第11話 そう言えば、今日あいつは?
「そう言えば、今日はマジョルカいないの?」
「あいつは里帰り。一週間くらい留守にするって言ってた」
「里帰りって、第六階層……魔界に?」
「そ。だいたい一ヶ月おきに帰っては、追加の卵や幼虫を持ってくる」
「ふうん、律儀なやつ」
桜子はあぐらにした足の上にビンを置き、片手で固定したまま、もう片方の手でスプーンをリズミカルに出し入れした。
「ま、あんなエロ鳥、べつにいなくてもいいんだけどね」
桜子は紅い唇をゆがめて、意地悪そうにつぶやいた。
ゆっきーは苦笑して肩をすくめた。
はじめこそ興味を持って話しかけていた桜子だが、マジョルカからさんざん下ネタを言われて嫌うようになってしまったのだ。
ちなみに桜子がよく言われる悪口は『チジョ(痴女)』である。
「ねえ、なんでカブクワなのかしら」
桜子がぼそっと疑問を口にした。
「ん?」
「森が小さくなって絶滅の危機っていうなら、ほかの生き物も絶滅の危機じゃない?」
「たしかにそうだね」
「じゃあどうして、カブクワだけブリードしようとしてるのかしら」
「う~ん、何か理由はあると思うけど、カブクワは鳥とか魚よりもブリードしやすいからね。それもあると思う」
個体が小さい。運びやすい。
エサが手に入りやすい。
飼育の手間がかからない。
病気や飢えに強い。
孵化から繁殖可能になるまでの期間が短い。
ひとが襲われる危険がまずない。
……などなど。
カブトムシやクワガタはほかの生き物と比べて、いやほかの昆虫類と比べても、生命サイクルを人工的に作りやすいのだ。
やり方を間違えたら簡単に死んでしまうのも、ある意味重要である(逃げた個体が外来種として定着しないため)。
「ブリードさせたら、また森に放すのかしらね」
「マジョルカはそう言ってるけど、どうだか。ひょっとしたら売り物にするつもりかも」
「ああ……なぁる」
桜子はゆっきーをしげしげと見て、得心したようにうなずいた。
こうして飼って育てている者がいるのだ。
カブクワはペットとして売れる。
大きくなる個体や見目鮮やかな個体は、特に。
「謎なのは、なんでゆっきーに頼んできたのかってことよねぇ」
桜子はビンに差し込んだスプーンをテコの原理で動かした。
ごぽっと白いかたまりが取れると同時に、焦げ茶色のオガが飛び散る。
顔にかかったそれを気にすることもなく手で払いのけ、頭をぶんぶん振って髪についたものを落とした。
「わざわざ高校生のところに来なくてもいいのに。あ、ごめん、ゆっきーのことディスってるわけじゃないのよ、気を悪くしないでね」
「わかってる。ぼくだってそう思うから」
カブクワのブリードを知りたいなら、昆虫ショップの店員とか飼育レコードホルダーとか、もっとほかに適任がいたはずだ。
「あいつは『頼ンダノハ、ユッキーダケ』とか言ってたけど、そんなわけない。絶対、事前に調べてるはずだ。ほかに頼むべき人がいるのを知らないわけがない」
「じゃ、どうしてあんたのとこに来たと思うの?」
ゆっきーは軽く咳払いした。
「そういう『本命』の人のところへは、マジョルカの仲間がとっくに頼んでると思う。ぼくはたぶん『ダメ元』だ」
「ダメ元! ああ、それは燃えるわね」
「燃える?」
「ブリードを見事成功させて、見返してやろうって思わない?」
「いやあ、あまりそうガツガツした気持ちはないけどね。まあ、やる気はあるよ」
「ふふ、そうよね、ゆっきーは『見返してやる』って言う人じゃなかったわね」
桜子は前かがみになって、声をひそめた。
「ねえ、ゆっきー」
「なに」
「マジョルカのこと、信用してる?」
「信用? まさか」
ゆっきーはスプーンを動かす手をゆるめず答えた。
「あいつ、きっとなんか大切なこと隠してる。根拠はないけど、そう思う」
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