第9話 竜よりも強い虫

「こんなとこに、何をいっぱい入れてるわけ?」


 秘密の飼育部屋の床。

 段差の端っこに手をかけると、横にスライドして入り口が開いた。

 その奥にある高さ80センチくらいの狭いスペース、そこに目いっぱい物が詰め込まれていた。

 ペルチェ素子を使った虫用エアコンボックスに、小型のワインセラー数台。ほかにも電化製品がいくつか置かれてあり、床下は配線だらけになっている。

 ゆっきーと桜子は、四つん這いの姿勢で入りこんだ。


「あ、水槽の土台が見える」


「あれは重すぎてね、上がんなかった」


「ああ、そういうこと。んで、ここには何がいるの」


「『パンテオン・ヴィルガオオカブト』。魔界の森で最強の生き物なんだって」


 後ろから、トテトテとマジョルカが歩いてきた。

 人間には狭い空間も、オウムほどのサイズの彼にとってはちょうどいいようだ。


「ソノ最強ノ存在モ、住ム森ガナクナレバ生キラレナイ……」


「最強って、そんなに強いの?」


 ゆっきーたちを追い越して、クルッと振り向く。


「強イノナンノ!」


 ばさぁっと翼を広げる。

 そしてクチバシから泡を飛ばして語り出した。


「巨大ナ体躯! 強靱ナ脚! 前ニ突キ出タ五本ノ胸角ト、鋸歯ノ並ンダ凶暴ナ頭角!」


 翼をあっちへ振りこっちへ振りながら、演説のように蕩々と語った。


「ソノ凄マジイパワーハ、ハルカニ体格ノ大キナ『トロール』ヤ『オーガ』デサエ楽々ハネ飛バス!」


「まあ、カブトムシって力持ちだものね」


「黄金色ニ輝ク甲翅ハ、『ドラゴン』ノ吹ク炎モ物トモシナイ!」


「火をかぶっても大丈夫なの? それはすごいわ」


「耳たこだよ。この話、もう何回聞いたか」


「特筆スベキハ、虫ノ常識ヲ覆ス高イ知性!」


「え、ち、知性?」


「知識ヲ容易ニ吸収シ、応用スル! 言語ヲ理解シテ、コミュニケーションガ可能トナル!」


 桜子は信じられないといった顔で、ゆっきーを見た。

 ゆっきーは「んー」とうなって、首をひねった。

 パワーといい、防御力といい、そして知性といい、見てないので何とも言えない。


「『パンテオン』ハ、長イ間ズット、『獣人』ヤ『ドラコン』ニヨル侵略カラ森ヲ守ッテキタ。森ハ『パンテオン』ヲ頂ニ抱ク、ヒエラルキーニヨリ、平和ガ維持サレテイタノダ! マサニ森ノ王! マサニ森ノ支配者!」


 語り終えると、マジョルカはひときわ大きく翼を広げた。

 ジャジャーンと効果音が聞こえてきそうである。


「そんなに強いのに、なんで絶滅危惧種になったのよ」


「森がどんどん小さくなったことが原因なんだって」


「森が小さく? どうして」


「戦争ダ。戦争デ使ウタメニ、木ヲ伐リスギタ。ソノ後ノ復興ニモ、タクサン木ヲ使ッタ」


「虎やライオンとおんなじだと思う。一個体は強いけど、環境が悪化すれば全体の数が減る」


「ああ、なるほど」


 そしていざ数が減ったときにあわてても、もう自然に数が回復することはないのだ。

 前に質問したときマジョルカはお茶を濁していたが、たぶん森を破壊したのとマジョルカを派遣したのは同じ者たちだろうとゆっきーは見ている。


「で、そのパンテオン、どこにいるの?」


「ここらへん、全部そう」


「え、だって大きいんでしょ? こんな狭いスペースのどこにいるの」


「成虫はいない。残念ながら」


 そう、ここにいるのはすべて幼虫。

 成虫はおろか、サナギや三齢幼虫すらいない。


「さっき言ってた『全然できてないの』って、実はこれなんだ。ぼくはパンテオンの飼育がまったくうまくいっていない。二齢まではいくけど、それ以降は全部死んでしまってる」


 だからマジョルカが言う成虫の凄さを目にしてはいない。


「こっちのカブトと同じように、幼虫は土を食べて大きくなることは分かってる。マットの種類を何通りにも分けて育ててるんだけど、まだ相性のいいのは見つかってない」


 市販のマットはあらかた試した。

 あとはもう、自分で配合するしかない。


「それと肝になるのはやっぱり『温度管理』だと思う」


 ここに虫用エアコンボックスやワインセラーがあるのはそのためだ。

 これらは1℃単位で温度管理ができる。

 『マットの性質』と、『飼育に適した温度』。

 これらを生息していた森の情報をもとに、何通りも何通りも調べていく。

 それは無限の可能性を模索する、途方もない作業である。


「マジョルカたちにとっても、この種は特別らしい。パンテオンをなんとか羽化までもっていくことが、ぼくの目下の目標」


「ガンバレ、ユッキー。期待シテルゾ」


「あたしも手伝えることある?」


「もちろん。よろしくお願い」


 床下から出ると、桜子は「う~~ん」大きく伸びをした。

 ゆっきーもそれに習う。ふたり一緒になって、ぐーんと伸ばした両腕と背中を右、左とストレッチした。


「なんか、今日はいろいろとおつかれさま」


「ねえ」


「ん」


「なんでこの床下だけ内緒にしようとしたの」


「うん?」


「秘密の飼育部屋は教えてくれたのに、なんでここだけ?」


「男には、いくつも秘密があるのだ」


 あごに手を添えてうそぶいた。


「なに、かっこつけて。それ女に変えても通るでしょ。ねえ、なんでなの」


「実を言うと」


「うん」


「飼育に失敗してることが恥ずかしくて、知られたくなかった」


 桜子は黒目をぎゅぎゅっとすぼめて、「ん~~?」と顔を近づけてきた。

 まばたきせずジトーッと見つめてくる。

 髪がかかり、ほほの熱が伝わってきそうなほど近い。


「ゆっきー、そんなこと気にするタイプじゃないじゃん。ほんとかなぁ」


「まあ、秘密にはレベルがあるってこと」


「レベル? なにそれ。……ま、いっか。結局は教えてくれたわけだし」


 顔を戻すと、ぱんっとゆっきーの肩を叩いた。


「じゃ、もう遅いから、今度こそ帰るね。ばいばい」


「うん、気をつけて帰って」


「鳥さんも、またね。ばいばい」


「サヨウナラ、桜子。コレカラ、ヨロシク頼ム」


「ええ、よろしく」


 そう言うなり桜子は、ピューッと風のように走って帰っていった。

 ゆっきーは秘密部屋の電気を消し、ドアを閉めてカギをかけた。

 母屋に戻る前に、マット交換の片付けをしなくてはならない。

 掃除機で落ちた土を吸っていると、マジョルカがクケックケッと声を殺して笑いだした。

 見るとクチバシをゆがめてニヤニヤしている。


 気持ち悪いな、何笑ってやがる。


 そう思ってマジョルカの視線を追ってみると――。

 その先に白いソックスがふたつ、生気をなくした幼虫のようにくたぁっと落ちていた。


 ……桜子のやつ、結局忘れていったな。

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