〇Dがいなくなって、少なからずオレは動揺した。



 Dがいなくなって、少なからずオレは動揺した。美千代はそんなオレを見て、ご飯を作ってくれた。鮭と納豆と小松菜、味噌汁とご飯。

「どう、元気になった?」と彼女は聞く。

「ああ。」とオレは答える。もちろん本当のことは、胸のうちに隠してある。そうしないと生きていけない世の中。オレがDと出会ったのは、かつて社会の景気がもう少し良好なときだった。世間も浮かれていたが、オレたちはもっと浮かれていた。隠すことも、隠されるようなことも全くなかった。素朴で、狂っていた。

「あれはどこだ。」とDが平気な顔で言う。

「あれじゃわからんぞ。」とオレはタバコを吹かしながら答える。禁煙する前のことだった。

「コンドーさんだよ。」とDは笑いながら言った。

「ああ、それなら右ポケットだ。」とオレは一つDにくれてやる。奴も結婚する前だった。もちろん娘もいない。

「あの女は、まったくイカレてるな。」とDは言った。

「どいつもこいつもイカレてるんだ。」とオレはタバコを灰皿に置いて言う。クラブでは音楽がガンガン鳴っていた。女たちはケツを振って、オットセイのように男を誘惑し続けていた。

「酒飲むだろ。」とDはウィスキーを注文する。オレは横の女のケツを眺めている。

「ああ。」と答えてオレはジントニックを頼む。

「前の女がまた付き合ってくれってさ。」とDは言って笑った。

「で、どうすんだ。」とオレは聞く。

「どっちでもいいんだけどよ。」とDは言って、タバコに火をつける。

「なんだ。気がないなら、気を持たせるのも変だろ。」とオレは言った。

「どうかな。」とDは言いながらグラスに口をつける。片手にタバコ、片手にウィスキー。それが奴のスタイルだった。

「お前次第じゃないのか。」とオレはまっとうなことを言った。

「そう冷たいこと言うなよ。」とDはオレの肩を抱いてくる。

「やめろ。」とオレはその手を払いのける。

「じゃ、行くとするか。」とDは肩をすくめてグラスを置いた。

「なんだよ。」と言って、オレも奴の後ろを追う。ゆらゆらと揺れるDの背中は、まるで暗黒の宇宙に浮かぶ星くずのようだった。少なくともその時のオレにとっては、ということだが。


「どうしたの。」と田中美千代が歩きながら聞いた。

「ああ。」とオレは答えて、道端の花を眺める。

「かわいいわね。」と彼女は言った。こんな子が奥さんならうれしいだろうな、と一瞬オレは思った。

「ああ。」と言って、オレはその花を摘んで彼女に渡した。

「あ、ありがとう。」と言って彼女は笑った。まだ純情さが残っているのか。

「うん。」と再びオレは言って、野良犬よろしくふらふらと歩く。

「どうやって探すの。」と、美千代はナナの親友を当たるという。オレはDの元奥さんを当たることにしていた。

「ま、知り合いをあたって、そのうち奥さんにもたどりつくだろう。」とオレは大まかなプラン、計画にもならない計画を話す。

「うん。」と言葉少なく美千代は答える。

「どうした?」とオレは聞いた。

「こんなことしてて、意味あるのかな。」と美千代が言った。

「こんなこと?」とオレは彼女の横顔を見つめる。

「だって、ナナもDさんも行方不明で。」と彼女は真剣な表情で言う。

「ああ。だから探すんじゃないか。」とオレは言う。

「警察も探してるし、あたしたちが今さら手を出しても。」と彼女は否定的なニュアンスで言った。

「たしかにそうかもしれん。でも何もしないではいれない。」とオレは言って、空を仰いだ。どんよりとした曇り空だ。

「わかるけど。」と彼女はシンプルに答える。

「直感だけど、奴は生きてる気がするんだ。」とオレは唐突に言った。

「え?」と美千代は立ち止まる。

「もし命がないんだったら、もっとマシな奴を狙うはず。オレとかね。」と言った。

「こんな時に茶化さないで。」と彼女は言う。

「いや本当のことさ。Dを狙うなんて、よっぽどおかしな野郎にちがいない。」とオレは言った。

「そうなのかな。分からない、あたしには。」と彼女は泣きそうな顔をしてる。

「分からないことは放っておくがいい。」とオレは言って、彼女の手を握った。

「うん、そうだね。」と美千代は言って、涙を拭く。

「どちらにしても、じっとしてはいられない。」とオレは言って、前を向いた。すると向かい風が吹いて、雲がゆらりと動いだ。


 田中美千代がナナの知り合いを探している間、オレはDの知り合いを当たってみた。Dの知り合いは、ほとんどオレの知り合いでもあるのだが、収穫は何もない。

「奴が失踪?いつものことだろ。」というくらいの返事で、それに対してオレも「そうかもな。」としか答えられない。実際、たまにDは姿を消すことがあった。それに対して誰も何も言わなかった。また姿を現しては、「へへへ。」と笑って金をせびるのがDなのだ。

「どこに行ってたんだよ。」とオレが聞いたとしても、Dは答えてくれない。

「嫁のところだよ。」とたまにふざけて言うこともあったが、その住んでいる場所まで言うことはない。一度など、奴が本当に結婚してるのか怪しんだものだ。

「お前の嫁さん、紹介しろよ。」と言ってみたこともある。だがDはまた「へっへへ。」と笑ってやがる。長い付き合いだというのに、嫁さんも紹介しないとは。オレは腹が立ったが、すぐにどうでもいい気がした。奴が結婚しようが、しまいがオレには関係ないことだ。しいてはオレとDの関係にも、関わりない。だけどもちろんそうではなかった。奴が姿を消すようになったのは、やはり家族との時間を大事にしてたってわけで。

「娘はかわいいぜ。」とある日、突然Dが言った。奴に娘がいると知ったのも、その時だった。

「いつできたんだ。」とオレは目を丸くして言うと、奴が照れたように頭をかく。

「数年前。」とDは答える。オレは熱燗を飲みながら、天を見上げた。

「なんで言わないんだ。お祝いくらいしてやるのに。」とオレは言ったが、Dはタバコを吹かしながらこう言った。

「いいんだよ。赤ん坊なんて、やることやったらできる。天の恵みなんだから。」オレはプィっと笑ってしまう。

「いつもお前には驚かされるね。」とオレは少し酔っ払いながら言った。

「まぁな。」と言いながらDはタバコをもみ消した。

「家には金は入れてるのか。」とオレが尋ねても、Dは答えなかった。

「まぁな。」と言うだけだ。

「なんだよ。」とオレはDの肩を叩いた。だが奴は強情に嫁さんのことも子供のこともそれ以上は言わない。もしかしてもう一人くらい子供がいるんじゃないだろうか、とオレは疑ったものだ。

「んなわけねーだろ。」と言いながらも、Dはへらへらと笑ってやがる。

「どうだかな。」とオレは言って、熱燗を平らげてしまった。その夜のことはそれ以外覚えていない。ただDの優しい目だけは、いつもオレの心を安心させてくれる。 


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