第18話 虫ならBANされないっ!?

「ええっと、せっかく着替えてもらって悪いんだけど、今日は特に手伝ってもらうことはないんだ」


「そうなの? じゃ、あとでそうじでもしようかしら」


「え、そんな、いいよ」


「いいから、いいから。いつも使わせてもらってるからね。とにかく始めましょうよ」


「わかった、ありがと。じゃあ準備するから待ってて」


 今日はヘラクレス・ヘラクレスのハンドペアリングをする予定であった。

 ハンドペアリングとは――。

 要は人の手による『交尾』である。


「ドウシタ、ユッキー。顔、赤イゾ」


「まあ、なんというか、正直ちょっと恥ずかしい」


 桜子はまじまじとゆっきーの顔を見て、目をぱちくりさせた。


「へー」


「なんだよ」


「気にするんだ」


「まあね」


「それってエロいってこと?」


「まあそうだけど」


「ふふふ、なにそれ」


「気にするほうがおかしいって、頭ではわかってるんだけどね」


「そうよ、生命にとって大事なことよ」


「他ノ生物ノ交尾ヲ見テ、楽シイカ?」


「うっさい」


 ブリードするなら交尾の確認は重要である。

 オスとメスを一緒に入れておけば自然と交尾するものだが、確実を期するならハンドペアリングを行ったほうがよい。


「べつに恥ずかしがらなくてもいいじゃない。エロには厳しい動画サイトだって、虫の交尾は投稿してもBANされないのよ」


 桜子はぐっと胸をはった。


「だからこれはね、エロじゃないの」


「どういう理屈だよ」


「全クダ」


「むふふ」


 ゆっきーは園芸用の鉢底ネットを取り出した。

 カブトが交尾するには足を引っかける場所が必要である。ネットか発泡スチロールがいい。

 テーブルの上に鉢底ネットを広げ、そこに昆虫ゼリーを置いた。

 続けて昆虫ゼリーの上に、ヘラクレスオオカブトのメスを置く。

 メスはむしゃむしゃとゼリーを食べ始めた。

 先にエサを食べさせておくと、じっとしていてやりやすいのだ。


「これからオスを乗っけるわけだけど……」


 ちらりと桜子を見た。


「桜子、やる?」


 桜子は力強くうなずいた。


「メスの胸と腹のあいだ、そのへんにオスの顔を持っていって。匂いをかがせる感じで」


「え、こう?」


 カブトやクワガタの胸と腹のあいだにある、小さな『三角形』。

 ウルトラマンのカラータイマーみたいな、あのよくわからない三角形を『小盾板』という。

 メスの小盾板の匂いをオスにかがせると、

『ヤる気スイッチが入る』

 と、言われている。


「で、そしたら、オスをそっとメスの上に乗せて」


「……乗せたわよ。これでいいの?」


「いいんじゃないかな。メスはいやがってないみたい。オスもしっかり反応してる」


 オスはメスの体に乗っかると後ろの足で半立ちになり、前足と真ん中の足でしっかりとメスの体を把持した。

 腰元でメスの体を抱えるような姿勢である。


「不思議よね、カブトムシも『イヌやネコと同じスタイル』なのね」


「……」


 オスのおしりが浮いて、なにやら突起のようなものがにゅっと生えてきた。

 生殖器である。


「うわぁおぅ……」


「……」


 ゆっきーは思わず前屈みになった。

 桜子はテーブルに肘をついて、両手であごを支えた。

 ガン見する気満々である。


「こういうのって、かぶりつきって言うのよね」


「知らないよ……」


 それから数分かけて、ようやく交尾が始まった。


「わ、わ、『めりめり!』って音がする、『めりめり!』って。だいじょうぶなの、これ?」


「落ち着け、桜子。足がネットをひっかいてる音だよ」


 もうどんな顔をしたらいいか、ゆっきーにはわからない。


「ウケッ、変態チジョ」


 最初こそ動きがあるものの、交尾はほとんど微動だにせず行われる(オスの腹がひくひくする程度)。

 このあとオスがメスを抱えた状態がおよそ三十分から一時間ほど続く。


「このまま終わるまで待とう」


「オッケー。それにしても雄々しい姿よね」


 たしかに、世界最大のカブトムシともなると交尾すらかっこいい。

 子孫を残すことが生きる目的である彼らにとって、それはまさしく晴れ舞台なのだろう。


 終わるまでの間、桜子たちと一緒にハウス内のそうじをした。

 四十分くらいたった頃だろうか、桜子が声を上げた。


「あ、終わってる?」


 駆け寄って見てみると、オスのおしりがメスから離れていた。


「ちょ、ちょっと、すごい! あれ、あれが『赤い糸』……?」


 桜子が口に手を当ててつぶやいた。


「そう」


 答えてゆっきーは顔が熱くなった。

 オスの生殖器からメスのおしりにかけて、つぅーっと赤茶色の糸が伸びていた。

 ブリーダーのなかでは『赤い糸』と称され、交尾成功の目安とされている。


「すごい……ねえ、ゆっきー、すごいね……」


「…………」


 やっぱり女子と見るのは間違いだったかもしれない。

 なんだかとってもいたたまれない。

 マジョルカが茶化して足で蹴ってきた。

 うっとうしいので適当に手で振り払う。

 勇気を持って桜子の顔を見ると、ほっぺが朱に染まっていた。


「すっごい……」


 さっきから桜子は「すごい」しか言っていない。

 やる前は平気そうなことを言っていたが、いざ交尾を目の当たりにして彼女も恥ずかしくなったのかもしれない。


「ねえ、ゆっきー」


 ヘラクレスを見つめながら桜子が聞いてきた。


「ほかのカブクワの交尾もこんな感じなの?」


「うん、まあ、そう」


「ゆっきーはいつもこうやってハンドペアリングしてるのね」


 ここでゆっくり桜子は振り向いた。

 短い黒髪に沿うように、切れ長の瞳があった。目の下やほっぺにはまだ上気した赤みが残っている。


「したほうがいいんだ。産卵させるのが難しいやつとか、凶暴なやつとか」


 ゆっきーはつとめて真面目に答えることにした。

 そうでもないと恥ずかしくて口ごもってしまいそうだ。


「凶暴なやつをハンドペアリングするのは、どうしてなの?」


「メスを殺しちゃうから」


「うそ」


「いや、まじで」


 コーカサスオオカブトや、ギラファノコギリクワガタなど凶暴な種は厄介で、オスメス一緒にしておくとオスがメスを殺してしまうことがある。


「こわいわね」


「おとなしいやつは、オスメス一緒に入れておくだけでいい。日本のカブトとか、ニジイロとかパプキンとかはそうしてる」


「そうよね、ほんとはそれが自然よね」


「まあね」


 たしかに彼女の言うとおりだ。自然にまかせるのが一番いい。

 だがこれは、あくまで人工飼育。

 自然のままではうまくいかないこともあるのだ。


「プククッ」


 近くで聞いていたマジョルカが吹き出した。

 桜子がじろりと見る。


「なによ、なにかおかしかった?」


「イヤ、ナニ。『ソレガ自然』トカ言ウカラ」


「だからなんなの」


「オ前タチ、二人ノコトダ」


「はーあ?」


 マジョルカは左右のつばさを大げさに振り上げて、やれやれと首を振った。


「『オス』ト『メス』、ズット同ジ箱ノ中ニイルノニ、交尾シナイクセニ」


「……?」


 すぐには意味がわからず、ゆっきーと桜子、ふたりして顔を見合わせた。


「……!」


 ややあって意味に気づき、同時に息をのむ。

 意図せず顔が火照った。

 マジョルカは、クククッと笑いをかみころしている。


 くそエロ鳥め……。

 この微妙な雰囲気で、なんてこと言いやがる。


 ゆっきーはひとつ空咳をすると、マジョルカをにらんだ。


「あー、今夜は焼き鳥かなぁ」


「エケッ?」


 桜子が乗ってきた。


「あら美味しそう、あたしもご相伴にあずかっていい?」


「いいけど、一匹分しかないから食いでがないよ」


「いいわよ、べつに。それでどうする? 今すぐ締めちゃう?」


 桜子が両手のこぶしを縦に並べて、ぞうきんをしぼるようにギュッと握りしめた。


「ギェッ、ヤメロ! スマン、スマン! 冗談ダッ!」

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