことがあるが、臭いで判断して、味は関係ないようだった。


 父が目尻をぬぐった。


『そんな……おいしいものは世の中にたくさんあるんだよ。うちに来たら、たくさんご馳走してあげるのに、ぐずっ』


『ありがとうございますー。おとなになったらあまいあじのものをたべるようになるらしいので、そのときはおねがいしますー。あまいってよくわかんないですけどー』


『? 大人になってからと言わず、いつでもいらっしゃい。甘いもの、用意してあげるよ』


『あ、おさけがはいったものも、すきになるらしいですー』


『ははは、それは大人になってからだね。いいよ、大人になったら桜子と三人でお酒飲もう』


『ばななのしょうちゅうづけ、というものが、おいしいってききましたー』


『へ? バナナの焼酎漬け……? それはまたけったいな……』


「き、今日はこれでおしまい! お父さん、また今度パンテちゃんと話してあげてね!」


『お、おお、そのと……』


 テロロロン。

 会話ボタンに触れて強制終了させた。



「さて、三人目は」


「ゆっきー、この会話、危ういわ」


「じゃあ、次が最後にしよう。トリは桜子のお姉さんにお願いしたい」


 桜子は口に手を当てて、軽く絶句した。


「うわ、ゆっきー、イジワルいんだ」


「うん。バレなきゃいいかな、と思って」


 ゆっきーがいつになく、いたずらっぽい笑顔を浮かべている。

 桜子もワクワクしてきた。

 恐いもの見たさに近い感覚だ。


「よーし、ちょっとお姉ちゃんに頼んでみる」


 姉は今日はもう仕事上がりで、家にいるはず。

 桜子が姉と連絡をとろうとスマホを取り出したとき、


『あ、ももちゃんだったら、はなしたことあるよー』


 パンテちゃんが声をひびかせた。


「へっ?」「えっ」


 桜子とゆっきーが同時に驚きの声を上げた。


「パンテちゃん、どうしてお姉ちゃんの名前、知ってるの」


 ゆっきーがつばを飲み込む音が聞こえた。

 振り向くと彼は思案顔をしている。


「ずっと、思ってたんだけど」


「な、なに?」


「これだけ響く声を持つ生き物が家の中にいるのに、家族の誰も気づかない……なんてことがあるのかなあって」


「……」


 父は娘たちの部屋がある二階には、滅多に来ない。

 母も最近は二階に上がっても、廊下や階段を掃除するだけだ。

 もちろん二人とも勝手に桜子の部屋に入ることはない。桜子はパンテちゃんをもらってからは、特にそのことについて強く言ってある。


 気づくとしたら、お姉ちゃんだ。

 どうしてこの危険性をよく考えなかったんだろう……!


「パンテちゃん、一体いつお姉ちゃんと話したの?」


『さくらがいないとき、おうた、うたってたらね、ドアからだれかいるのーってきかれて』 


「それで、答えたの?」


『うん、だってドアあけてきそうだったから。だれなの、けいさつよぶわよーっていってた』


 桜子は、げっ、とうめいた。


『さくら、まえにあたしのこと、ぬいぐるみとかエーアイとかいってたからー、それがいいのかなあって。そうこたえたのー』


「お姉ちゃんはなんて……?」


『へーって。そんだけー』


 桜子は胸を撫で下ろした。


『いちど、したにもどったあと、けっきよく、はいってきたんだけど』


 のどから笛のような悲鳴が出た。


『なんかとがったもの、もって、あちこちしらべてたー。ベッドのしたもみたから、むしのかたちのエーアイでーす、っておへんじしたら、やっとなっとくしてくれたのー』


「か、顔は、顔は見られた?」


『つちにかくれてたから、だいじょーぶ』


 そんなことがあったとは……。

 全然知らなかった、なんでお姉ちゃん、何も言わなかったのよ。


『それからまたべつのひにねー、いろいろ、おはなししたのー。ドアはさんで3かいくらい、おはなししたかなー』


 桜子はゆっきーを見て、目をしばたいた。


「この企画、やめにしよ?」


「そうだね。なんか、ごめん」


 姉もまさかドア越しに話した相手が、知性を持つカブトの幼虫だとは夢にも思うまい。

 異界の幼虫の会話経験値を増やすというこの試みは、たった二人で中止になったのだった。

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