第3話 

 ふだんの私服と言われても困る。

 そう、ミモザはため息をついた。

 まだよく飲みこめていない話ではあるが、自分の「人形」ができるとするなら、服装も──そのままではないにせよ、印象に一役買うのだろう。

 ふとミモザは、自分をどう見せたいのかと思い当たった。

 考えてみると、自分はそういうことをあまり考えてこなかったのだと気づく。実は私服は多くはない。それもあまり冒険したようなものはない。これまでの勤め先はスーツスタイルがふつうだったので、さほど気を使わなかったのだ。働く女性の定番のスタイルが板についてさえいれば満足していた。

 ふっと心の奥に、何か光った。本当に、小さな宝石のかけらのように一瞬間。

 そうか。

 今の自分は、自分を表現することを目指しているのだ。

 会社組織の中に居場所をつくるために、人並よりも少しだけ一生懸命に仕事をして「役に立つ」人間として認められる。ミモザの勤めの頃のスタイルだ。出世や稼ぎにさほど執着があったわけではない。だが、会社の「色」に合わせてそれなりに努力し、「成果」をあげ、周りから一定程度の評価をうることを目的としていた。

 「評価」って何?

 あの会社の中での評価でしかない。仕事そのものへのプライドや充足感はほぼなかった。

 考えてみれば、そういう日々がだんだんと色褪めて感じられてきて、気が付いたら辞めることばかり頭を過ぎるようになっていた。

 今回フリーランス、個人事業主としてビジネスをしようとは思い立ったものの、そこで実現したい青写真がはっきりとあるわけではまだなかった。

 これまでの不動産の知識を生かして、何かやれないか、あるいは、まだ三十二歳という年齢、あらたなことに挑戦するか。

 明確な像がないからこそ、あの交流会に臨んだのだった。

 初っ端で変わった人と出くわした。

 そう、あのときに異業種交流会に来ていた人たちの中で、あのメイドラーメンの若い子に次ぐくらい変わった人材だった。あれから三日たった今振り返っても、彼ほど印象に残っている起業家はいない。

 今すぐにでもショッピングに出かけよう。クローゼット内を眺めてみて何か気持ちが沈んできたミモザは、そっと扉を閉め、バッグを片手につかむ。

 これまで夢にも思わなかったようなスタイルで自分を装ってみるのだ。そのままマンションを出て、ミモザは駅に向かった。



 数日後、LINEに入った連絡でミモザは下北沢に呼び出された。その街は、学生時代に友人と来たことがあるだけで、ミモザにとって疎い。劇団の街、若い人の街、そういう印象があるくらいだった。これまでの仕事でも、縁がつながることもなかった。

 しかし、先日買った装いに何か合っているように感じられるのは不思議だ。

 けっきょくミモザは「ふだんの私服」という言葉が頭に残り、ためらいながらもカジュアルなワンピースを選んだ。自分の年齢に合っているのかどうかの判断もつかないが、緑とラベンダー色という大きな花の柄の入った服。柄の縁どりがシルバーのラメ。これまでの無難な服装からすると、ミモザにとっては冒険だった。もっと落ち着いた感じの方がいいのか。そう思いつつ、その逆の方に志向が行く。自分の指は細めだが長い。だから男性のするような太くごつごつした印象のリングを買ってみた。そして、ピアスもそれに合わせてみた。

 家で姿見の前で念入りに自分を見つめておかしくはないか思い悩んだ末、最後はおかしいならそれはそれでいいだろうと思いきった。

 下北沢の街は井の頭線と小田急線が交わり、駅の位置を頼りにしないと迷う可能性がある。学生時代の微かな記憶で、何とか指定のお店にたどり着いた。瀟洒なカフェ。その窓ガラスにももう一度自分を映してみる。

 背景の街路樹の濃い緑に映えるワンピースの色。シルバーのリング。悪くない。髪型を確かめた。思い切ってショートにしていた。

 自分の顔。

 あまり自宅でもしっかり見ていなかった顔。メイクはするが、こそこそとどこか後ろめたいような気持ちを抱えてしっかりと見つめることがあまりなかった。

「きれいさに気づいていない」

 成田の言葉が蘇る。お店のウィンドウに反射する強めの光線。影の濃い緑。

 自分の肌は白い。顔が浮き立って見える。目も口元もつくりは小さいが、鼻筋はまっすぐに通って整っている。

 そこで気づいた。

 鏡にしていたウィンドウの向こう側からの視線を。

 成田の視線だった。ウィンドウを挟んで向かい合い、いつの間にか見つめ合っていた。

 とっさに顔を背けようとしたが、心で踏みとどまった。

 成田は笑っているかと想像したが、極めて真剣な、そう、創造する者の目をしていた。

 バツの悪さよりも、その目に惹きつけられていた。吸いこまれる。そこで気づいた。成田の印象を強く残したのは、その目だったのだ。切れ長で黒目勝ち。男性にしては潤いを帯びている。確かに、この人はクリエーター、あるいはクリエーターたらんとしている人だ、とその時ミモザは悟った。

 これまでの惑いがすっと消えていく。

 気が付くと、ミモザは微笑んでいた。

 お店のドアを潜り抜ける時、きっと自分はこれまでの人生になかった何かに触れることができるのだという思いに胸が膨らんだ。

 店に入るとさっきの席で成田が片手を上げた。店は思っていたほど混んではいなくて、四人掛けに二人でゆったりと座れる形だった。そのことにもミモザはほっとした。

 テーブルの上には、驚くことにミモザの花が飾ってある。驚いて成田を見上げると、

「季節が違うから。俺の手づくり。人形にあしらったりする、小道具のようなものなんだ」

「そうなんだ」

 自分の口調が自然になっていることに気づいた。

「お店の人に花瓶だけ借りた、っていうか、グラスだけど」

 大きめのワイングラスの透き通った中に、一見無造作とも言えるようなふうにつくり物のミモザが飾られていた。

 それをしげしげと見るミモザをさらにじっと見つめる成田がいる。

 二人は、いや少なくともミモザはまだ気づいていないが、そこはちょうど濃い緑を透かした光線が差し込んでいる効果もあって、まるで薄暗い店内で唯一ライトアップされているかのようなのだった。

 しばし無言の後、成田が尋ねた。

「ホット? アイス?」

「コーヒー?」

「いや、紅茶でもいいし。紅茶の他にもいろんなお茶が揃えてある店なんだ」

「そうなの?」

 これまでビジネス上の付き合いでは手堅くコーヒーを頼んでいたミモザだが、今はいろいろなものから解き放たれた気分がある。

「中国のお茶って、飲んだことある?」

 尋ねると成田は、

「詳しくはないけど、ジャスミン茶はたまに飲む」

「じゃあ、私もそれで」

 成田が呼び鈴を鳴らして冷たいジャスミン茶を注文した。

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