第16話 いくらで売れたの?
ゆっきーがコンテナハウスを引き継いだのは、二年前のことだった。
このコンテナハウスはもともと祖父のものである。
祖父は勤め先を辞めたあと、退職金の一部を使って庭にコンテナハウスをおっ立て、趣味の場所とした。
それまで自分の部屋でしか飼っていなかった虫たちをこの場所へ移し、わずか数年で世界中のカブトムシやクワガタをそろえてしまった。
趣味道楽の祖父のことを、家族は誰も止められなかった。
ゆっきーは時々このコンテナハウスに入れてもらって、祖父に虫たちを見せてもらった。
だが虫の世話については何ひとつ手伝わせてもらえなかった。
孫の相手よりも、自分の趣味を優先するような祖父であった。
ゆっきーは、こどものように趣味に熱中する祖父のことがうらやましかった。
そして二年前に祖父がいなくなり、コンテナハウスと中身の処遇について家族会議が持たれた。
白藤家のほかの家族は誰も……祖父の息子である父でさえも虫が好きではなかった。
ゆっきーが「自分がやる」と手を上げなければ、虫たちはすべて処分されていたことだろう。
家族の了解のもと、ゆっきーは祖父のコンテナハウスを引き継ぐことになった。
ゆっきーは最初っから虫に興味を持っていたわけではない。
祖父の残したものを完全になくしてしまうのが心苦しかっただけだ。
いきなり最初っからすべての虫を管理するのは不可能で、売ったり譲ったりして数を三分の一ほどに減らした。
飼育に慣れてきた頃からまた増やし始め、じょじょにもとの数に戻りつつある。
祖父は几帳面な性格で、虫たちの飼育方法をパソコンと紙ファイルの両方にまとめていた。
ゆっきーはそれを参考にしながら虫の飼育を行っている。
ヘラクレスならH、オオクワガタならO、といった名前の付けられた膨大な容量のファイルは、今でも役に立っている。
魔界のカブクワたちを羽化・産卵できたのも、この『祖父ファイル』から得た知識を応用したおかげだ。
梅雨があけて、七月。
本格的に暑くなりはじめていた。屋外でも虫の活動が活発化している。
日曜日にゆっきーは父親と、玄関先で段ボールの梱包をしていた。
「おじさん、こんにちはっ」
ガラッと玄関が開いて、ノースリーブ姿の桜子が顔を出した。
「はい、こんにちは。御花見さん」
「やあ、桜子」
「はぁい、ゆっきー。あれ、おじさん、なにやってるんですか」
「宅配便を送ろうと思って、まとめているところですよ」
「カブトムシ……をですか」
足下に、大きなカブトムシが入った飼育ケースが置かれていた。
ヘラクレスに似た形状の、頭から伸びる角(頭角)がきわめて長いカブトだ。
胸の上部から伸びる胸角も長いが、胸の中央からはさらに二本の短い角も生えている。
桜子がゆっきーのほうを見たので、代わりに答えた。
「ネットオークションで売れたから、落札したひとに送るんだよ」
ゆっきーは定期的にネットオークションでカブトムシやクワガタを出品している。
と言っても手続きが面倒なため、表だっては父にやってもらっていた。
そしてそれは正解だったと思っている。
意外とゴタゴタがあったりするのだ。落札者との間に。
大人である父が応対してくれるおかげで、今まで大きなトラブルにはならずにすんでいる。
頼りっきりはよくないのでせめて税金くらいはと、自分で確定申告している。
「今回はネプチューンが売れた」
ネプチューンオオカブトは、ヘラクレスに次ぐ大きさを誇るカブトムシである。
「うわ、それ、高いんじゃないの? いくらで売れたか聞いていい?」
「オスメスのペア、三セット。今年の三月下旬羽化、いずれもサイズはオス120ミリ、メス60ミリ前後」
「うん、見ればおっきいのはわかる。で、いくらなの」
「すでに『後食』が始まって一ヶ月経過」
「いや、だからいくらで売れたのかって聞いてんの」
『後食』とは、成虫に羽化してからの食事を指す。
カブトムシやクワガタは、羽化しても一ヶ月以上、長いとなんと三ヶ月近く何も食べない。
後食が始まってから、さらに一ヶ月くらいしたら成熟したとみなすことができる。
「成熟済み、即ブリ可(すぐブリードが可能という意味)。これが、な、な、なーんと!」
「だーかーら、いくらで売れたのよ」
これを正規の店で買うと、二万から三万、いやそれ以上するのが普通だ。
「三ペアともだいたい一万五千円。プロじゃないからね、それで即決にした」
「もうちょっと高く売れるんじゃない」
「いいの、いいの」
これでも十分高く売れたと言える。文句はない。
ゆっきーはこうしてカブクワの成虫や幼虫をネットで売って、そこそこのお金を得ている。
それはそっくりそのままコンテナハウスの維持費にまわされる。
コンテナハウスは温度管理のため、一年三百六十五日ずっと空調が稼働している。
ほかにもワインセラーに冷凍庫、虫用エアコンボックスまである。
ひと月の電気代は半端ないのだ。
マットや菌糸ビン、昆虫ゼリー、床材などの消耗品だって大量に必要となる。
そのほか産卵用品や新しい飼育ケース、飼育のための便利グッズ、カブクワ専門雑誌、そして新規個体の代金もまた入り用となる。
これらを全部、自力で稼ぐ必要があるわけだ。
さもなければ単なるごくつぶしとして、家族から白い目で見られること請け合いである。
「保冷剤、入れるの?」
「そろそろ暑くなってきたからね」
夏のイメージのあるカブトムシだが、ほとんどが暑さに弱い。
標高の高いところに生息しているネプチューンはなおさらである。
高温にならないよう、保冷剤をいくつか入れて発送することになる(ちなみに寒さの厳しい冬はカイロを入れる)。
「買ったひと、どんなひとかな。やっぱりゆっきーみたいな趣味でやってるひとかしらん」
「たぶんそうだと思うよ。素人累代品だからプロは買わないと思う」
「大切にしてくれるといいわね」
「きっと大切にしてくれる。そう信じてる」
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