第10話 ギラファ、菌糸ビン入れ替え

 六月になった。

 きっともうすぐ梅雨になる。心なしか空気も湿ってきている気がする。

 今日はギラファの菌糸ビンの交換をする予定である。そのために桜子も呼んでいた。


 ――ギラファ・ノコギリクワガタ。


 世界最長のクワガタである。

 胴体の3分の2にせまるほど長いアゴが特徴で、オスは大きいもので120ミリを超す。

 その名のとおり、アゴの内側に鋭い内歯(ないし)が並んでいてノコギリのようである。

 人工飼育する際は、一齢か二齢初期の幼虫を菌糸ビンに投入、オガをだいたい食べた頃合いを見計らって(三ヶ月くらいで)新しい菌糸ビンに交換する。

 オスは幼虫でもかなり大きくなるので、オスの幼虫はサイズの大きい菌糸ビンに入れ替えることになる。

 入れ替えは何度か行い、今回は二回目の交換である。


「すごい。これ、おっきい」


 ビンの壁ごしに幼虫をながめながら、桜子はうっとりとした口調で言った。

 クワガタもカブトムシと同じく、幼虫のときにオスメス判別ができるポイントがある。

 しかしそれ以前に、単純な大きさだけでも分かる。大きければたぶんオスだ。


「やり方、わかる?」


 ゆっきーは桜子に、金属製のスプーンを手渡した。


「はじっこからほじればいいんでしょ」


「そ。慎重にね」


「わかってる」


 『菌糸ビン』とは、オガクズにキノコ菌を回して、ぎゅうぎゅうに固く詰めたものだ。

 掘るときにはそれなりに力がいる。

 食いきっていれば土のようになって柔らかいが、たいてい食い残しがある。

 この固い食い残しをスプーンで掘って、幼虫を探り当てるのである。

 万が一にもスプーンで幼虫を傷つけないように、慎重に、丁寧に、掘り進める必要がある。

 その点、桜子は器用だった。

 絶妙な力加減でメリメリ掘っていき、幼虫をボロンとビンの外に転がした。


「ふふーん、どう?」


 桜子はあごを上げて、にっこり微笑んだ。心なし鼻が高く見える気がする。


「上手だ」


「えっへん」


 ゆっきーは出てきた幼虫を計量器に乗せた。


「どう?」


「……38グラム」


「うそー、けっこうおっきく見えたのに」


「たぶんメス。ほらここ、卵巣らしいものが見える」


 ゆっきーは幼虫の背中をやさしく引っ張ってみせた。

 うっすら一対のクリーム色のものが透けて見える。これが雌斑(めすはん)だ。


「う~ん、よくわかんない」


「そのうちわかるようになるよ」


 次にゆっきーは、『リンゴの芯抜き』を手渡した。

 近くの百均で買ったものだ。


「これで新しい菌糸ビンの真ん中をくり抜いて。穴が空いたら幼虫を入れてあげて」


「オッケー」


 桜子がうまくやるのを見て一安心したゆっきーは、自分の分に取りかかることにした。

 ビンのふたを開けて、じっと見てみる。

 最初に幼虫を投入したときの穴が、中心にくぼみとなって残っている。

 表面にはキノコの菌糸がべったりとおおって、白い膜が分厚く張っていた。


 ――これならいける……っ!


 ゆっきーはスプーンを端からそっと入れて、白い膜だけをはがしはじめた。


 ぞりぞり、ぞりぞり。


 はがし終えると、テコの原理でぽこっと膜を浮かす。

 はがした膜は中心のくぼみに穴が開き、白い輪っかとなっていた。

 まるで缶詰のパインのよう。もしくは白いドーナッツ。

 ゆっきーは輪っかを両手でつまんで、桜子に見せた。


「こんなん、取れまちた~」


「……くふっ」


 桜子は手の甲を口元に当てて笑った。

 某虫系ユーチューバーの物まねである。

 分かる人にしか分からないネタだった。

 桜子はカブクワの動画が好きで、いくつものチャンネルを登録しているのだ。

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