第6話
成田はジャスミンティーをグラスに軽くキスをするように飲んだ。
「でしょうね。あなたは自分で自分を低く見積もることに、不毛なエネルギーをかたむけていらっしゃるから」
一瞬見惚れていたミモザだが、続けて出てきたバカ丁寧な言葉にまたしても心が波立った。
「どうしてそんなことを。あの、先日お会いしたばかりの関係なんですよ、その」
「ずかずかしすぎだって言いたいんですね」
「もしかして、スピリチュアルとか? 申し訳ないですけど、私関心がないんで」
そこで今度こそ成田は屈託なく笑った。
「違います。僕はただの人形師ですよ。でも、モデルをただの素材とは考えていないだけです」
口をつぐんだものの、ミモザはなぜか屈辱感を感じていた。妙な男に誘われるままに出てきてしまった、ということではなない。うまく言い返せない自分が歯がゆいのだ。
「私には私の、これまでの三十年以上の人生と、考え方があります。簡単に分かったようなことを言わないでください」
不満をぶつけたつもりなのに、成田は身を乗り出しそうな仕草をした。
「その人生を背負ったあなたが、実に魅力を放っていることに、あなたは気づいていない」
「は?」
「今、のあなたが」
「今」
「あなたはその背負ってきた人生に疑問を持っていますよね」
「そりゃ、そうでなきゃ、起業しようなんて考えません」
「そうつっけんどんにならずに。頼むからもう少しだけ、素直になっていただけませんか」
思わず口をつぐみ、ミモザはグラスに生けられた造花のミモザに目をやった。
ミモザという名前。本当は好きではない。でもそれは迂闊には言いだせないことだ。
「自分のきれいさを素直に受け入れてくださいと何度も……」
「その話は止めてほしいです」
口調がきつくなった。
軽いため息が成田から漏れた。
「何か、背負ってきたものにかかわるんですか」
「深掘りしすぎでしょう。まだお互いによく知らない関係なのに」
ジャスミンティーの透き通った液体の水面にほんの少しさざ波が立っている。ミモザはそれを見るともなく見ていた。頭は別の方に向かっている。
そろそろ帰ろうか、そう思いはじめたときだった。
「楽しいところへ行きませんか」
不意に言われた言葉にぎょっとする。
「ほらまた変な想像を。いえ、本当に楽しいところですよ。もう少しリラックスして。動物園でも水族館でもテーマパークでもショッピングでも、何でもつき合いますから。モデルさんをただの素材だとは思っていないといったでしょう。ミモザさん、もっとあなたのことが知りたいんです」
ミモザは沈黙する。頬に血が上るのを抑えるために、冷たいジャスミンティーを飲むばかりでなく、グラスを頬に当てた。
考え込む。動物園も水族館もテーマパークの類も、ミモザにはまったく無縁だった。学生の頃は友人に誘われていったが、それでも控えめだった。あまり外に出るのが好きではない。好きではないのに出てきてしまったことをまた悔やんだ。
「とりあえず、モデルとか人形とかのことはいったん脇にどけといて、こんな魅力的な方とのひとときを僕にプレゼントしてください。妙な気は起こしませんよ、絶対」
語尾に意識的に力が込められているようにミモザは感じた。それが、ミモザの首を縦に振らせたいちばんの理由だったかもしれない。
「今日だけですよ」
ミモザは答えた。
ジャスミンティーはもう溶けた氷と混じり合って味がしなくなっていた。
「行ってみたいところはありますか」
「とくには」
「そうですね。では、ドライブでも」
ミモザは最後のジャスミンティーを飲もうとして咽てしまった。
「そんなに驚くことですか? ……よっぽど信用ない、いやそりゃそうか」
「だって、ドライブって、二人っきり」
言いかけて、そこまで意識していた自分に気づいてさらに動揺してしまう。
「二人っきり、といえばそうですね。いやでも、僕はただ、風に当たるのもいいかなと思っただけで」
なぜか最後まで言わせたくなかった。
「行きましょう。いいですね、ドライブ」
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