〇「あたりめーよ。」とDは言って手を振る。


「また行くのか。」とオレはDに向かって言う。奴は、タバコをくわえたまま屁をこいた。

「あたりめーよ。」とDは言って手を振る。

「そんなに通っても、お前になびくとは限らないぜ。」とオレはアドバイスらしきことを言ったが、それを聞くDでもない。

「わかってるさ。ただキャバクラに行くよりは安いからな。」と笑ってDは渋谷のライブハウスに出かけていった。どうやらそこで新井ナナの歌を聞いて、彼女と帰りに飯を食うのだとか。

「帰りにホテルにでも行ってこいよ。」とオレが言ってみると、Dはニヤっと笑って去っていった。

「なんだよ。」とオレは言いながら、仕事の依頼がないか携帯をチェックする。だが着信どころかメール一つきてない。まったくしけている。こんなことなら携帯なんて持たないほうがいい。

「と、着信だぜ。」オレはすぐに出る。するとそれは、田中美千代からだった。

「元気?」と相手は言う。

「もちろん元気だ。」とオレは答える。

「今、渋谷なんだけど、来ない?」と美千代は言った。

「渋谷ってことは、ナナちゃんのライブか。」とオレは聞く。ちょっと間があってから相手は答える。

「うん、ライブ来ない?あたしの友達が来れなくてって、一人なの。」と美千代が言う。そのお相手にオレを選んでくれるとは、運がめぐってきたのかもしれない。そうオレは思った。

「オーケー。すぐに行こう。仕事が終わったら。」と言ってオレは電話を切った。もちろん仕事なんて何もなかった。ただ探偵の研修を終えたばかりで、多少のお金は手にしていた。その金を財布に放り込み、オレは山手線に飛び乗った。渋谷に着くと、人がわんさかいて気が滅入った。行きかう人々とぶつかりそうになりながら、オレは天を仰ぐ。すると夜のネオンがピカピカと目に飛び込んできた。まるで人生の点滅信号みたいなだな、とオレが思っていると誰かが手を引っ張った。

「おい。」というその声の主は、Dだった。

「ああ、いたのか。」とオレはバカみたいな声で答えるが、内心は少しほっとした。

「なにしてんだ、ここで。」と奴は目を細めて言う。

「ああ、ヒマだったからオレもライブを見ることにした。」とオレは美千代のことは言わずにおいた。Dの嫉妬なんて買いたくもない。

「なんだ。行きたいんだったら最初から素直に言えよ。」とDは毒づいた。

「ああ、わりー。」とオレは答えると、二人でラーメン屋に入った。ライブまでは時間があったし、美千代との約束も直接ライブハウスでってことだ。

「ライブの後は食事に行くからな。」とDは言うと、ラーメンを食わずにビールだけを飲んだ。いかにもまずそうに飲むもんだから、オレは奴にキスをしたくなった。オレがそう言うと、Dはプィと笑って「気持ちわりーな。」と答えた。


 新井ナナのライブは、それなりのものだった。ライブハウスは人で埋まっていて、その大半は男だった。

「こういうのが好きな連中もいるんだな。」とオレが言うと、隣の美千代が微笑んだ。

「全部がナナのファンじゃないけどね。」そうライブは何組かの対バン形式で行われて、その中にはガールズバンドやアニメの声優もいた。

「わるくない。」とDはのたまった。

「しかしこの中で勝ち残るとなると、大変かもな。」とオレは缶ビールを飲みながら言う。

「競争。」と美千代はウーロン茶に口をつけてつぶやく。

「なに、勝者だけが笑うって時代でもないだろ。」とDは余裕の笑みを浮かべる。

「たしかにな。敗者がいるから勝者もいる。逆もしかりだ。」オレは知ったようなことを言った。

「でも勝ち続けることほど大変なこともない。」美千代は口をへの字にしてつぶやいた。

「そうして生まれた特権階級が、この日本にはどれくらいいる。」とDはガムをかみながら言った。

「さぁな。行くか?」とナナの出番が終わったので、オレは引き上げようとした。

「楽屋に入れるよ。」すると美千代が言った。

「行こう。」ここぞとばかりにDは前へ前へと行った。楽屋口に行くと、スタッフがいて美千代が何か言うと通してくれた。

「意外に簡単だな、おい。」とオレはDに話しかける。

「売れっ子ってわけでもあるまい。」とDは噛んでいたガムをペッと捨てた。スタッフの女がそれを見て嫌な顔をした。

「こっちだよ。」と美千代はここをよく知っているらしく、オレたちの前を歩いていく。しばらく廊下を進むと楽屋口があった。美千代がそのドアをノックして、軽く開く。

「あー、みっちゃん。」と声を上げるナナがそこにはいた。まだライブが終わったばかりで汗をかいていて、テンションも高かった。オレとDは何も言わずに後ろで警備員のように立ち尽くしている。

「二人とも、ありがとうね。」とようやくオレたちに気づいたナナは、二人同時にハグした。ナナの汗は無臭だったが、Dの男臭さより千倍マシだ。

「よかったよ。」とDは言葉少なく言う。

「ほんと、びっくりだ。」とオレはそこでほんの少し言葉を濁す。

「ありがとう。緊張したけど大丈夫かな。」とナナは子供のような純粋な目で笑う。

「全然そんな風に見えなかったよ。」と美千代が言って、オレたちも当然のようにうなずいた。


「ねーもうちょっと待ってて。」と新井ナナが言うので、オレたちは会場に残った。

「暑いな、熱気で。」とDは言いながらビールを飲んだ。

「ああ。」と答えて、オレはジントニックを飲む。会場ではテンションの高い男前たちが演奏している。

「人気あるね。」と田中美千代が言った。大声を出さないと声も聞こえない。

「出るか。」とDが言う。

「なに?」とオレは聞き返した。するとDは首を振って、外を指差した。

「出る?」と美千代が言って、オレたちは外に出た。

「まいったな。」と言ってDはタバコに火をつけた。

「ふー暑い。」とオレは言って、手に持ってたジントニックを飲み干す。

「さっきの、女の子たちに人気あったね。」と言って美千代は少し中を覗く。

「あれがいいのかね。」とDは煙を吐きながら言った。

「いいんだろ。」とオレは答える。

「うん、かっこいい。」と美千代も言う。

「バカばっかりだ。」とDが侮蔑的に言った。

「そんなもんだ、見た目がすべて。」とオレは言う。

「あとはお金を持ってるか?」と美千代が言ったので、オレとDは笑ってしまった。

「お前が言うなよ。」とDは言ってあくびをした。

「お金か、縁がないね。」とオレも言って背伸びをした。

「えーん、泣いちゃうよ。」と美千代がつまらないシャレを言う。

「なんだ、おもしろい奴だな。」とDが少し笑った。

「さすが保育士はダジャレも言うんだな。」とオレは言う。

「ダジャレを言うの、ダレじゃ。」と美千代が立て続けに言ったもんだから、オレたちは彼女が酔っているのかと思った。

「お、来たぜ、主役が。」とDが言うと、裏口から着替えたナナが白いコートで現れた。

「お待たせ。」と彼女は言って、ふーっと深呼吸をした。

「外の空気はうまいだろ。こんな都会でも。」とオレはネオンを見ながら言った。

「そーかい、気分爽快。」と美千代が再び言う。

「なにそれ、みっちゃん。」とナナは言って、キラキラしたシンガーの目でオレたちを見た。

「たしかに爽快だ。」とDがつぶやいた。

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