第32話 年越しのおさんぽ

 大晦日。

 今年ももう終わり、年の瀬である。


 桜子は自転車を押しながら、家から下る山道を歩いていた。

 時刻は、夜の十一時。

 ゆっきーといっしょに、近くの神社へ年越し参りに行く約束をしていた。


 クリスマスイブに遠くの駅までイルミネーションを見に行って以来、二人で外出することが少し増えた。

 いつ何に誘ってもゆっきーはオッケーと言ってくれる。

 逆に彼から遊びに誘われることもあった。

 そして……。

 桜子は自転車の前カゴを見た。

 カゴには毛布がくるまれて乗っている。

 ときおり、モゾッと動いた。


「寒くない?」


『うん、あったかいよ』


 魔界の森で最強の甲虫、パンテオンヴィルガオオカブトの幼虫、通称パンテちゃんである。

 イブ以来、このパンテちゃんと外出することも増えた。

 最初はしっかり防寒対策をして、湿度も保つ工夫をしていたのだが、驚くべきことにパンテオンの幼虫は寒さにも乾燥にも強かった。

 三回目の脱皮をしてから皮膚は硬さとしなやかさを併せ持つようになり、ゆっきーによれば『ある程度外気に触れることを想定した体の造り』になっていたのだ。

 だから今では毛布でくるむだけである。

 これで冬の寒さにも十分耐えられるようだ。

 ゆっきーは、三齡ほどにまで成長したパンテオンの幼虫は、故郷の魔界でも地上で生活する時間が増えるのではないかと推論していた。

 それはエサを探すためではなく、好奇心を満たすためだろう、とも。

 今夜も初詣とはどんなものか知りたがるパンテちゃんのために、いっしょに連れて行ってあげることになったのである。


 自転車を押して歩いていると、前方に明かりが揺れているのが見えた。

 桜子はあれ? と首をひねった。

 ゆっきーとの待ち合わせ場所は、もう少し先(夏に姉と対峙したところ)のはず。

 なんだろうと思っていると、二人組の警官が懐中電灯を持ってこちらへ近寄ってきた。


「どうも、こんばんわ」


「あ、こんばんわ」


 中年の男性警官が声をかけてきた。

 桜子は幼虫を隠すように、さりげなく前カゴの毛布をぐるっと巻いた。

 近くの交番のお巡りさんだった。

 何度か挨拶しているので顔見知りである。


「こんな夜更けにどこへ行かれますか」


「ちょっと友だちと初詣に」


「そうですか、気をつけて行ってらっしゃい」


「はーい」


 若い男の警官が、ぶんぶんと頭と手を横に振った。


「いやいやいや、だめでしょ、未成年がこんな夜遅くに出歩いちゃ。センパイも何スルーしてんスか」


「いいだろ、今日くらい」


「だめっス。ちょっとキミ、初詣行くなら大人といっしょに行きなさい」


「この子のことはよく知っとるんだ。この上の御花見さんちのおじょうさんだよ。しっかりした子だから大丈夫だ」


 若い警官はさらに頭と手を高速で振った。


「だーめっスよ、ほんともー古い人は。ルールはキチンと誰にでも守らせなきゃ」


「おまえ、若いのにあったま固ぇな。昔はこれくらい問題にするやついなかったぞ」


「昔は昔っス。ほら、キミ、Uターンして家に帰りなさい。おうちの人で大人といっしょなら初詣行ってもいいから」


 やー、これは厄介なことになったなー。


 桜子は当惑した。

 若い警官の言う通り、家に戻って家族にいっしょにきてもらおうか。

 でも父も母も年末の特番テレビを見ている。たぶん断られるだろう。

 来てくれるとしたら姉だが、そうなるとパンテちゃんは置いていかなければならない。

 しかもその場合、姉、桜子、ゆっきーの三人で初詣に行くことになる。

 心の中で絵面を想像してみる。

 それはちょっと避けたい事態だった。


『ねー、さくら。あったまかってえ、ってどういういみ?』


「頭が固い、を乱暴にくずした言い回しよ」


「え?」


 中年警官が振り向いた。


 しまった。

 思わず答えてしまった。


『じゃあ、あのひと、あたまカチンコチンなのー?』


 暗い山道にビブラートの効いた声が響く。

 首筋に冷や汗が垂れた。

 前に目をやると、二人の警官が目をパチクリさせている。


 ど、どうやってごまかそう。


 こういう時、ゆっきーならどうするだろう。

 桜子はスマホを取り出して誰かと話す振りをした。


「えー、だーめよー、そんなこと言っちゃー、失礼でしょー、あはは……」


 ちらりと目を横に動かす。

 中年警官がつまらなそうに「なんだ、電話か」とつぶやいた。

 

「ごめんなさい、友だちがさっきの会話、聞いてたみたいで、嫌な思いをさせて申し訳ありませ。代わりに謝ります」


「ああ、かまいませんよ。こいつが頭固いのは本当のことですから。まったく今どきの若もんのくせに、こいつは」


 若い警官がまた頭と手をぶんぶん振った。


「いやいやいや、明らかに変な声のあとにスマホ出したでしょ。なにだまされてんスか、センパイ」


 若い警官はぐるっと周囲を見渡したあと、桜子を見すえた。


「ほかに誰かいるの?」


「え、いや、えっと」


 あたふたしていると、前カゴからパンテちゃんが毛布をはだけてひょこっと出てきた。

 まるまると太った身体が空気を吸って、ぶわーっとふくらむ。


『さっきしゃべったの、あたしでーす。おまわりさん、こんばんわー』


 管楽器に似た音色の声を震わせた。


 うわ、やばっ。


 あわてて毛布をかぶせる。


「今のは……?」


「は、え、ぬいぐるみです!」


「なんかしゃべったような……」


「AI……AIです!」


 毛布がいびつに動いたかと思うと、隙間からパンテちゃんがまた顔を出した。

 横に開くアゴをパタパタさせて抗議する。


『ぬいぐるみじゃないもーん』


 だー、ばかあ。


 抱き抱えるようにして毛布でくるんだ。

 唇を近づけて気づかれないようささやく。


 ……めっ。人前に出ちゃ、まずいのっ。


 ……わかってるけどー。あたしもおはなししたいのー。


 もう無理かなぁと思いつつ、桜子は苦しい言い訳をした。


「こ、これ、すごいですよね、話せば話すほど賢くなるAI搭載のおもちゃなんです。お気に入りで、どこにでも持ってくんです」


「はあ、最新のおもちゃでしたか」


「そうです、おもちゃです、ぬいぐるみです」


 やった、なんか納得してくれた。


 あはははー、と中年警官と桜子はにこやかに笑い合った。


「じゃあ、これで失礼します」


 桜子は強引に会話を打ち切って立ち去ろうとした。


「いやいやいや、ちょっとちょっと!」


 三度、若い警官が頭と手をぶんぶん振った。

 それはこれまでで一番の高速ぶんぶんヘッドシェイク&手振りだった。


「なに、立ち去ろうとしてんの。センパイもなんでフツーに見送ろうとしてんスか」


 ビシッと。

 桜子の引く自転車の前カゴに向けて、若い警官は指を突きつけた。


「さっきの、どう見てもナマの生き物だったじゃないスか! イモムシ……? たぶんあれ、別の階層の生き物っスよ! 最近この辺りで妙な生き物の目撃情報がありますけど、この子、関係あるんじゃないスか?」


 若い警官はズカズカと近づいて、自転車の後ろをむんずとつかんだ。


「キミ、ちょっとこっち来なさい」


 桜子はごくっ。と生唾を飲みこんだ。


 あ、あら?

 これ、ひょっとして、けっこうピンチ……?


 別の階層の存在と交流することは、べつに法律で禁止されているわけではない。

 だが基本的に見つけたら近づかないよう、そして警察署か保健所に通報するよう呼びかけられている。


「ほら、こっち向いて! その毛布に隠しているもの、きちんと我々に見せなさい」


 おそるおそる、振り返って向き直ると、若い警官は真剣な表情でにらんでいた。


 突然、視界が真っ暗になった。


 な、なに……っ!?


 誰かが桜子の目を手でおおっている。

 老人のようなしわのある、しかし、しなやかな手だ。


「ヤレヤレ、コンナ馬鹿ナコトデ台無シニサレテモ困ル。ショウガナイカラ、助ケテヤル」


 合成音のような声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、目をおおう指の隙間からビカビカッと光が明滅するのが見えた。


 一瞬、くらっとしてふらつき、目を閉じた。

 再び目を開けた時には、もう目をおおう手は消えていた。


「あにゃられ、ほらりれ……」


「夢幻の宇宙に芋焼酎ぅ〜」


 桜子の眼前で、両目の視点がまったく合っていない警官二人が変なことを口にしながら、クラシックバレーのようにくるくる回っている。


 な、なんなの、さっきの光、なに?

 お巡りさんたち、どうしたの?

 一体どうして、こんなことに…………?


 警官たちは、桜子のことを気にする様子はまったくない。

 空から「ソイツラノ記憶ヲ飛バシタ。ジキ元ニ戻ル。早ク行ケ」という声が降ってきた。


 あいつ? あいつが助けてくれたの?


 上を向いたが夜の闇が広がるばかりで何も見えない。声もそれ以上聞こえてこなかった。

 とりあえず桜子は今がチャンスと、自転車にまたがって全速力で山道を下っていった。



「あ、桜子、おーい」


 ゆっきーが待ち合わせ場所に立っている。

 桜子は走って自転車を寄せた。


「乗ってきたの? 暗いから危ないよ」


「はあ、はあ、ちょっと、あわててて」


 ゆっきーは、たった今桜子が下りてきた山道を指さした。


「何かあった? さっき、なんか木の間がストロボみたいにピカッて光ったけど」


「お巡りさんにこの子、見つかっちゃったの。見せろって言われて、そしたらあのエロ鳥がなんかして助けてくれた」


 桜子は先ほどの顛末を話して聞かせた。


「あいつが助けた、か。やっぱり監視は続けているみたいだね。パンテちゃん、こういうことになるから、不用意に他の人に話しかけちゃだめだよ」


『はあ〜い』


「まあ、なんとかなったし、いっか。いつかは僕ら以外の人とも会話させたいけど、今はまだやめとこう」


 ゆっきーは月もない夜の空を見上げた。


「そろそろ年が明ける。神社に行こう」



 そこは、地元の人たちに大切にされている、田舎町の小さな神社だった。

 境内にはまばらに人がいる。

 桜子は自転車を停めて、肩掛け式のペットスラングキャリア—『抱っこひも』を装着した。

 前カゴから毛布のかたまりをうんしょ、と持ち上げて抱っこひもに入れる。

 中型犬サイズの幼虫は大きく、そして重かった。この前体重を測ったら10キロほどあった。一歳の乳児並みだ。

 抱っこひもは幼虫を運ぶためにペット用品のサイトから通販で買ったものだった。


「大丈夫?」


「うん、いける」


 赤ちゃんを抱くようにして胸に抱き、ゆっきーといっしょに歩いた。

 鳥居をくぐったところでスマホを見ると、ちょうど深夜十二時をまわる直前だった。

 新年になった瞬間、周囲からささやかな歓声が上がった。そこかしこから新年の挨拶の声が聞こえてくる。


「あけましておめでとう。桜子、今年もよろしく」


「あけましておめでとう、ゆっきー。こちらこそ、よろしく」


 毛布から『おめでとうって、なんかいいことあったのー?』と小さく細かい声が震えた。

 桜子がほほを寄せて、「新しい年のお祝いよ」とささやく。


 お参りするため拝殿へ向かった。

 桜子は周囲を見渡し、こっそり毛布に百円玉を差し入れた。


『これ、なにー?』


「お金。アゴではさんで持ってて。あたしたちといっしょに、あそこの箱に入れるのよ」


 賽銭箱にぎりぎりまで近づき、三人(二人と一頭)でチャリンとお金を放り込んだ。

 今年は願い事が多いので、五百円玉を三枚入れることにした。見ればゆっきーは硬貨だけでなくお札も入れている。


「ほかの階層の知的生物がお参りに来るの、初めてなんじゃないかな」


「ふふ、きっと神さまもびっくりしてるわよね」


 鈴を鳴らし、柏手を打った。

 手を合わせて目を閉じる。


 今年も家族がみんな元気でありますように。

 パンテちゃんが無事に育ちますように。

 ……ゆっきーと仲良くなれますように。


 そのあと、二人でおみくじを買った。パンテオンの幼虫の分も余分に、三回。


「小吉。これから良くなるってことね」


「中吉。可もなく不可もなくって感じかな」


「パンテちゃん、すごい。大吉じゃん」


『すごいのー?』


「うん、すごくいいってこと」


『やりー🎵』



「ゆっきー、手ぇつかれちゃった。抱っこ、代わって」


「了解」


 ゆっきーはくるんだ毛布ごと抱っこひもを受け取って、左胸に抱いて腕で支えた。

 また二人で並んで歩き出す。

 深夜の午前一時を過ぎた。さすがにもう帰らなければいけない。

 そこへ、と、と、と、と歩み寄った人影があった。


「さくら、さくら! あんたも来てたのね」


「あ、踊(おどり)」


 クラスメートの女子だった。


「あけましておめでとう、さくら。今年もよろしくぅ〜」


「おめでとう、今年もよろしく!」


「あけましておめでとう、不破さん」


「おめでとう、白藤くん……って」


 クラスメートの不破踊(ふわ・おどり)は、人差し指を桜子とゆっきーの間を何度も行き来させて、口をあんぐりと開いた。

 桜子は照れ照れしながらしゃべった。


「あ〜、いや、これはね、えへへ」


 やー、知り合いに見つかっちゃったなー。


 踊は短く息を切らせて、まだ指を行ったり来たりさせている。つられて頭も動き、ポニテがぴこぴこ動いた。


「あ、あんた、あ、あう、うっ、産んだ?」


 問われて、ハッと気づいた。

 クラスメートがなぜこんなに動揺しているのかを。


「いや、ち、ちがっ」


 胸に抱かれた毛布は、暗がりだとおくるみにくるんだ赤ちゃんに見えなくもない。


「い、いつの間に!? 妊娠してたなんて知らなかった……ごめん、気づかなくって」


「そ、そうじゃなくって」


「ううん、何も言わないで。どんな選択しても、あたし、あんたの味方するから。頼りない友だちでごめん。でも、これからはちゃんと頼って」


 踊はゆっきーのほうを向いた。


「白藤くん! あなたもえらいわ、覚悟決めたのね。あたし、ベビーシッターならできるよ。甥っ子の世話してオムツ替えとかミルクあげるのとかやってるから」


「あの、ありがとう、不破さん。でも勘違いしてる……」


 踊は手のひらをビッと突き出して、首をゆっくり振った。


「大丈夫、わかってる。内緒よね。うん、誰にも言わないから安心して」


 桜子は頭を抱えたくなった。

 そうだった、この子、こういう性格だった。

 天然早とちりのオードリー、と二つ名が付いている。


 このあと周囲の目を気にしながら誤解を解くのに、小一時間ほどかかってしまったのだった(無論、毛布の中身は見せられないから余計に勘繰られた)。

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