●しかしお金を受け取った以上、何もしないわけにはいかない。




 赤い服の女から寧々のことを調べるように言われて、オレはどうしたものかと思った。しかしお金を受け取った以上、何もしないわけにはいかない。寧々からの連絡を待ったが、彼女からは何も言ってこない。そこでオレは自ら彼女に電話をかけてみることにした。

「もしもし。」とオレが言うと、相手は無言の反応をする。

「・・・」沈黙が流れて、オレは咳払いをした。そして自分の名前を名乗る。

「寧々さんですか。」とオレが言って初めて、相手は言葉を返した。

「もう電話してこないで。」その反応にオレは驚いた。

「いえ、これも仕事でして。」と無機質なトーンでオレは言った。感情的になってはすべてがパーになってしまう。

「わかりますけど。」と二言目で少し相手が和らぐのがわかって、オレはホッとした。

「先日の面会は残念でしたが、もう少しお話しができればと思いまして。」とオレは丁寧に提案してみた。再び沈黙が破られたのは、少し間があってからだ。

「話すことはありません。」そこで電話が切られたら終わりだったが、そうはならなかった。

「もう一度、面会をしてみませんか。」とオレは提案してみた。彼女が××に未練があるのは明らかだった。

「・・・」そこで何度めかの沈黙が流れる。

「××さんも、会いたくないわけではない。きっと会いたい。そう思いませんか?」疑問形で投げかけることで、言葉が波紋として広がるようだ。

「そうだといいけど。」と弱音を吐くように女は言った。電話越しの声は限りなく小さかった。

「そうですよ。」とオレは無責任に言い放つ。

「あなた、あの後××とは話したの?」と彼女は言った。まいったなと、オレは思った。××と連絡を取るのを忘れていた。

「ええ、少しですが。」とオレはウソを言った。必要なことはウソでもつくのが探偵というものだ。

「そう。なんて言ってた?」と彼女の目がこちらを向くのを感じた。オレは一つ咳払いをして、まずいなと思った。

「いえ、特に何も。ただあなたの様子を聞いてました。」オレはウソを積み上げていく。自壊しないように警戒しながら。

「あなた、なんて答えたの?」と相手もこちらを警戒しているのが伝わってきた。

「悲しんでいた、と。」これは本当にそうだったから容易く答えることができた。

「そう。」と寧々は答えて、再び沈黙の中に沈んでいく。

「会いたいと言ってましたよ。実は口止めされていたのですが。」と最後の一押しをした。何も良心がとがめるようなことをしてるわけではない。彼女が欲しがっていた一言を言ってあげただけのことだ。

「わかったわ。会いに行きましょう。」彼女はシンプルに答えて、電話を切った。


 雨は降っていなかった。ただ寒さ自体は先日よりも増していた。タクシーは再び荒原のような場所を通っていく。毎回同じ道なのに、まったく親しみがわかない。何もない風景。

「来てよかったのかな。」と寧々は言った。オレはうなずいた。

「よかったと思いますよ。」断言するほど確信に満ちてはいない。だがそう言うしかなかった。

「迷惑がられたらどうしよう。」と弱気に言う女を、まるで怯える小鹿のようだと思った。

「そんなこと、ないでしょう。」とオレは彼女に言う。それも探偵の仕事だと言わんばかりに。

「だといいんだけど。」と女は答えながら、少しは勇気づけられたのか笑ってみせた。

「着きましたよ。」とそこで無口な運転手が喋った。オレたちはタクシーを降りて、留置所の中を歩いていく。勝手知ったる場所。

「サインを。」と刑務官が言う。まずはオレがサインをして、女も書類にサインした。持ち物の簡易検査を受けて、奥へと入っていく。待合室は相変わらず辛気臭く、嫌な湿気がある。隣では別の女性が待っていた。老婆だ、もしかしたらそれほど年ではないのかもしれない。

「こちらへ。」という刑務官の言葉で、オレは顔を上げる。するとそこにはすでに男が座っていた。

「どうも。」とオレは××に言って、いったんその場を離れる。寧々は彼の正面に座りながら、居心地の悪そうにこちらを見た。オレは彼女に向かって、ただうなずいてみせる。しばらくすると寧々は××と話していた。どうやら前回みたいな早々の退出劇は避けられそうだ。ここに来る前に、××に電話した甲斐があるってもんだ。

「あなたの行動には、参ってしまいます。」と電話越しにオレは言った。

「なにが?」と××は寄せ細ったハイエナのような声で言った。

「なぜ寧々さんを帰したのです。」とオレは相手をなじるように言う。

「・・・」相手は黙り込んだ。

「困るんですよ。あなたの裁判にとっても不利になります。」とオレは言った。

「分かってる。」と××は理性的な返答をした。たとえ留置所生活でくたびれていても、それなりの知性は持ち続けているかのように。

「なら、なぜです?」とオレはまだ冷静さを保持して言った。

「彼女のため。」とシンプルだが力強く××は言った。

「それは分かりますが、あなたは自分の立場をどう考えて。」と言ったところで、電話は切れてしまった。オレはため息をついて、留置所に電話を掛け直した。だが××とは喋れず、面会の手続きだけを行った。

「寒いですね。」と刑務官がオレに話しかけてきた。

「そうですね。」とオレは答える。顔見知りになると、まず話すことは天気のことってわけだ。

「雪が降るかもしれません。」と刑務官は言うと、寒そうに手をこすった。ここでは暖房が効いているのか、よくわからない。


 前回のようなことはなく、寧々はゆっくり穏やかに××と話していた。そして刑務官に促され、三十分後に立ち上がった。オレは××にまた来ることを伝えた。彼は神妙にうなずいたが、ただその顔はまるで失神する前の老人のようにも見えた。

「大丈夫ですか。」とオレは去り際に声をかけたが、××は静かに立ち去った。オレもその場を後にする。長い廊下を歩きながら、寧々の後ろ姿が来たときよりも生気にあふれていることに気がついた。

「裁判に出るわ。」と彼女が言ったのは、帰りのタクシーの中でだった。

「え?」とオレは思わず聞き返した。

「彼と話したの。」と彼女は少し嬉しそうに言った。

「裁判についてですか。」とオレは聞く。外では少し雪が降り始めていた。

「ええ。それとあたしたちのこと。」と彼女は言った。

「なるほど。」としかオレには答えることができない。

「色々と大変なことはあるのね。」と彼女はいつになく口なめらかだった。

「裁判に出るとですか。」とオレは尋ねる。

「ええ、企業からの圧力があって。」と彼女は言った。やはり企業からストップがかかっていたってわけだ。

「それは、わかる気がしますが。」とオレは否定的なニュアンスで言った。

「いえ、なんとかなるはずだって、彼が言ったの。」と彼女は言って微笑んだ。これがいわゆる愛の力なのだろうか。

「なんとか。」とオレはため息をつくのを何とか我慢した。

「なんとかなるものよ。」と女は楽観的に語る。しかも、それは裁判や企業の冷酷さを知らない者の言葉ではない。

「わかっておられるはずです。それほど簡単ではないと。」とオレが言うのもおかしな話しだった。

「ええ、もちろん。でも要は覚悟の問題です。」と言う彼女からはエネルギーが溢れていた。来る時とは別人のようだ。

「愛の問題ですか?」とオレは皮肉の一つを言ってみたが、彼女はそれを笑い飛ばした。

「どう言おうと、それはあなたの勝手ですけど。」今や形勢は完全に彼女の方に傾いていた。しかしそれが完全なる勝利にまでつながっているのかは誰にも分からない。

「ええ。」とだけ答えてオレも微笑んだ。

「とにかく裁判に出れば、彼は釈放されるはず。」と彼女は言った。その前に保釈金を積んで仮釈放させる手筈をしなければ、とまで付け加えた。そんな大金があるなら最初から出せばいいと思ったが、事はそんなに容易ではないみたいだ。

「すべてがうまくいくことを願ってます。」と言いつつオレは目を伏せた。外では小雪が少しづつ強くなっている。タクシーは白くなる田舎道を静かに進んだ。


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