第23話 パンテオンをめぐる日々

「これがドゥオモの幼虫、で、こっちがクラドノータの幼虫」


「へー、幼虫の見た目はこっちのとあまり変わんないのね」


「カブクワの幼虫はみんな似たような形してるけど、魔界のもそうみたい」


 八月ももう半ば。

 マジョルカが一週間ぶりに魔界から帰ってきた。

 カブクワの幼虫をたくさん、たずさえて。


「幼虫が混ざっちゃったら、ゆっきー区別つく?」


「なんとかね。ほら、よく見れば特徴がある」


 ドゥオモの幼虫は赤い産毛が生えてる。体は短くてまるっこい。

 イリスルミナスの幼虫は背中が半透明で、暗がりでは鮮やかな蛍光を発している。

 クラドノータの幼虫は気門が銀色をしてる。体は小さく、おしりの部分が先細りする。


「パンテオンの幼虫は見せてくれないの?」


「うん、そっちはぼくひとりでやりたいから」


「ぶぅー」


 桜子はフグみたいにふくれた。


「ナンダ、結局、桜子ニハ、パンテオンノ飼育、手伝ワセテイナイノカ?」


「うん、ちょっと思うところがあって」


 ゆっきーは言葉を濁した。


「デハ、私ハ、ソロソロ出発スル」


 マジョルカは魔界にトンボ返りすることになっていた。

 これまでのブリードの成果を持って帰るのである。


「けっこうな大荷物になるけど大丈夫か」


「コレクライ、平気ダ」


 羽化したドゥオモ、イリスルミナス、クラドノータの成虫。オスメスペアの三セット。

 イリスルミナスとクラドノータの新成虫が産んだ卵、おのおの四十個。

 およびそこから孵化した幼虫、二~三齢幼虫が十頭ずつ。

 それらを小さいクーラーボックスに入れて持っていくことになっていた。

 手提げ用のベルトを足でつかんで、飛んで運ぶつもりらしい。


「申しわけないけど、今回もパンテオンは成果なしだ」


「仕方ナイ。気ニスルナ」


「インゲンスはまだまだ。サナギになりそうもない」


「マア、ジックリ育テテクレ。モットモ、羽化シテモ、アレハ持ッテ帰レンガナ」


 魔界の派手鳥は、いっちに、さんし、とストレッチをした。

 首をこきこきと音を立てて回す。


「ねえ。あんたいつも、どっから来てるのよ」


 桜子が不機嫌そうに聞いた。


「ウム? モチロン、階層ノ『穴』ヲ通ッテダ」


「『穴』ねえ。それってどこにあるのよ」


「ククク、ソレハ言エナイナ」


「ふんっ。あ、そ」


 ますます桜子はふくれた。


「ほい、これがレポート」


 ゆっきーはマジョルカに、ラミネート加工されたA4用紙を数枚手渡した。

 幼虫とおぼしき絵や、矢印、絵文字などが書かれてある。


「ブリードの仕方を絵とか記号で説明してある。これなら言語がちがっても、なんとか理解できるはずだ」


「オオ、アリガタイ」


「あと、こっちの温度計も持ってけ。温度管理の説明に必須だ。むこうの温度計と数値を照らし合わせれば、ここに書いてある温度がどれくらいかわかると思う」


 デジタル温度計だとこっちの世界の電池がいるので、ゆっきーは水銀のアナログ温度計を渡した。


「何カラ何マデ、スマンナ」


「そういう約束だったしね。むこうのひとたちに、よろしく言っといて」


「ウム、了解シタ。行ッテクル。デハ、一週間後ニ、マタ会オウ」


 マジョルカは重いクーラーボックスを持つと、必死に羽ばたきして飛び立った。

 緑と紫に光る鳥が、夏の空を右へ左へふらふらしながら飛んでいく。

 ゆっきーと桜子はその姿が見えなくなるまで見送った。



「あいつのあとつけたら、『穴』がどこにあるか突き止められるんじゃない?」


「べつにいいよ、そんなの」


「気にならないの?」


「どうせ近くにあるに決まってる。考えてもみて。あんな派手な色した鳥が飛んでるんだよ。『穴』が遠くだったら、絶対途中で誰かに見つかってる」


「それはそうね」


 ゆっきーは、パンテオンの卵が入ったきんちゃく袋をそっと抱きかかえた。


「ちょっと床下のスペースに行ってくる」


「う、う~~ん……」


 桜子は不満そうにうなった。


「ゆっきーさぁ、なんであたしに手伝わせてくれないの? なんか……ムカつく」


「あ、いや」


「最初もさ、パンテオンだけは内緒にしようとしたわよね。あのとき、『秘密にはレベルがある』って言ってたけど、あれどういう意味?」


 ゆっきーはポリポリとほっぺを掻いた。


「桜子を、巻き込みたくなかったんだ」


「どういうこと?」


 ゆっきーは一旦、布のきんちゃく袋を床に置いた。


「桜子。マジョルカのやつさ、結局のところ何が目的だと思う?」


「なに、やぶからぼーに」


「魔界のカブクワをさ、わざわざ別の階層にまで持ってきてブリードさせて。どんなわけがあって、そんなことしてるんだろう」


「ん? お金に替えるんじゃないの?」


「それもあると思うけど、ぼくはこう、なんていうか、あいつはちょっとヤバイことを考えてる気がする」


 ゆっきーは床に座ってあぐらをかいた。

 桜子もそれにならう。

 ふたり向かい合って座った。


「最初はぼくも興味があったから軽く引き受けちゃったけど、だんだんイヤな予感がしてきたんだ。なんて言うか、悪事の片棒をかつがされてるような」


「そんな、まさか」


「全部のブリードが成功したら、ぼくはどうなるのかな。ひょっとしたら口封じされるかもしれない」


 桜子は苦笑して、手をひらひら振った。


「さすがにそれは考えすぎでしょ」


「そうかなあ。『魔界』はちょっと前まで戦争ばっかしてた世界なんだから、じゅうぶんあり得る話だと思うけど。ぼくを口封じすれば、羽化した成虫も、産まれた卵も、ブリードのノウハウも、全部自分たちのものにできるしね」


「え……本気でそんな心配してんの」


「うん。ぼくは魔界のこと、何も知らない。マジョルカのことも、バックにいる連中のこともよく知らない。これくらい考えといてもいいと思う」


 ごくっと桜子がつばを飲む音がした。


「ぼくは今さらどうしようもない。ぼくの家族はここに滅多に入らないから、たぶん大丈夫。問題は桜子だ」


「あ、あたし?」


「成り行きとはいえ、桜子も知ってしまった。でも、あんまり深入りしなければ見逃してもらえるんじゃないかって考えたんだ。マジョルカの本命はパンテオンのブリードだ。あれは特別なんだと思う」


 ――秘密にはレベルがある。


「魔界のカブクワのことを知っていても、パンテオンのブリード法さえ知らなければ口封じされずにすむかもしれない。だからパンテオンの飼育に桜子をかかわらせたくなかったんだ」


「それでなのね。やっと納得いったわ」


 桜子はやれやれといった感じで肩をすくめた。


「たしかにあたし、パンテオンにはかかわってないけどさ、ほかでガッツリかかわってるじゃない。見逃してもらえるかしら?」


「うっ、まあ……たしかに」


「ゆっきーが口封じされるなら、あたしも同じ目にあうわよ」


「そ、そうだね……」


 ゆっきーは目を伏せてあやまった。


「ごめん、桜子」


 桜子は「あはは」と小気味よく笑った。


「っていうか、だいじょーぶよ! だってゆっきー、協力者でしょ? あのエロ鳥ともうまくやってるじゃない。そんなひどい扱いされないと思うわ」


「そう思う?」


「ええ」


 そう聞いて、ゆっきーは少し心がかるくなった。ひとりで考えすぎていたのかもしれない。


「そうだね、さすがに命を取られるまではないよね……。せいぜい買収されるか、脅しを受けるかってとこかな」


「ふうん? なによ、さっきまで深刻な顔してたくせに」


「いやいや、あえて最悪の状況を想定していただけだから」


「ふふ、ほんとかなぁ?」


「そうそう」


 ふたりで顔を見合わせて笑った。


「まあいいわ。もし何かしてくるっていうなら、そのときいっしょに考えましょ」


 そう言うと、桜子は前かがみになって近づいてきた。


「だから、ゆっきー」


 自分のおでこを、ゆっきーのおでこにぶつけた。

 こつんっ、と鳴る。


「いてっ」


 どんぐりのような黒目が、ひたと見すえてきた。


「あたしにもパンテオンの飼育、手伝わせて」


「うん、わかったよ」

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