第17話 彼と、する……って
「御花見さんは息子の手伝いに来てくれたのですか」
「はいっ」
「もう少しで終わりますから、上がって冷たいお茶でも飲んで待っててください。冷蔵庫のなかにあるから勝手に出していいですよ」
「あ、おじさん、だいじょうぶです、おかまいなく。あたし、この作業、見ていたいです」
「そうですか? そうおっしゃるなら……。雪、あとでちゃんとおもてなしするように」
「わかってるって」
ゆっきーは家で『雪』と呼ばれている。
「雪、御花見さんに危ないこと、さたせたりしてないだろうな」
「してないよ、大丈夫だって」
「今日はなにをする予定なんだ」
「父さん、そんなこと聞いてどうすんの」
「かくさなくてもいいだろう。御花見さん、教えてくれませんか」
桜子は首を少しかたむけて、はにかみながら答えた。
「コンテナハウスで、その、今日……する……って話になったんです」
「……」
「……」
「……うふ」
「すみません、もう一度言っていただけますか」
「今日、彼と、する……って約束したんです」
「……」
桜子は右手と左手の人さし指を、胸の前でちょんっちょんっとくっつけた。
「生命の営み…………的なことを」
ざわっと、父の首筋から炎のようなオーラが立ち上った。
「いてっ」
ガシッと力強く、息子の肩をつかむ。
父は非常にゆっくりとした動きで、ゆっきーのほうを振り返った。
その顔はまるで仁王か不動明王のよう。
「ゆぅ~きぃ~、おまえぇ、ひとさまのお嬢さんをぉおおおっ」
「ちがうちがう、誤解があるっ!」
「ごめんなさいっ、おじさん、ちょっとふざけました(笑)!」
コンテナハウスに入った桜子は、ハウス内の成虫ゾーンに向かった。
背伸びしたり、腰をかがめたりして、飼育ケースをのぞいていく。
「エレファスゾウカブト。この重量感、たまんないわね。金色の毛もきれいだわ」
エレファスは体全体の大きさと重さでは、ヘラクレスすらしのぐ。
でかいのに性格は温厚。メスにもやさしい。
全身をビロード状の毛がおおっており、えも言われぬ高貴さがただよう。
「コーカサスオオカブト、かっこいいわぁ。この角! この角がいいのよ」
コーカサスは好戦的で凶暴なカブトだ。
暴れ牛を思わせるがっちりとした体格をしている。
前へ突き出した三本の角は、さながら三つ叉の槍である。
「パプキンって、ほんと宝石みたい。こんなのが自然にいるなんて信じらんない」
パプアキンイロクワガタは、ニジイロクワガタと同じ『色虫』として知られる。
ブリーダーたちの努力の甲斐あって、色がバリエーション豊富である。
レッド、イエロー、グリーン、ブルー、パープルなどが存在する。
「タランドゥスの体って、つやつやして、黒光りしてて、黒真珠みたい!」
タランドゥスオオツヤクワガタは、『アフリカの神秘』とも称される漆黒のクワガタだ。
まるで漆を塗ったような、艶のある黒色をしている。
見ていると吸い込まれそうなほど美しい黒だ。
幼虫は特別な菌糸で育ち、オスは成熟すると謎の振動を発する。
「きゃあー、オオクワガタ、かっこいいー! 見て、この太くて力強いアゴ! あたしはカブトならヘラヘラ(ヘラクレス・ヘラクレス)、クワガタなら断然オオクワだわ」
オオクワガタは日本で最大級のクワガタである。
逆三角形の体に、ペンチのような太い大アゴ。さらにこの大アゴにはこれまた太くて鋭い内歯(ないし)が生えている。
愛好家も多く、大型血統を作り出すため日夜ブリーダーたちが奮闘している。
「眼福だったわぁ。あ、ゆっきー、ごめん。待たせちゃったわね」
「あの、桜子」
桜子は、ん? と小首をかしげた。
「その、ほんと……に?」
「そりゃね。興味あるもん」
「いいの?」
「わるいの?」
逆に問われて、ゆっきーは考え込んだ。
たしかに。悪いことではないな。
「いいでしょ、一度くらい生で見てみたい。じゃ、着替えてくるね」
そう言うと桜子は、パイプ棚の裏にまわって着替え始めた。
ゆっきーは、ふうぅ~っとゆるいため息を吐いた。
さっき父には誤解だと説明したが、桜子の言ったことは半分本当だった。
しゅるしゅると衣ずれの音がする。
なんだか妙にどぎまぎして、ゆっきーは心臓のあたりを押さえた。
こういうことは女子のほうがあっさりしているのだろうか。
変に意識する自分がなんだか馬鹿みたいである。
途端――。
「きゃあっ」、「ウケェッ」と二種類の悲鳴が聞こえたかと思うと、ドタドタと足を踏みならす音、バシバシと壁を叩く音が続けて聞こえてきた。
「どうしたの、桜子?」
着替えをしているほうをなるべく見ないよう聞いてみた。
だが物音ばかりで返事はない。
視界の端に何度か、紫色や緑色のものが映る。
あれは、あいつの羽根か?
やがて音がやんで静かになり、桜子が毎度おなじみTジャ(Tシャツ・アンド・ジャージ)に着替えて戻ってきた。
その右手にオウムに似た鳥の足をつかみ、逆さまにかかげている。
「やっぱり、おまえか。マジョルカ、なにやった」
「このエロ鳥野郎っ! あたしの着替え、のぞきおったぁ!」
乱れたボブカットを左手で整えながら、桜子は答えた。
「ソッチカラヤッテ来テ、勝手ニ服ヲ脱ギ始メタンダ!」
「だったらひとこと言って離れたらいいじゃない。なんであたしのおしりをさわる必要があんのよ!」
「猿ノ尻ト一緒カ、確カメタノダ」
「なんだとぅ、なめたこと言って! このセクハラ鳥、こうしてやるっ」
桜子は叫んで、逆さまにつかんだまま鳥を上下にぶんぶん振った。
「フハハハッ、空ヲ旋回シ飛行スル私ニ、コノヨウナコト何ノ苦ニモナラヌッ、ウゲロゲロゲロォ~」
「効いてる効いてる、桜子、そのくらいでやめてやれ」
桜子が手をはなすと、鳥はふらつきながら床に着地した。
「おまえが悪いんだぞ、マジョルカ。ひとのおしりをさわるんじゃない」
「フン! ウケッ」
マジョルカは舌を出してえずく真似をした。
桜子とマジョルカは、いつもこの調子でケンカばかりしている。
ふたりを会わせたのは失敗だったかな、とちょっぴり後悔するゆっきーである。
「はあーっ、もういいわ。ゆっきー、早く始めましょ」
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