第26話 サヨナラ & バトンタッチ

 八月も終わり、九月。

 それも半ばを過ぎた。

 ゆっきーはコンテナハウスの床下スペースで、途方に暮れていた。


 土だんごの土をマットに混ぜて熟成させる方法はたしかにうまくいった。

 あきらかに幼虫の生存日数が伸びたのだ。

 しかも元気になる。たまにプリンカップを通して蠢く幼虫の姿も確認できるようになった。

 このまま二齢幼虫になってくれるかと思ったほどだ。

 動物性タンパク質のエサも、予想通り食べてくれていた。

 ドッグフードは固いためかあまり食べた形跡はなく、代わりに昆虫ゼリーのほうに食痕が見られた。

 食べるということは、やはり成長に必要だったのだ。

 これでうまくいくかと思った矢先、幼虫たちがバタバタと星になりだした。

 そして今日、大半の幼虫が死に絶えた。

 ゆっきーは、なんの手を打つこともできなかった。


 無言でたそがれていると、見知った顔が床下にひょこっと出てきた。


「ゆっきー、さっきの電話、どうしたの?」


「ああ、桜子」


 ゆっきーの声は沈んでいた。


「ちょっと、こっち来て」


 桜子は顔をひっこめると、かがんで床下に入ってきた。


「ゆっきー、これって」


「うん。全部、パンテオンの幼虫……だった」


 青いシートの上に大量の土がぶちまけられていた。


「そう、今度もダメだったのね」


 よく見ると、そこかしこに黒ずんだ幼虫が混ざっている。


「もうダメだ。どうやってもうまくいかない。ぼくは、あきらめることにする」


「えっ!」


「クエッ?」


 桜子とマジョルカが同時に声を上げた。


「な、なんで、やりとげてみせるとか言ってたじゃない」


「ココニキテ、アキラメルトハ何事ダッ」


「もう……もう、限界なんだよ!」


 意外と大きな声が出た。

 床下のスペースに、びりびりと音がひびく。

 桜子がびっくりした顔でゆっきーを見た。

 声を荒げるなんて、ついぞなかったことだ。


「今までいったい何頭、星にしてきたと思う? 一回につき三十頭から四十頭、それが去年からだから、パンテオンの幼虫だけで五百頭以上死なせてきた!」


「そ、そんなに」


「ぼくが気にしてないとでも思った? たしかに虫にはドライに接してきた。でも星になったのを見るたびに悲しい気持ちになるんだ!」


「オ、落チ着ケ、ユッキー」


「全部、ぼくの責任だ。ブリード法を探すっていう名目で、たくさんの幼虫たちを死なせてきた。もうこれ以上は無理だ。罪の意識に耐えられないっ」


「そうだけど、そうだけど……でも、ブリード法が見つかれば、今よりずっとたくさんの命を救えるんじゃない? なのに、今になってあきらめるの?」


「ソウダゾ! ココデアキラメタラ、コレマデノ犠牲ガ無駄ニナル!」


「うるさいっ!」


 ゆっきーは肩で荒い息をした。


「もうやめる。やめるったら、やめる!」


 桜子が悲しい目を向けてきた。


「そんなぁ」


 ゆっきーは床下スペースからゴキブリのように抜け出した。


「あ、待ってよ」


 秘密の部屋のドアを開けて、小走りでかける。


「ちょ、ちょっと、ゆっきー!」


 桜子が追いついたところで、ゆっきーはくるっと振り向いた。


「な、なに?」


 たじろぐ桜子を尻目に、ゆっきーは部屋のすみへ歩いていった。


「どうしたのよ、急に」


 すみに設置してあるワインセラーを開き、中からプラスチックのボトルを取りだした。

 全部で三個。

 いずれも土が詰め込んである。


「これ」


「……え?」


「三頭だけ生き残ってる」


 桜子はプラスチックのボトルをまじまじと見つめた。


「まさか、パンテオンの幼虫?」


 ゆっきーはこくっとうなずいた。


「もう、ぼくはやらない。これは桜子が持っていって」


「はぁ?」


「どうせ、ぼくがやっても星にするだけだから」


「いや、そんな、あたしだって」


「まえに『困ったとき手伝ってくれる』って言ったじゃないか」


「そ、それはそうだけど……ムリよ。さすがにできないわ」


「どうしても?」


「う……うん、ごめん、あたしじゃ力不足」


「じゃあ、いい。ぼくがこのまま育てる。どうせ死なすことになるけど」


 投げやりな言葉に、とたんに桜子の顔が険しくなった。


「ちょっとなによ、その言い方」


 怒りのせいか、ほほが紅潮している。


「わかったわ、そこまで言うんだったら、あたしにちょうだい」


 桜子はゆっきーの手からプラスチックボトルを奪い取った。


「あたしだって無理だと思うけど、それでもちゃんと最期まで面倒みるわよ。ハンパな気持ちで育てられるより、よっぽどいいわ!」


 そう言い捨てて、彼女は「じゃあね!」と出入り口のドアを閉めて帰っていった。

 ゆっきーはふうっとため息をついた。


 う~ん……。

 ちょっとやり過ぎたかもしれない。

 幼虫たちが星になって落ち込んでいるのは本当だった。

 だがやけくそになったように見せかけて、大きな声で叫んだのは演技だ。

 ちゃんとわけを説明してもよかったが、これくらい芝居を打たないと桜子は引き受けてくれないと思ったのだ。

 彼女には悪いがひとまず作戦は成功だ。

 うまくいくかどうかは未知数だが……。

 とりあえず、あとでちゃんとあやまっておく必要がある。

 彼女にきらわれるのはとってもつらい。

 バサバサッと、鳥の羽音が聞こえた。

 電灯をさえぎって影が横切る。


 ――来たな。


 演技をしたのには、もうひとつ理由がある。

 こいつの反応を確かめたかったのだ。


「残念ダヨ、ユッキー」


 声のするほうを見ると、マジョルカがパイプ棚の上につかまっていた。


「オ前ノアキラメナイ姿勢ヲ、私ハ高ク買ッテイタンダガナ」


 マジョルカは、つばさの爪で首の羽毛をカリカリと掻いた。


「冷静デ大人ナ性格モ、素晴ラシイト思ッテイタ。ソレガ、アンナ大声ヲ出シテ騒グトハナ。幻滅シタ。所詮ハ、オ子様ダッタノダナ」


 ゆっきーは静かにマジョルカを見つめた。


「『パンテオン』ノ飼育、本当ニアキラメルノカ?」


「うん」


「本当ノ、本当カ?」


「くどい。もうやるつもりはない」


「フム、ソウカ」


 マジョルカは、抑揚のない乾いた声で言った。


「『パンテオン』ノ飼育ヲシナイナラ、今日ヲ限リニ、契約ハ終ワリニサセテモラオウ」


 ほぉー、そうきたか。

 なんともまあ、ビジネスライクなことで。


「『ドゥオモ』ヤ『インゲンス』ハ、餞別トシテクレテヤル。好キニスルトイイ」


 マジョルカはぴょんっと出入り口のドアの前に降り立った。

 そして小さくはばたくと、ドアノブまで飛んで器用に足でひねった。


「行っちゃうのか?」


 ゆっきーがたずねると、マジョルカは振り向きもせず答えた。


「クケ。ナンダ、感傷カ?」


「……」


「モウ、ココニハ用ハナイノデナ」


 ドアが開かれ、外の景色が見えた。


「デハ、サラバダ」


 こうして魔界の派手鳥は緑と紫の軌跡を残し、仲秋の空へと消えていった。

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