第14話 ニジイロを、きみに

 その後はしばし無言の時間が流れた。

 入れ替えをする菌糸ビンは、全部で五十個。

 ふたりしてあぐらをかき、菌糸ビンを抱えて無心に掘り続けた。

 サクサクと菌糸ビンを掘る音だけが聞こえる。カニでも食べてるときみたいに静かだった。

 ようやく作業を終えたときには、すでに日が暮れていた。


「遅くなっちゃってごめん」


「だいじょうぶ、家には遅れるってメールしといた」


 結局、五十のうち二つが星になっていた。

 それを桜子はだまったまま見つめて、短く息を吐いた。

 少なからずショックを受けたようだ。

 だが前もって心の準備ができていたせいか、平静を保っていた。

 ゆっきーは桜子と一緒に、星となった彼らに手を合わせた。

 それを終えると、ゆっきーは冷蔵庫からキンキンに冷えたコーラを取り出した。


「はい、どうぞ」


「ああ、ありがと。ちょうど、のど乾いてたとこ」


「いつもだけど、今日は本当にありがと。ぼくひとりだったらまだ終わってなかった」


「いえいえ。どういたしまして」


 桜子はコーラをいっきに飲み干すと、鼻をすんっと鳴らした。

 入れ替えの終わった菌糸ビンの棚をじいっと見る。

 そして聞こえるかどうかの小声で、


「いいなぁ、ゆっきー」


 と、ぼそっとつぶやいた。


「ぼくは、じいちゃんの残したものを引き継いだだけだよ」


「知ってる。でもやっぱり、うらやましい」


 ゆっきーはコーラに口をつけたまま、少し考えた。


「飼って、みたら」


「え?」


「桜子も、飼ってみたらどう?」


 それを聞いて彼女は首を横に振り、自嘲気味に微笑んだ。


「むり。うちの家族、虫嫌いだもん。知ってるでしょ」


 たしかに以前、桜子から聞いたことがあった。

 彼女の家族はそろいもそろって大の虫嫌いで、それはカブトムシやクワガタだって例外ではない。

 特に、お姉さんはヒステリックなほどのスーパー虫嫌い人だという。


「お姉ちゃんはね、このコンテナハウスに何がいるのか知ってからは、通勤するときわざわざ迂回していくのよ。遠回りなのに」


「うわ、それは知らなかった」


「そこに虫がいるってだけで避けてんのよ」


 はあーっと、桜子は大きくため息を吐いた。


「だからね、むり。しょうがないわ」


「本音ではどうなの」


「そりゃ、飼いたいわよ」


「桜子って、お姉さんと同じ部屋?」


「ううん、中学上がってからは別々」


「桜子の部屋に勝手に入ってきたりする?」


「いや、しないと思うけど」


「だったら、こっそり部屋で飼えばいいじゃん。ちゃんと管理すれば迷惑はかけない思う」


「え……い、いいのかな」


 桜子の顔に少し光が戻った。


「ほんとに飼っていいと思う?」


「桜子だって自分の世界を持っていいと思う」


「そ、そうよね、あたしだってもう高校生だし」


「そのかわり、ちゃんと責任を持たなきゃ」


「うん、わかってる」


「じゃ、決まりだ」


 桜子は黒目をひときわ大きく見開き、フンス! と鼻息を荒くした。


「だったらあたし、幼虫から飼いたい!」


「お、いいね」


「なにがいいと思う?」


「おすすめはクワガタかな。カブトムシだとマットに小バエがわくことがある。それはまずいから、菌糸ビンで育てられるクワガタがいい」


「うん、うん」


「桜子、やっぱり大きいやつじゃなきゃだめ?」


「そんなことない、短小でもいい」


「こら。そういうのやめろ。だからチジョって呼ばれるんだぞ」


「へ?」


「無自覚な……まあいいや、ぼくのおすすめは『ニジイロ』だ」


「知ってる、あのきれいなやつね!」


 ――ニジイロクワガタ。

 別名『森の宝石』と呼ばれる、美しいグリーンのクワガタである。

 オスは60ミリ前後と、外国産クワガタのなかでは比較的小さい。

 七色に輝く構造色の体と、カブトの角のように上へ反り上がったアゴが特徴。

 代表的な『色虫』である。


「こいつはすごく飼いやすい。常温で育つし、性格もおとなしい」


「部屋のなかでも、だいじょうぶなの?」


「夏の40℃とかじゃなければ」


「値段はいくらくらい?」


「おてごろだよ。成虫はオスメスのペアが三千円台で売られてる。幼虫だと1、2齢が一頭三百円とか四百円とか」


「それなら買えるわ。ものは何を用意したらいい?」


「幼虫のときは菌糸ビンくらいかな。飼育ケースはサナギになってから買っても遅くない」


「菌糸ビンってよくわかんないんだけど、どれ使ったらいいの」


「オオヒラタケの菌糸ビン、サイズは800ミリリットルでいいよ。こだわらなければ、一本300円くらいですむ」


「意外と安いのね。幼虫とか菌糸ビンってどこで売ってるの? ネット?」


 ゆっきーは飼育ケースが積まれた一区画に歩いていった。

 そこにある、ひとつの段からラックごと引き出す。


「昆虫ショップのネット通販が一番楽なんだけど、幼虫ならここにいるからあげるよ」


 取り出したのは、土が入った中サイズの飼育ケースだった。

 自分でも正確に把握してないが、ここに十頭近くの幼虫たちがいる。


「ニジイロは卵を産ませるのも簡単。調子に乗ってたくさん産ませすぎて、菌糸ビンに入れられないくらい増えちゃった。そのうちフリマサイトで売ろうかと思ってたけど、桜子がもらってくれるならうれしい」


 反応がないので不思議に思って振り返ると、桜子は目をパチクリさせて棒立ちしている。


「あの、幼虫、もらってくれる?」


「え、いいの?」


 桜子はパタパタとはだしで近づいてきた。


「うん。桜子にはいろいろと手伝ってもらってるし、何かお礼をしなきゃって思ってた」


「お礼って、そんな、あたしも楽しんでるのに。それに、いつもアイスとかジュースおごってもらってる」


「それとはべつに、だよ」


「いや、やっぱりただは悪いわ。少し払う」


「いいって。お金はいい。これからも手伝ってもらえれば」


「……わかった。ありがと。それじゃ、遠慮なくもらう」


 桜子は上目遣いではにかんだ。


「んじゃ、このケースにいる幼虫持っていって。三頭くらい」


「そんな、一頭でいいわ」


「いや、三頭にしといたら。その、言いにくいけど、星になるやつも出てくるかもしれない」


 はっとして、桜子は顔をこわばらせた。

 シビアな意見だが、今しがた星になった個体を見たあとなら分かってもらえるはずだ。


「四月に割り出したから、たぶん二齢にはなってると思う。二齢ならまず星にならないと思うけど、念のため三頭持っていって」


「うん」


「そうと決まれば、さっそく取り出そう」


 ゆっきーはケースを逆さにして、中の土をトロ船に落とした。

 土をやさしく探ると、やや細長い幼虫がむにょむにょ動いている。

 ざっと見て、七、八匹はいる。


「わあ、かわいい」


「好きなの選んでいいよ」


「じゃあ、この子と、この子、それとこの子をもらうわ」


「ちょっと見せて……うーん、オスメス判別はちょっとむずかしいか。全部オスとかメスにはならないと思うけど」


「いいわよ、それは。オスでもメスでも元気に育ってくれたら」


「オスメスがペアでそろえば、累代できるよ」


 幼虫を育て、羽化させて、カップリングして産卵させる。

 そしてまた幼虫を育てる。

 それもカブクワ飼育の楽しみの一つである。


「それはぜひ挑戦したいわね。あれ、でも待って。この子たちって、きょうだい?」


「そうだよ」


「きょうだいで交配させてもいいわけ?」


「三代くらいまでなら、きょうだい間で交配しても大丈夫だと思うよ」


 きょうだいでの交配をイン(ライン)ブリードという。

 血を濃くすることでデカい血統を作ったり、特定の色を濃くしたりできる。


「兄と妹、もしくは姉と弟で……禁じられた関係……ごくっ」


「こらこら、虫の話だからね」


 インブリードすると、産卵数が減ったり、卵の孵化率が下がったり、羽化不全を起こしやすくなるなどの弊害が出るとされる。

 だから二代か三代インブリードしたあとは、外の血を入れたほうがいいらしい。

 ゆっきーはパイプ棚から菌糸ビンを三本持ってきた。


「じゃあ、こいつらを菌糸ビンに入れちゃおう。入れ替えと要領はいっしょだから、桜子、自分で投入して」


「わかった」


「この菌糸ビンはさっきギラファに使うはずだったやつ。これもあげる。オスは大きいビンに入れ替えるから、どうしても余分に余るんだよね」


「ありがと。何から何まで悪いわね」


「どういたしまして」


「入れ替えのときは自分で買うわ。そう言えばニジイロって入れ替えはどうするの? やっぱりオスは大きいのに替えるべき?」


「ニジイロはオスでも羽化まで800ミリリットルでいいよ。だいたい一回か二回入れ替えるかな。羽化まで半年ってとこ」


「半年かあ、楽しみ」


「羽化までの時間は短いほうだね。おすすめは『オオクワガタ』でもよかったけど、あれは幼虫期間がちょっと長いから」


 もはや手慣れた手つきで、桜子はニジイロの幼虫たちを菌糸ビンへ投入していった。

 三本の菌糸ビンを大切そうに抱える彼女を見て、ゆっきーは柄にもなく胸が熱くなった。


「ありがとね、ゆっきー。大切に育てる」


「喜んでもらえてうれしい。でもそれ基本、放置で大丈夫」


「気・持・ち! 気持ちの問題よ」


 桜子は顔を紅くして言った。


「今日は遅くなったから送ってくよ」


「すぐそこだからいいわよ」


「そういうわけにはいかない」


 日が落ちたあとの田舎道は暗くて不気味だ。

 のどかな町だからさほど心配することもないが、女子を遅くまで家に上げていた以上、ひとりで帰すのは気がとがめる。

 しきりに遠慮する彼女を、ゆっきーはなかば強引に家まで送っていった。

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