●もちろんその分のお金を払うのだ。




 タクシーはオレと寧々を留置所まで連れて行って、そしてそのまま待っていてくれることになっていた。もちろんその分のお金を払うのだ。

「こんなとこにいるなんて。」と彼女は建物を見て言った。

「最初は警察署の留置所だった。」とオレは言った。少ししてからここに移されたのだ。

「もっと早く来ればよかった。」と彼女は後悔の念をもらす。留置所の廊下はやけに長く、寒々しい。外ではとうとう小雨が降り出した。

「こちらです。」と係りの者が言った。面接のアポは取っていた。寧々の名前は別人のものだ。しかしよく考えてみると、彼女の寧々という名前でさえ本名かは定かでない。となると、すべてが疑わしく思えてくる。

「どうも。」とオレは言って、書類に記入する。二度目とあって、すべてがスムーズに運んだ。オレと寧々は、別室に移動して呼ばれるのを待つ。その間、外の空気が湿気を孕んで流れてくる。

「ふぅ。」と彼女はため息をつく。好きな人と会うのが楽しみという感じではない。

「大丈夫ですよ。」とオレは言う。

「ええ。」と彼女は言って、顔を上げた。その時、再び係りの者がやってきた。そしてオレたちの名前を告げ、面会室に連れていく。部屋に入ると、椅子がありオレたちはそこに座る。しばらくするとガラスの向こうから、××がやってきた。こちらを見て、一瞬立ち止まり、それから椅子に座った。

「久しぶり。」と言ったのは××だった。

「ええ。」と寧々は答える。少し居心地が悪そうだ。

「どうも。」と××はオレに向かっても言った。

「こんにちは。」とオレは頭を下げる。彼女を連れてきたことで、彼の中でオレの株は多少上がったかもしれない。

「できれば、二人で話ししてもかまいませんか。」と××は言った。

「はい。」と言って、オレは少し離れた場所に移動した。遠くから二人を見てると、夫婦のようにも見えた。それか兄妹。あの赤い服の妹は、ここに何回も足を運んでいるのだろうか。

「ごめんなさい。」と言うと、寧々は突然立ち上がり、部屋の外に出ていった。

「どうしました。」とオレが××に聞くと、彼は首を横に振っている。

「まいった。」と××は他人事のように言って、立ち去った。オレは彼を見送ってから、すぐに寧々の方へと行った。彼女は別室に戻っており、泣いていた。確かに女の涙は武器になるが、留置所で流す涙はとてもさめざめとして見えた。外では雨が本降りになろうとしている。


 あまりにもあっけない面会だった。それでオレは雨の中、待たしているタクシーに乗り込む。寧々もそれについてくる。

「駅まで。」とオレは運転手に言った。

「はい。」と簡単な返事をして、運転手はハンドルを握りアクセルを踏む。雨に濡れた留置所がどんどん離れていく。寧々はオレの隣で黙ったまま、窓の外を見ている。

「どうでした。」とオレは試しに話しかけてみた。だが彼女は振り向きもせず、答えることもない。雨の音がその空間を埋めるように走る。オレはため息を殺して、じっと正面を見据える。

「裁判には出なくていい。」と女は突然言った。

「はい?」とオレは聞き返す。彼女の声はそれくらいか細かった。

「彼が言ったのよ。裁判には来なくていいって。」と言う女はタクシーの中に吸い込まれそうに見えた。

「なるほど。」とオレは相槌を打つ。

「どうしてかしら。」と女はじっと外を見ている。

「どうでしょうか。」オレには答える術が分からない。しばらく沈黙が戻ってくる。

「あたしに関わってほしくないのかも。」と寧々は言った。

「関わるとは、裁判にですか。」とオレは尋ねる。

「うん。」と女は言って、オレの方を向く。泣いてはいないが、悲しみが表情に溢れていた。

「どうしてです。あなたが証言しない限り、彼の釈放もない。」とオレは正論を述べた。

「そうね。でも彼はあたしに関わってほしくない。」とまた彼女は言った。

「よく分かりませんね。ではいったい。」とオレが言いかけたところで、タクシーが急ブレーキをかけた。

「すみません。」と運転手が謝った。前を見ると、雨に濡れた野良犬が歩いていく。あまりにも哀れな姿だ。

「あたしを守りたいのかもしれない。」とタクシーが動き出すと、寧々は言った。

「守る?」とオレは聞いた。何から守るというのだ。

「そう。」と女は言って、再び口をつぐむ。ツグミでもやってきそうな感じだ。

「なるほど。とは言っても、奴があなたを守るような立場にあるとは思えません。」とオレはわざと奴と言い捨てた。だが女の反応は冷たいもので、駅につくまで何も喋ることはなかった。傘をさして駅に降りると、彼女は電車に乗り込んだ。

「また連絡します。」とオレは言った。そして人気のない定食屋で、ラーメンを食った。


 中野ブロードウェイを歩いていると、雨は止んでいたがオレの心は重く沈んでいた。バーに戻ってジントニックでも飲もうと思っていた矢先、赤い服の女が声をかけてくる。

「こんばんは。」と赤い服の女、つまり××の妹は言った。

「どうも。」とオレは会釈する。さて寧々の件をどこまで報告するべきか。どちらにしても兄である××から彼女の耳に入るとすれば、話さないわけにはいかない。

「ちょうどあなたの所に行くところだったの。」と女は言う。

「ええ。ではバーに行きましょうか。」とオレは言った。二人で界隈を歩くと、妙な感じがした。いつも赤い服を着てくる女と、冴えない探偵。兄妹にも、恋人にも見えない怪しい関係。

「ご注文は。」と馴染みのバーテンが聞く。

「マルガリータをください。」と赤い服の女は言った。

「こちらはいつもの。」とオレはジントニックを注文する。

「それで、進展は?」と女は言った。

「はい、ちょっと知らせることがありまして。」とオレは言う。

「いいこと、わるいこと?」と赤い服の女は聞く。

「そうですね。判断は任せますが。」と言いながら、オレは面会の件を話した。女はバーテンから受け取ったマルガリータに口をつけて、首をかしげる。

「そんなこと言ったの、兄が。」と言う彼女の横で、オレはジントニックに口をつける。冷えた体にピリっとくる。

「ええ。理由はわかりませんが。」とオレは注釈をつけるのを保留した。

「よっぽど気に入ってるのかしら、その子のこと。」と女が言うのを聞いて、オレは妙な気がした。この赤い服の女より寧々は年上に見えたからだ。もちろん彼女たち自身に面識がないのであれば、そういう言い方でも仕方ない。

「かもしれません。とにかくお兄さん自身が裁判に出なくていいと言った以上。」我々には打つ手がない。

「もう一度兄と話さないと。」と彼女は断固とした視線で言った。

「ええ。そうしてください。」と半ば他人事のようにオレは言い放つ。

「あなたには、それまでしてほしいことがあるの。」と女は言った。

「はい。」とオレは依頼人に忠実なふりをする。それが仕事なのだ。

「調べてほしい、その寧々さんのこと。」と彼女が言ったので、オレは宙を見上げてうなずいた。


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