第27話 桜子 with パンテオン

 十月中旬。

 御花見桜子のもとに、『パンテオン・ヴィルガオオカブト』の初齢幼虫がやってきてから、およそ二週間がたっていた。

 あのときはゆっきーらしからぬ物言いにむかっ腹が立ち、取り上げるようにしてパンテオンの幼虫を連れて帰った。

 ゆっきーからはその日のうちに電話があり、声を荒げたこと、責任感に欠ける言葉を口走ったことをあやまってきた。

 桜子は少し小言めいたことを電話ごしに口にしたが、最終的には「ああいうこと、もう言わないでね」と言って終わりにした。

 基本的に仲はいいのである。これくらいで壊れたりする間柄ではない。

 桜子のほうも内心、ホッとしていた。

 ただしパンテオンの幼虫はそのまま桜子が飼うことになった。

 売り言葉に買い言葉だったとはいえ、自分から「ちょうだい」と言ったのだ。

 だから飼うのは自分の責任だと桜子は思っている。

 ゆっきーもそのほうがいいと言った。

 今から思えば、あのときのゆっきーの態度はちょっと変だった。

 なんだかうまい具合に乗せられた気もしないではない。

 最初っから、彼はパンテオンの幼虫を託す気でいたのではないだろうか。


 ま、いっかぁ。


 そこは深く考えないことにした。

 ゆっきーがパンテオンの幼虫を託すつもりでいたのなら、そこには何か理由があるはず。

 それはいずれわかる。

 マジョルカは、あのあとすぐにゆっきーの元を去ったらしい。

 良好な関係かと思っていたが、メリットがなくなれば解消される程度の関係だったようだ。

 いっとき彼が心配していたような、口封じされたり危害を加えられたりといったような事態にはならずにすんでいる。

 そのマジョルカの行動からはっきりしたことがある。

 パンテオンのブリードをあきらめたら、すぐにいなくなったこと。

 パンテオン以外の魔界のカブクワを置いていったこと。

 これらのことからマジョルカは(と、そのバックにいる連中は)、やはりパンテオンのブリードが一番の目的なのだ。

 マジョルカはあれから一度もゆっきーのところを訪れていないが、最近桜子の家の近くでそれらしい姿が目撃されている。

 父や母は、自宅のまわりを南国の鳥みたいな生き物が飛んでるのを何度も見かけたそうだ。

 桜子が持っていった、最後の生き残りの幼虫が気になるのだろうか。

 コソコソしないで顔くらい見せたらいいのに、と思う。

 パンテオンの幼虫は今、桜子の部屋にいる。

 ゆっきーにもらったプラスチックボトルに入れたままだ。

 それをキャンプ用の保冷剤といっしょに発泡スチロールの箱に入れて、ベッドの下の狭いスペースに押し込んでいる。


「うん、たぶん生きてるわよ」


『ほんと? すごい』


 桜子はベッドに座りながら、ゆっきーと電話をしていた。


「昨日、ちらっと中を見てみたの。土の上にうんこがあったし、表面が耕されてた。生きてなきゃそうならないんでしょ?」


『うん。じゃあ、きっと生きてるね。温度管理はうまくいってる?』


 桜子はぐっと身を乗り出し、頭を逆さまにしてベッドの下をのぞきこんだ。


「うん、言われたとおり二十五度前後にしてる」


 発泡スチロールの箱には、コード式のデジタル温度計を差し込んでいる。

 液晶画面は二十五度五分を示していた。


『大変だと思うけど、あとちょっとの間、お願い』


「だいじょうぶよ、まかせて」


 桜子はスマホの画面にむかって、オッケーサインをしてみせた。

 幼虫の入ったプラスチックボトルを発泡スチロールの箱に入れたのは、外からの音や振動を防ぐためである。

 さらに内部は緩衝材(俗に言う、プチプチ)が詰めてある。

 箱の周りを暗幕でおおえば、光も防ぐことができて完璧だ。

 だがここまでやると夏場でなくとも中の温度が爆上がりする。下手すると三十度をこえてしまう。強力なキャンプ用の保冷剤を入れているのはそのためだ。

 これは虫用エアコンボックスやワインセラーを持っていない桜子のために、ゆっきーが考え出した方法だった。

 これを朝と夜の二回、新たに凍らせたものと交換している。

 最初、ゆっきーは虫用エアコンボックスを貸すと言ってくれたが、桜子は断った。

 いくら「飼っていい」と姉に許してもらったとはいえ、そんなガチの設備を部屋に持ち込む勇気はない。

 もし姉が見つけたら、かなり気を悪くすること受け合いだ。姉の虫嫌いは治ったわけではないのだから。


「ねえ、ゆっきー」


『なに?』


「これって、いつかはマットを交換しなきゃいけないでしょ。いつがいいと思う?」


『さあ。ぼくはマット交換するところまでいってないから、なんとも言えない。マジョルカに聞いた話では、土だんごから自然に幼虫が出てくるのはおよそ三ヶ月後だそうだ』


「じゃあ三ヶ月あとに交換したらいい?」


『プラボトルは小さいから、早くにマットを食べ尽くすかもしれない。生存確認もかねて二ヶ月後でどうだろ』


「このプラボトルに入れたのって、いつ?」


『一ヶ月くらい前。だから二ヶ月後は来月、十一月だね。十一月になったら交換してみよう』


「それまで無事にいてくれるかしら」


『そればっかりはなんとも』


「そうよねえ」


『星になってたとしても、決して桜子のせいじゃないからね』


「ありがと。でも、そうなったら、それはあたしの責任だと思う。だからできるだけちゃんと管理するつもり」


『まだ誰も成功してないんだ。あんまり力まないで。リラックスして』


「りょーかい。いい意味でテキトーにやるわ。いい意味でね」



 そんな会話をした、次の週――。

 事件は起こった。

 桜子は学校から帰ってきて、自分の部屋に入ると制服を脱いだ。

 シャツもくつしたも脱ぐ。

 その格好のまま階段を下りてキッチンへ向かった。

 桜子は基本的に裸族である。家に帰るといつも衣服を脱いでしまう。

 なぜそうするかと言うと、家族がみんなそうだからだ。

 父はひとっ風呂浴びたあと白ブリーフ一丁。

 その父の前を、下着姿の姉が平気で横切ったりする。

 小さい頃からずっとそんな家庭で育ってきたので、桜子は何の疑問も抱いてこなかった。

 桜子の感覚では、家では服を脱いでさっぱりするものなのだ。

 さすがに小学校上がってからは、下着だけは着けるようにしている。もちろん他人の家におじゃましたときに脱いだりはしない。

 キッチンから炭酸飲料のビンを取り出し、ラッパ飲みしながら階段を上った。


「……ん」


 ここでようやく異変に気づいた。

 ベッドのそばにこまかな土が落ちていたのだ。

 はっとしてベッドの下をのぞいてみると、発泡スチロールの箱のふたが開いている。

 急いで箱を引きずり出して、なかを確認してみた。


「あっ!」


 ひとつのプラスチックボトルのふたがはずれて、引きちぎられている。

 なかのマットは何かが抜け出たように大きくえぐれていた。


「えっ、なに? どういうこと?」


 そっと、ふたのはずれたプラスチックボトルを手に取ってみた。

 なんだか軽い気がする。

 800ミリリットルの菌糸ビンと同じサイズのプラスチックボトルに、目いっぱいマットが詰められてけっこう重かったはず。

 ためしにほかのふたつのボトルと比べてみると、やっぱり軽い。


 ま、まさか……。

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