第24話 土の胎盤
床下のスペースに入ると、ゆっきーはマジョルカが持ってきたきんちゃく袋を広げた。
そこにはプリンカップがずらりと積まれている。全部で二十個もあった。
「魔界にもプリンカップ、あるの?」
「まさか。これは行きにマジョルカに持たせたやつだよ」
プラスチック製の柔らかで軽いプリンカップは卵や一齢幼虫の管理などに便利で、向こう(第六階層の魔界)でも好評らしい。
「このなかにパンテオンの幼虫がいるのね」
「そう。んじゃ、開けるよ」
プリンカップのひとつを選んで、ふたをそっと開けた。
ブルーシートをひいて、その上に裏返しにすると、黒い土がまさにプリンみたいに出た。
指でそおっとかきわけると、なかに三頭の幼虫がいる。
おそらく卵から孵化したばかりだろう、爪の先くらいの小さな幼虫だ。
甲虫の幼虫というよりも魚のエイかヒラメに近い形をしている。
「かわいいけど、なんかカブトムシの幼虫っぽくないわね。これ、全部のプリンカップに三頭ずついるの?」
「たいてい、そうだね。あいつはいつも三十頭から四十頭くらい持ってくる」
「そんなに?」
「できるだけ多くの可能性を探せるように、だってさ」
「ふーん。で、どうなの? ちょっとはうまくいきそう?」
聞かれてゆっきーはだまった。
これまで一度もうまくいった試しがないのだ。
考えられることはすべてやってみたが、どうしても幼虫が育たないのである。
「だめ……なのね」
「うん」
「ねえ、パンテオンってどんな生態してるの。そこにヒントない?」
「マジョルカからおおまかに聞いてる。かなり特徴的」
「ああー、なんかそういえば、火に耐えるとか、知性があるとか」
「それもだけど、パンテオンは産卵のしかたにも特徴がある。こっちのほうがブリードには重要だ。パンテオンは一抱えもある巨大な『土だんご』を作って、そこに卵を産むらしい」
「へー、土だんご」
「メスが土でがっちり固めた玉に卵を産みつけるんだ。マジョルカたちはその土だんごを割って幼虫を手に入れると言ってた」
「ふーん」
桜子は思案顔になった。
「あのさ、そういうのってこわしていいの? そっとしといたほうがよくない?」
「そうだね。自然にまかせておけば、いずれ大きくなった幼虫が土だんごから出てくる」
「だったら、その出てきた幼虫を手に入れるんじゃダメなの? この手のものって、たいてい何か意味があるんだから、こわさないほうがいいと思うけど」
「たしかに。けど自然にまかせるのは、ちょっと問題がある」
「問題? どんな?」
「産みつけられた卵より、出てくる幼虫の数が圧倒的に少ないんだ。どうやら土だんごのなかで共喰いしてるらしい」
「うぐっ」
「『絶滅危惧種の人工繁殖(ブリード)法を探す』っていうのが目的だからね。できれば産まれた卵を全部、成虫にしたい」
マジョルカから聞いた話では、完全に自然にまかせた場合、ひとつの土だんごから出てくる幼虫の数は、一頭から二頭。
三頭以上出てくることはまれだという。
これではパンテオンの数は一向に増えない。
このとき出てくる幼虫は人間の手のひらくらいの大きさというから、ゆっきーの見立てだとおそらく二齢くらいだろう。
そこまで育てることができれば、星になる(死ぬ)危険がぐっと少なくなるはずだ。
だけど、いったいどうすれば……。
「パンテオンの一齢幼虫は、ストレスに極度に弱いんだと思う。だから二齢になるまで土だんごのなかで過ごすんだ」
「土だんごがシェルター代わりなのね」
「うん。だからぼくは、できるかぎり幼虫に負担がかからない環境を作ろうとした。床下に飼育スペースを移したのはそのためだよ」
「ああ、それで。てっきり秘密にしたいからだと思ってた」
「もちろんそれもある。けど一番は土だんごに近い環境を再現するためだ」
土だんごのなかはおそらく、光や音、振動、暑さ寒さといった外部からのストレスがほとんど伝わってこないはずだ。
それを再現するため、床下のスペースをDIYするときには、音や振動を吸収する緩衝材をふんだんに使用した。
さらに光が漏れ入らないように目張りをして、虫用エアコンボックスやワインセラーには暗幕を張り、真っ暗になるようにした。
ちなみに当初はロフトをつくって天井近くで飼育しようかとも考えていた。
そのほうが足音を気にする必要がなかったからだ。
だがパンテオンの幼虫は成長するのに大量のマットを必要とするらしい。大量のマットの重さに耐えられるほどのロフトを造るのは難しく、断念した。
「再現しても、結局はうまくいかなかったんだけどね」
「土だんごに何か秘訣があるんじゃない?」
「マジョルカから土だんごのサンプルをもらってる。おかげで土の種類、固さ、水分とか、必要なことはだいたいわかった。けど土を似せてもやっぱり幼虫は星になる」
「土だんごは親カブトが作るのよね? 産まれた直後の幼虫にとって、なにか大事な養分が土にふくまれてるのかも」
「それも考えたよ。でも成分的にはこっちの腐葉土と大差ないんだ」
外部からのストレスをなくし、マットの土も、栄養も考えて飼育した。
それでも一頭たりとて幼虫が育たないのだ。
「温度は? 温度が二、三度ちがうだけでダメな種類もいるんでしょ?」
「マジョルカにたのんで、デジタル温度計を一度向こうへ持っていって温度を測定してもらったことがある」
「すごい、そこまでやってたの。それでもダメだったのね」
「うん。土だんごの内部の温度、外部の気温――、測ってもらったデータをもとに、虫用エアコンボックスやワインセラーで再現した。でもだめなんだ。どう工夫しても全部、すべての個体が星になるんだ」
「じゃあ、いったいどうしたら」
「そうだよ、桜子、どうしたらいいと思う?」
桜子は押し黙った。
ほんとに、誰か答えを知ってるなら教えてほしい。
「もしかしたら、人工繁殖はできない生き物なのかもしれない」
「えっ」
「ここまでくると、そう考えてしまう。実際に野鳥とか魚には、人間の手でブリードすることが無理な生き物がいる。パンテオンもそうなのかもしれない」
「そんな、ゆっきー、あきらめちゃうの?」
ゆっきーはかぶりをふった。
「いや、やる」
やってみたい。
なんとしても成功させたい。
昔、二十年くらい前は、『オウゴンオニクワガタ』や『タランドゥスオオツヤクワガタ』はブリーダー泣かせの種だったらしい。
卵を産まず、幼虫が育たず、ブリードができなかった。
おどろくべきことに、それが今では素人でも繁殖できる。
先人たちの血の滲むような努力と、無数の犠牲の上に、これらの種の簡単なブリード法が確立されたのだ。
きっと……きっと、パンテオンにもブリード法はあるはず。
あきらめるのはまだ早い。
必ずやり遂げてみせる。
祖父(じっちゃん)の名にかけて! ……(笑)。
そう心に誓うゆっきーであった。
八月の最終週。
ゆっきーはあまたのプリンカップを前に座っていた。
プリンカップの中を次から次へとのぞきこみ、ふうーっと重い息をはく。
「ドウシタ、ユッキー。何ヲ、落チ込ンデイル」
「……星になってた」
またしても失敗であった。
「ウウム、残念ダッタナ」
「そう……だね」
ゆっきーは力なくうなだれた。
「悲シンデイルノカ? 残念ダガ、私ニハ何モデキナイ。スマンナ」
「マジョルカがあやまることじゃないよ」
虫の飼育はイヌやネコとはちがう。
命を落とす個体は多いし、寿命もはるかに短い。
ましてやブリード法が確立されていない種なのだ。いちいち悲しんでいては身が持たない。
それでも気にしていないといったらウソになる。心にズシッと重い鉛のようなものがたまるのだ。
「次コソハ、ウマクイキソウカ?」
「どうだろ……」
考えられる方法はあらかた試した。
今回のは、今まで試した方法の総ざらいだ。
可能性のある組み合わせを二十通り、三頭ずつ試している。
マットの固さ、水分量、栄養分。
温度管理、湿度管理。
――などなど。
だが、うまくいく気がまるでしない。
「少しは希望が見えないと、心が折れそうだ」
マジョルカは猿の手に似た足を器用に動かし、ゆっきーのほうへ近寄ってきた。
「ガンバレ、ユッキー。ホカノ種ハ成功シタジャナイカ。ダカラ自信ヲ持テ」
そう言って緑色に輝くつばさで、ゆっきーの肩をぽんぽんとたたいた。
「なぐさめてくれて、どーも」
「モット幼虫ガ欲シケレバ、言ウトイイ。マタ持ッテキテヤル」
「それはありがたいけどさ、絶滅危惧種なんだろ。そんなに持ってきて大丈夫なのか」
「心配ナイ。土ダンゴノ中ニハ、卵ガ三千個クライアル」
「そんなに産むのか」
「ソーダ。ダカラ、気ニセズ励メ」
「わかったよ」
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