第4話 弟子のエリオット〜〜ですっ!!

 ダンジョンを一歩出ると、ファンタジーな世界から一変してアスファルトとコンクリートの匂いが漂う文明社会が広がる。

 陽は高く昇っているはずだが、街の至る所に張り巡らされたガラスが日光を遮るため、岸壁に囲まれたダンジョン内よりも狭く、薄暗く感じられる。


 10年前まで埼玉県の失敗作とも揶揄されていたさいたま新都心は、ダンジョンの経済効果で一新され、今や都心どころか世界の中心地となっている。

 ダンジョンから産出される資源やモンスターの素材が、強烈な経済効果をもたらしたのだ。金に目のない世界中の企業がこの地に注目し、ダンジョンを中心に新たな街づくりが進められた。現在では、さいたま新都心は現代技術の結晶とも言える区画に変貌している。

 だがしかし、やってきたのはなにも外国人だけではない————


『ギャォォォォーン!』

「うるさいなぁ。ドラゴンには騒音規制法が適用されないのか?」


 空ではドラゴンと飛行機がランデブーし、アスファルトの道をミノタウロスが車と共に駆け抜ける。

 スーツ姿のゴブリンは慌ててスマホを片手に地下鉄へと駆け込み、ネットで注文すれば、トラックではなく大きな羽を持つハーピーのお姉さんが商品を届けてくれる。

 さいたま新都心は、モンスターと人間が対等に日常を享受する異界と現世が交わる都市となったのだ。


「あ〜やっと家に帰れた」


 俺はこのダンジョン都市の片隅で、魔道具店の2階に間借りして暮らしている。


「この角を右に曲がれば、愛しの我が家だ!」


 帰ったらどんなふうにだらけてやろうか。そんなことを考えつつ、俺は路地を右に曲がった。

 しかし、そんな夢も束の間、目の前に広がっていたのは予想していた光景ではなく……


「……もえ、てる?」


 パチパチ……パチパチ……

 炎の跳ねる音と焦げ臭い匂い、そして視界いっぱいに広がる赤々と燃える炎の海。


「なんじゃあ、こりゃあ……」


 突然の我が家の喪失に俺が唖然とする中、聞き慣れた声が明るく快い響きで俺の耳に届く。


「あ、師匠! お帰りなさい!」

「エリオット…………」


 俺の弟子(仮)であるエリオット・チューリングは燃え盛る家を前にしても、全く動じることなく俺を出迎えてくれた。


「これは一体全体どういうことだ!?」

「あ〜こ・れ・は・ですねぇ〜。科学の進歩のために……一つの尊き電子レンジが犠牲になって……えへっ!」


 キャラメル色に前髪だけ真っ白に染まったショートヘアを指先で弄りながら、エリオットは可愛いらしい口調でとんでもないことを言う。


「いやいやいや……。その尊き電子レンジが我が家に襲撃かましてるんですが……なに? お前、マジで何したの?」

「う〜ん、実験?」

「なんの?」

「電子レンジで……核融合が起こせるのかどうか……」

「…………」


 エリオットはただ無邪気に答えた。

 もはや言葉も出ない。

 エリオットは常にシスターの装いに身を包み、首から十字架をぶら下げている。所謂『聖職者』にもかかわらず、大の科学バカだ。

 今までもその実験で多数の犠牲を生んできたが、まさかここまでの大事件を起こそうとは……


「師匠……もしかして怒ってますか?」


 トパーズのような瞳をウルウルさせながら、上目遣いで俺の顔を覗き込んでくるエリオット。

 修道服のベールにシルエットが浮かぶ三角のケモ耳はペタンとへたり込み、その尾は不安を表すかのように忙しなく揺れている。

 こんな姿を見せられてしまっては怒るに怒れない。


「はあ……怒ってない」

「ほんとですか!」

「ほんとだよ」

「やったぁ!」


 俺の返答にエリオットはパァッと表情を明るくし、嬉しそうにその場でぴょんぴょんと跳ねて喜びを全身で表現する。


「あ、そうだ! 家が燃える前に持てるものは持って来たんです!」


 そう言って、エリオットは側にあった大きな袋を俺の前にドサッと置いて見せた。


「おま……これ……」

「ドッグフードです!」


 どや顔で胸を張り、袋に詰まったドッグフードを見せびらかすエリオット。

 どうしよう……頭が痛い……。


「なんか……他に色々とあっただろ? 金とか、服とか……せめて人間の食べ物とか」

「お金は364円。服は……ゴミみたいなのばっかで、冷蔵庫にはもやししか入ってませんでした。なのでドッグフードです! ね! 芬和酈ふんわり!」

「ガウッ!」


 エリオットが名前を呼ぶと、俺の尻尾にも負けないくらいモフモフな白い四足歩行の生物が姿を表す。


「よしよし! いい子だね〜、芬和酈ふんわりは!」

「ガウッ! ガウガゥ!」


 飼い犬(仮)の芬和酈ふんわり。体調が5メートル近くがあるから、間違いなく犬ではないと思うのだが……一応ペットという名目で飼っている。


「あー……なんだ。取り敢えず、家が燃えたのはもう起きてしまったことだから仕方ない。問題はこれからどうするかだ」

「はい! どうするおつもりで?」

「ズバリ……『逃げる』だ」

「『逃げる』ですか……」

「三十六計逃げるに如かず。もし店長が帰って来たら俺らは間違いっっっっなく殺される。だから一刻も早くここから逃げるのだ」


 店長……それは現在絶賛炎上中のこの魔道具店の所有者である女性なのだが、これが本当におっかない。

 俺が家賃を滞納した時なんて、腎臓を巡って本気の鬼ごっこをしたくらいだ。

 家を燃やしたとなったら、間違いなく俺は殺される。それは間違いない。


「なるほど。素晴らしい作戦ですね♪」

「だろう?」

「でも、その作戦には重大な欠陥があります!」

「な、なに!?」

「それはズバリ……」


 エリオットは俺の視線をしっかりと見据える。そして次の瞬間、俺の背後を指差して、とびっきりのドヤ顔で決定的な欠陥を告げるのだった。


「すでに店長が目の前にいることです!」

「…………」


 エリオットの宣言と共に、俺のすぐ後ろ。そこに強烈な殺気を感じ取る。

 俺はゆっくりと後ろを振り返った。


「やあ、ユヅキくん♪ 何をしてるのかな?」


 そこには満面の笑みを浮かべる女性の姿があった……。

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