第16話 契約書はしっかり読もう

「あ〜マジでタコ食い飽きた。ユヅキィ、何か別のもんねぇの?」

「……ない」

「なあ、このタコ何とかできねぇの? パンに挟むとかさ」

「だから……ないって……」


 アホとは実に興味深いもの生き物だ。何度も何度も同じ会話を繰り返すくせに、全く話が通じることがなく、もはや何故こんな無意味なやりとりをしているかも覚えていない。

 さらにタチが悪いのがこのアホは自分の状況を全く理解していないという点である。


「はぁ……マジでユヅキって貧乏なんだなぁ」

「うるさいな……確かに俺の生活はお世辞にも裕福とは言えない……だが、だがな……」


 そこで一息吸って俺は立ち上がる……。そして吸った息を怒声にして思いっきり吐き出した。


「人の家に転がり込んでる分際でグチグチ文句を垂れるなぁ! このアホが!」

 

 そう、こいつはあろうことかあの日から俺の家に居座り始めたのだ。しかも勝手に! そしてそのまま1週間も経てば……もうすっかり我が家のように寛いでいる。


「うわ、ユヅキが怒ったぞ! 隠れろ隠れろ!」

「そんなにタコが嫌ならさっさと帰れ。ここは俺の家だ」

「店長の魔道具店に間借りしてるから正確にはユヅキの家じゃねぇだろ」

「うるせぇ。いいから早く帰れ!」

 

 俺が怒りに任せてそう叫ぶと、アキラは顔だけひょっこり出してニヤリと笑う。殴りたくなる顔とはまさにこの顔のことだ。


「イヤだね〜」


 コイッツ……! マジで帰れよ! なんでずっと居座ってるんだよ!? いますぐにでも切り刻んでやりたい。だが、こんなやつでも切ったら犯罪だ。

 殺意が溢れ出すのを必死に堪えながら、俺はなんとか声を震わせながらも続ける。


「なんでだ? なんで帰らないんだ?」

「そりゃあなぁ。考えてもみろよ。こんな姿になったんだぜ? 帰る場所なんてどこにもないだろ? だからユヅキのところにいるんだよ」

「それは全部自業自得だろうが……勝手にダンジョンに入って勝手に猫耳美少女になったんだろ……」

「そ、それはそうだけどよぉ」


 アキラは不満げに頰を膨らませると、そのまま俺に背を向けるようにして丸まってしまった。その姿がまたムカつくことこの上ないのだが……。

 確かにこのアホの言うことにも一理ある。

 突如猫耳美少女になったアキラは世間的には行方不明扱いだ。それにアキラだという証明ができても、性別が反転したとなれば……家族友人には別人扱いされ、帰る場所なんてないも同然だろう。

 確かに厄介で迷惑極まりないのヤツだが、なんだか憎めないというか……同じ転性者ということもあって同情もしてしまうし……そもそもよく見れば結構可愛い顔をしているし……少しぐらいなら……。

 俺が1人で脳内でそんな葛藤をしていると、突然アキラが口を開く。


「なあユヅキ……」

「……なんだ?」

「俺と契約して、人気配信者にならないか?」

「は?」


 人がせっかくモヤモヤと悩んでいるというのにこのアホは……。やっぱり追い出してやろうか?


「いや、だってさ……ユヅキって今金が必要なんだろ?」

「まあ、そうだな」

「そんでもって、この前の配信は大成功だったじゃん?」

「……まあな」

「それなら俺と契約して、配信者になろうぜ! そしたらオレもオマエもハッピーハッピー。だろ?」

「うーむ……」


 こいつにしては珍しくそこそこマトモな提案だ。しかし、俺の中で一つの懸念があった。それは……


「でもお前……ユリアちゃん扱いされるの嫌なんじゃねぇの?」

「そ、それは……」


 そう、この間の配信でアキラは散々視聴者にユリアちゃん扱いされてキレていた。きっとこれからも嫌がるに違いないと……そう思っていたのだが


「ま、まあ……ユリアちゃん扱いされるのも……うん。ほら、まあ悪くないってか……少し慣れたってか……」

「え……? まじ?」


 正直意外だった。いかにもといった感じのオラオラ系ヤンキーであるアキラがまさか女の子扱いを受け入れるだなんて。


「ただその……住まわせてもらうためにどうしてもっていうならやってやってもいいって話だぜ!? 勘違いするなよ? べ、別にユヅキのためにやってるわけじゃないんだからな!?」

「え、あ……はい……」


 頰を染めながらツンデレするアキラに、俺はそう答えるしかなかった。

 タコ神から救ったときもそうだったが、こいつ女なんじゃないか? ってくらい可愛く見える時があるんだよなぁ……。

 何かが乙女心をくすぐったりしているのだろうか? だとしたら何がトリガーに?


「で、どうするよユヅキ? オレと契約する気になったか?」

「ん……まあ」


 俺がそう答えるとアキラは嬉しそうにぴょんと飛び起きて俺の胸目掛けてダイブしてくる。そしてそのまま甘えるようにして頬擦りしてきた。まるで飼い主に甘える猫のようだ。


「よしっ! んじゃ決まりだな! よろしく相棒!」

「相棒言うな」


 俺はアキラを引き離しながらそう答える。この数日でアキラの扱いにはだいぶ慣れたものだ。しかし当のアキラは不満げに頬を膨らませて俺を見てくる。そしてそのままぷいっとそっぽを向くと呟いた。


「そ、その……ありがとな……」

「え、なんだって? なんか言ったか?? よく聞こえなかったんだけど?」

「うっせぇ! なんでもねぇ!」

 何か気に障ったのかアキラは顔を真っ赤にしながら怒鳴り声を上げた。

 そしてそのままドシドシと足音を立てながら部屋の外へと出ていく。


「あ、おい……どこ行くんだよ!」

「散歩! 腹減ったから雑草でも拾ってくるわ!」

「腹壊すなよ〜……」

「うっせぇ! 言われなくてもわかってるわ!」


 バタンッと音を立てて閉まる扉。アキラがいなくなると部屋の中は一気に静かになった。

そして、俺は1人になった部屋でポツリと呟く。


「とんでもない同居人ができてしまった……」


 ため息混じりにそう呟きながら、俺はソファに倒れ込む。すると今度は外からコンコンッと玄関をノックする音が聞こえてきた。


「誰だ? まさかアキラ……帰ってくるの早すぎだろ」


 俺がそんなことを呟きながら扉を開けると、そこにはメガネの男性が立っていた。その男性はハンカチで汗を拭きながら、俺に向かって問いかける。


「あ、あなたがユヅキさんですか?」

「え、あ……はい」


 突然の来訪者に戸惑いつつもそう答える俺。すると彼はへにょ〜んとした笑顔で名刺を差し出してきた。


「はじめまして。私、こういうものでして……」

「は、はぁ? どうも」


 俺はおずおずと名刺を受け取ってその内容を確認する。するとそこにはプロダクションの文字。そして彼の『佐々木」という名前と冴えない顔写真が載っていた。

配信者スカウトか何かだろうか……。


「そ、そのですね……」

「はい」

「今日はユヅキさんにご提案があって参りました」

「は、はぁ……」


 やっぱり配信者スカウトだな。まったく……有名になるってのも辛いぜ……。俺はそんなことを思いながら苦笑いを浮かべる。

 しかし次の瞬間、佐々木の口から出てきたのは予想外の言葉だった。


「ぜ、ぜひさいたまスーパーアリーナで、歌って踊る。アイドルライブをしていただけませんか!?」

「…………は、はいぃぃぃぃいぃ!?」

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