第31話 田舎の駅前、イルミネーション
桜子は出かける用意をし始めた。
藍のスキニージーンズに、白のハイネックセーター。
お気にの黒のネックポーチをかけて、グレーのフーディーコートをはおる。
お化粧は得意じゃないので、軽く薄くファンデだけ。
森林系の香水をかすかに香る程度。
廊下を下りて玄関に向かうと母が「いってらっしゃ〜い」と声をかけてきた。
「行ってきまーす。夕ごはんまでには帰るから」
姉からプレゼントされたチロリアン(シューズ)をはいて家を出た。
十二月二十四日、クリスマスイブ。
今日はゆっきーと少し遠くの駅まで行く。
隣の県とつながるローカル線の駅に着くと、すでにゆっきーが待っていた。
「やあ、早いね。桜子」
「えー、なんでもういるの? 三十分前じゃん」
「いや、なんとなく」
ゆっきーはタートルネックのセーターにデニム、レザーシューズ、黒の丈の長いコート。
全体的に黒のワントーンで締めている。
落ち着いた性格の彼に、黒はお似合いだ。
桜子は自分の格好を、胸を張ってばーんと見せた。
普段は制服かTジャなのだ、これは新鮮に映るはず。
「いいね、桜子、似合ってる」
「もう一声」
「桜子の魅力がいつもの三割り増しで、不意打ちに近い衝撃に胸がドキドキしてる」
「そ、そこまで言わなくていいーっ!」
軽くからかうつもりが逆にやられた。
本気で言ってるのかわからないのが、ゆっきーという男の子の困ったところだ。
二人は駅舎内のベンチに並んで座った。
まだ電車が来るまで時間がある。
田舎の駅だが、ICカードが使えるので切符は買わなくてもよかった。
「あれから、パンテオン、どう?」
桜子は指でまるを作った。
「順調よ。また脱皮したみたいで、この前より大きくなったわ」
「それはよかった」
「知能もすごいの、もう字も読めるし、足し算引き算とかできるのよ」
「すごいな、しゃべったのが一カ月前? だっけ。とんでもない発達スピードだ」
「でしょ? ほんとは書くのも教えたいけど、足が人間と違うから難しいのよねー」
「なるほど……ところで、タンパクゼリーとかドッグフードはまだ食べる?」
「んーん。もういらないみたい。あげても、プイッてそっぽ向くの」
「やっぱり初齢幼虫のときだけかー。まあ、本人が欲しがらないなら、無理に与えなくてもいいかな」
二人が話しながら待っていると、乗る予定の電車が来るアナウンスが入った。
連れ立ってICリーダーにスマホをかざしてホームに入る。
やがて三両編成の電車がやってきた。
開閉ボタンを押して乗り込み、空いている席にまた並んで座った。イブとは言っても田舎なので電車はガラガラだ。
桜子とゆっきーは、ここから五つ離れた駅へいく。
「さっきの話だけど」
「ん」
「一ヶ月でそこまで知能が発達するって、ちょっと考えられない。パンテオンって、僕が思ってたよりずっとレベルの高い生き物なのかも」
ゆっきーは一瞬、深刻な顔をした。
「すごいわよね、好奇心も強いのよ」
桜子はパンテオンの幼虫、通称パンテちゃんが生き物系のYouTubeにハマっていること、気に入った音楽を延々と聴きたがること、そして最近お外に出たがっていることを伝えた。
「外に!? それって外出したいってこと?」
「そーよ、おどろくでしょ?」
カブトムシの幼虫は暗くて温かな土の中にいるものだ。
それが外に出たがるとは。
好奇心は猫をもなんとやら。
知能を持ったことで、自らにとって危険なことにも興味が出てしまうのかもしれない。
「……それ、ちょっと前向きに考えてみよう」
「え、外に連れてってもいいの? あたしはうれしいけど。大丈夫かしら」
「もうひ弱な初齢幼虫じゃない。ある程度のストレスには十分耐えられると思う。それに好奇心を満たすことは、知能の発達をさらにうながすはず。あとで対策を練ろう」
電車は心地よい揺れと線路を噛む音を響かせながら、田舎町を進んでいく。
足元のヒーターが暖かくて、少しうとうとしてきた。
いつの間にか会話が途切れ、頭がこくんっと傾いてゆっきーの肩にもたれた。
「あ、ごめん」
見上げると彼もうつらうつらしている。
肩にもたれたのには気づいていないらしい。
桜子は少し寄って、自然な感じで身体をもたせかけた。
「桜子、起きて。もう着くよ」
「んん〜っ」
はぅあ〜っとあくびして起きると、もう電車は目的の駅のホームに滑り込んでいた。
この駅は、駅舎に図書館が併設されていて、一部の鉄道マニアからは理想的な『駅図書館』として知られている。
駅前はクリスマス近いこの時期、イルミネーションが飾られて、地元の人の目を楽しませてくれる。
桜子とゆっきーはこのイルミネーションを見に二人でやってきたのだ。
誘ったのは桜子だが、ゆっきーは二つ返事でOKしてくれた。
虫のこと抜きで二人で出かけるのは、初めてだった。
改札を出ると横に広いスロープがあった。
『図書館はコチラ』とポップな絵柄で貼り紙がしてある。
スロープを上っていくと、隣の図書館の入り口につながっていた。どうやら入り口は二階にあるようだ。
「ゆっきー。なか、見てく?」
「うん、この町の人じゃないから借りれないけど、なんか面白い本ありそう」
短い階段を下りて、一階へぐるっとまわる。
動物や魚などのコーナーでゆっきーは立ち止まった。
手に一冊の本を取るとパラパラとめくり始めた。桜子がのぞき見ると『驚きのタコの知性』というタイトルだ。
「なんでタコ?」
「パンテオンの知能について考えてた。無脊椎動物でそこまで知能が高い生き物、聞いたことない。でも、タコはずば抜けて知能が高いって聞いたことがある。タコの知能の仕組みに何かヒントがあるかも」
「ふぅーん」
その話を聞いて桜子はちょっと気になることがあった。
昆虫の本があるコーナーへ行ってみる。
さすが人気の昆虫だけあってカブトムシの本はたくさんある。そのなかから図鑑を取り出して解剖図を探した。
カブトムシの幼虫、成虫の体の中身がリアルな絵で描かれている。
あー……そうだったわ。
虫には、人間のような脳はないのだ。
代わりに『神経節』と呼ばれる塊がいくつかあるだけ。
脳がないなら、いったいパンテちゃんはどこにものを覚えて、どこで考えてるんだろ?
不思議なことだ。でもパンテオンの幼虫に知能はたしかにある。
桜子はパタンと図鑑を閉じた。
こっちの世界の図鑑ではこれが限界。
きっと、体のどこかに脳の代わりを果たす器官があるのだろうと思った。
ゆっきーの様子をうかがうと、まだタコの本を読んでいる。
没頭しているようなので、邪魔しないよう別のコーナーに向かった。
ぶらぶら館内を歩いていると、『◯◯のなり方』という本が並んでいた。
警察官のなり方、教師のなり方、パイロットのなり方、プログラマーのなり方、ジャーナリストのなり方、音楽家のなり方、医者のなり方、弁護士のなり方……。
手にとって読んでみると、どういう学校に行って、どういう試験を受ければいいか、具体的なことが書かれてある。
いくつかパラパラとめくってみる。何冊か目を通したあとにゆっきーのほうを振り向くと、桜子を探しているのか彼がきょろきょろしながら歩いているのが見えた。
声を抑えて「こっちー」と手を振る。
「タコの本、読み終わった?」
「だいたいね」
ゆっきーは桜子の持っている本と、目の前の書架に目を配った。
「進路のこと、調べてるの?」
「そう。どうしよっかなーって。ゆっきー、もう決めてる?」
「社会学とか、おもしろそうだなって」
「えー、何になりたいとかじゃないんだ」
進路を聞いて学びたい分野を答えるとは。彼らしいと思った。
てっきり理系だと思っていたから、ちょっとおどろく。
「桜子は?」
「まだなんにも。お母さんやお姉ちゃんと同じでもいいんだけど」
「桜子はどうしたいの」
「んー、虫を飼う仕事とか? そんな仕事あるかしら」
「昆虫ショップの店員かな」
「ショップ店員ね」
「いや、それ、世間的には違う意味。あとは……大学とか会社の研究者かな」
「あたしが研究者? 現実味ないわぁ」
「なりたいなら応援するよ」
「そう? あんがと」
時刻は午後四時過ぎ。
そろそろイルミネーションが灯る。
二人は図書館を出て、駅舎の入り口から駅前広場へと向かった。
広場はすでに薄暗くなっている。陽は落ちて建物の下に隠れ、夜の気配が広がっていく。
桜子とゆっきーが広場を散策し始めたとき、ちょうどイルミネーションが灯った。
都会の、燦々と星が降るような壮大なイルミネーションではない。
感動的ではないが、ほのぼのとして気負わずに楽しめる、暖かな人の輪のようなイルミネーションだ。
広場に植えられた樹にLEDがかけられて、光るクリスマスツリーになっている。一方で花壇に設置されたLEDが、サンタやトナカイをかたどって光を放っている。
桜子はゆっきーのほうを振り向いた。
「ね、きれいじゃない? 来てよかったわ」
「うん。誘ってくれてありがと。僕も来てよかったよ」
「こちらこそ……あ、ねえ、あれ見て」
桜子が指さす先に、カブトムシとクワガタのイルミネーションがあった。
「冬なのに、なんでかしら。でもなんかうれしいわ」
「そっか、そう言えば『カブトムシ採取の聖地』、この近くだったね」
全国各地にある、カブトムシやクワガタの産地、その一つが近くの県境にある。
せっかくなので、イルミネーションの前で写真を撮ることにした。
家族で見にきている女性に、スマホのシャッターを押してもらうよう頼んだ。
カブトムシとクワガタのイルミネーションの前に二人で立つ。
頼んだ女性に、もっとくっついてー、腕とか組まなくていいんですかー、と言われて顔を見合わせる。
そっと腕を組んで寄り添った。
シャッターを押すまでの時間がやけに長く感じられた。
写真を撮ってもらったあと、代わりに女性の家族の写真を撮ってあげた。とても喜んでくれて、その家族とは互いにお礼を言って別れた。
スマホに映った自分と彼との写真を眺めながら、桜子は胸に手を当てて顔をほころばせた。
「ねえ、ゆっきー」
「ん、なに」
「夏に、なったらさ」
ちら、と彼の顔をうかがう。
「来年、夏になったら、昆虫採集に連れてってくれる?」
「うん、いいよ」
「あたし、オオクワ取りたい」
「オオクワは、ちょっとむずかしいかも」
「じゃあ、ミヤマ。ミヤマを目標にする」
「わかった。取れるかどうかわからないけど、いっしょに行こう」
「うんっ! 約束よ」
家の近くまでゆっきーに送ってもらい、桜子は上機嫌で帰宅した。
玄関に入ると姉が出迎えた。
「あら、もっとゆっくりしてくればいいのに」
「いーの」
リビングのソファーに父が座っていた。
「お父さん、ただいま」
「律儀に夕飯前に戻ってこんでもなあ」
「いいじゃん。だめなの?」
姉が近寄って口をはさんだ。
「まじめなのよ、向こうが」
「桃は知ってるんだっけか。どんな子だ」
姉は肩をすくめた。
「虫が好きな変な子よ。まじめなんだけど、なんか策士っぽい。人との付き合いはちゃんとしてそう」
「ふぅむ。まじめなら、いいか」
策士なんてひどいなー、と苦笑いしながら桜子は二階へ上がった。
自分の部屋に入って服を脱ぐ。
ベッドの下から、カリカリと引っ掻く音が聞こえた。
しゃがんで衣装ケースを見るとパンテオンの幼虫が壁に張りついている。
くぐもった響音が伝わってきた。
『おかえり〜、さくらあ』
「ただいま、パンテちゃん」
『でーと、たのしかった?』
桜子はほっぺを手でおおった。
目尻がゆるむ。
「……うん」
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