第15話 暗躍する奇鳥

 桜子を送ったあと、ゆっきーは母屋で夕ご飯を食べてから再びコンテナハウスに向かった。

 今日はまだ少しやることが残っていた。

 成虫たちの世話をしなくてはいけない。


 元気かどうかをチェック、ケース内の汚れがひどくなっていたらそうじをして、必要に応じてエサとなる昆虫ゼリーを追加する。

 カブクワはどっちかというと幼虫よりも成虫のほうが手がかかる。

 コンテナハウスのなかには、有名どころのカブトムシやクワガタが勢揃いしていた。

 ざっと見回すだけでもヘラクレスにコーカサス、ネプチューン、ギラファ、ニジイロ、パプキン、ミヤマ、オウゴンオニなど、そうそうたるメンツである。

 ちょっとした昆虫ミュージアムだ。

 それに今は魔界のカブクワまでいる。


 ゆっきー、うらやましい、か……。


 ふっと、桜子に言われた言葉を思い出した。

 今こうしてカブクワの飼育を楽しむことができるのは、ひとえに祖父のおかげだ。

 ある意味とてもラッキーだったと言える。

 だがカブクワ飼育はもっとお手軽でいいはずだ。ここまで規模を大きくする必要はない。

 ちょっとしたスペースがあれば、誰にでもすぐ始められるものなのだ。

 カブクワ飼育はほかには代えがたい面白さがある。

 成虫は鎧武者のようでかっこいいし、力強く動く様子は見ていて飽きない。

 オスメスをペアにして卵が産まれたら、軽く感動する。

 幼虫はけなげで生命力にあふれているし、サナギから無事に羽化したときは時間がかかるだけあってうれしさもひとしおだ。


 桜子、喜んでたな。よかった。


 感慨深げに、ゆっきーは虫たちの世話を続けるのであった。



 ゆっきーが作業を終えてコンテナハウスを出てから、しばらくの時がたった……。

 時刻は、深夜午前一時を回ったあたり。

 母屋の明かりも消えて、白藤家は誰もが寝入っていた。

 森閑として静かな夜に、わずかな物音がひびいた。

 月明かりに小さな影が動く。

 何者かがコンテナハウスに入ろうとしていた。


 かちゃり。


 入り口のドアの鍵を開ける、かすかな音。

 続いて、


 きぃい〜。


 と、ドアがゆっくりと動いた。

 するり、と影がドアの隙間から忍び込む。

 そしてドアは同じくゆっくりと閉まった。

 コンテナハウスの中に子犬ほどの鳥が降り立ち、ニタニタとした笑いを浮かべた。

 魔界の使者、マジョルカだった。


 クケッ、今度もうまく入り込めた。


 こっそり入るのは、もう何度目かになる。

 実はマジョルカは合鍵を作って持っていた。

 以前、無理矢理に窓枠をこじ開けて入って見つかったのは、わざとだった。ドアは開けられないとゆっきーに思わせるためのフェイントである。

 あの聡明なゆっきーにも、こっそり入り込んでいることはバレていない。それもそのはず、マジョルカの本来の任務は潜入、スパイ活動なのだ。本職と言える。

 本当ならゆっきーと会うのは明後日の早朝の約束だったが、魔界の使いである彼にはその前にやることがあった。


 コンテナハウスの中は明かりがなく真っ暗だったが、夜目のきく彼には関係なかった。

 迷いなくゆっきーの机に向かい、引き出しを開けて分厚いファイルを取り出す。

 ゆっきーの祖父が残した、カブクワ飼育のノウハウの詰まった門外不出のファイルである。

 マジョルカはペタンと座り込み、首から下げた巾着袋から、何か細く小さい物を、左右の足を使って器用に取り出した。

 足は鳥に似ず、猿のようになめらかに動く。

 マジョルカはファイルを開くと、その取り出した物体を向けて何やら操作した。

 これは言うなれば、マイクロカメラのようなものだ。

 第六階層の魔界の文明度はこの第二階層に比べて低いが、これくらいの機器ならある。

 ゆっきーにはあえて、魔界には機械のたぐいはないと伝えてあった。

 だから、こちらで例えるなら中世くらいの文明度だと思われているはずだ。

 ファイルをめくり、次々と撮影していく。

 膨大なページ数におよぶため、容量の問題で一回では無理だったが、あと二、三回繰り返せば全部写し取れるだろう。

 撮影を終えると、ファイルをきちんと元通りに戻し、引き出しを閉じた。

 次に向かったのは、秘密の飼育部屋だった。

 当然、ここも合鍵を作ってある。

 マジョルカは中に入り、まず大きな水槽を見上げた。

 水槽の壁に、巨木を捻じ曲げたかのような幼虫がへばりついている。鋭利な刃物のごとき大顎でまったりと土を食んでいる。

 インゲンスマンモスオオカブトの幼虫である。


 こいつらは、ゆっきーに飼われて運がいい。

 本国なら運命は決まっていたな。


 今度はくるりと、あたりを見回した。

 成虫の入ったプラケースのなかに、色鮮やかな蛍光を放つものがある。

 暗闇のなかでそれは一際明るく、美しい。

 壁際を見やると、マットの入った長大なプラケースがいくつも積み上げられている。

 その一角に、ポツポツと何色もの光が明滅している。悪夢を思わせる、気味の悪いイルミネーションだ。

 そこには、魔界で最も美しく、最も人を惑わせるクワガタの幼虫が潜んでいる。


 ゆっきーがこのイルスルミナスを産卵させ、孵化まで成功させたのには驚いた……。


 本国でもブリードを試さなかったわけではない。だが、イルスルミナス・オオツヤクワガタは誰も上手くできなかった。

 それをゆっきーは、こともなげに交尾、産卵、孵化させたのだ。

 なんでも産卵木に生やすキノコ菌糸を何パターンか種類を変えて試したらしい。

 キノコの種類で違いが出るのかと、マジョルカには目からうろこだった。


 クケケ、素人も存外、馬鹿にならんな。

 目をつけたのは正解だったようだ。


 ドゥオモもクラドノータも、おまけのようなもの。

 イリスルミナスのブリード法だけで、マジョルカは本国から高い評価をもらえた。

 マジョルカは首にかけている巾着袋を見つめてほくそ笑んだ。

 これとクラドノータを組み合わせれば、人工的な生産も可能となる。

 それは我が軍に大いに役立つだろう。


 あとは、パンテオンだが……。


 マジョルカは、床下のスペースに入るのはやめておいた。

 パンテオンの一齢幼虫は、悲しいほどストレスに弱い。あえて近づくことはない。

 はたして、ゆっきーでもあれのブリードは成功するだろうか。

 期待して気長に待つしかない。

 熱心にブリードに取り組むゆっきーの姿を思い浮かべる。


 ふうむ、そんなに楽しいものかな。

 ひとつ私もやってみるか。


 魔界のカブクワの飼育については、ゆっきーから詳細に教えられていた。

 今回、魔界から運んできた荷物のなかには、ドゥオモの幼虫が多く含まれている。


 ちょうどいい。

 万が一、ということもある。

 武器はないよりあったほうがいい。


 マジョルカはマイクロカメラの残り容量いっぱいまで、秘密の飼育部屋の様子を撮影すると、忍び込んだ痕跡を丁寧に消してコンテナハウスをあとにした。


 白藤家の庭は変わらず暗く静かなままで、ただ皓々と月が光を投げかけるだけだった。

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