〇 Dとオレはもつ鍋を食べると、新井ナナの部屋に行った。
Dとオレはもつ鍋を食べると、新井ナナの部屋に行った。国分寺から西武線で一駅の恋ヶ窪という場所だった。
「恋ってつく駅は、日本で三つだけだ。」とDがつぶやく。オレが見ると、駅の掲示板にそのようなことが書いてあった。
「つま恋とあとは?」とオレもそれを読んでいると、新井ナナが言った。
「こっちよ。」Dとオレは苦笑しながら歩いていく。彼女のシャアハウスは駅から五分のところだった。
「近いんだな。」とDは言う。
「なんでオレも来てるんだよ。」と言いながらも、コンビニでビールを買ってくる。
「宴会といこうぜ。」とDもつまみを買う。
「楽しそうね。みんな喜ぶよ。」と新井ナナも言う。
「みんな?でも好きじゃない奴もいるんだろ、こういうの。」とオレが言うと、彼女は肩をすくめてみせた。
「みんなでいるときは大丈夫。」その言い方が少し気になった。
「じゃあ二人でいるときはヤバイのか。」とDがストレートに聞く。それが奴のいいところでもあり、悪いとこでもある。
「まぁね。」とそれには新井ナナもまともに答えなかった。彼女のマンションにつくと、玄関にはいくつも靴が並べられていた。
「何人いるんだ。」とDが言った。
「五人。」と彼女は言った。女二人と男三人。
「そんな生活が成り立つのかね。」とオレはビール片手に言う。
「まぁね。」と彼女がリビングに来ると、そこには男が二人テレビを見ていた。
「こんちわ。」とDとオレが夜に適した無愛想さで言う。
「どうも。」と男が言った。
「さ、飲もうよ。」と新井ナナは言いながら、テレビを消してしまう。そんな勝手なことをして相手が怒らないのかと思ったが、彼らは笑いながらテーブルを片付けてくれた。どうやらこういうことは間々あることらしい。
「みなさん、どんなお仕事をしてるんです。」とDが珍しく社交辞令のようなことを聞いた。
「こっちはデザイナー、こっちは建築士のアシスタント。」と新井ナナがキッチンでつまみを作りながら叫んだ。そうこうしてるうちに、もう一人の女性が帰ってくる。小柄でショートの女だ。
「お帰り、みっちゃん。」と男が言った。女はオレたちに愛想笑いをしながら、いったん自分の部屋に戻った。それから化粧を落として、部屋着になって現れると別人のようだった。
「美千代です。」と彼女は名乗った。オレは彼女の優しい目になぜかほだされる。それが恋だって気づいたのは、ずいぶん後になってからだ。
田中美千代のことを思いながら、オレはカフェ・ノースイグジットでコーヒーを飲む。恋ヶ窪のマンションには、もう新井ナナはいないようだ。Dと一緒に彼女まで消えてしまった。このことをどう考えたらいいだろう。
「失踪するにはまだ早い。」とオレはつぶやく。第一、奴らが金に絡むようなことはないはずだ。ナナはシンガーの卵だし、美千代にしても保育士をメザシているような女だ。けして悪い奴らではないが、もちろん金など持っていない。だとすると、男女関係のもつれという線はある。しかしDと新井ナナがそこまで深い関係になっていたのかどうか。ある程度はあったかもしれないが、それにしてものめり込むほどのものだったとは。
「思えない。」とオレは言ってみる。とすると、そこには第三の男が絡んでいるという予測が成り立つ。誰か、男が裏で手を引いて美千代やナナを操ったのだ。そしてDはそれに巻き込まれた。
「それだったらありえる。」とオレは言って、カフェのふかふかのソファにもたれかかる。くだらない冗談やあてにならない警句なんてもう十分だ。
「笑ってられるのも今のうちだぜ。」とDが言って、酒を飲んだ。
「何を恰好つけてるんだ。」とオレは言う。建築家やデザイナーの駆け出し野郎たちは、さっさと自分たちの部屋へと避難してしまった。オレとDは美千代や新井ナナと酒を飲み交わしている。
「ねぇおうちはどこなの?」と美千代が聞いてきた。
「おうちは土の中さ。」とDが答える。
「なにそれ。」とナナが笑う。
「モグラだからな、オレたちゃ。」とオレもDに続いて言う。
「そう、日の当たらないモグラ。」とDが言う。
「モグラって、なに?」とナナが言った。
「知らないのかよ、モグラだよ。」とDがあきれて言う。
「土の中で生活するネズミね。」と美千代が笑った。
「ネズミ?」とオレはバーボンをストレートで飲みながら笑った。
「モグラはネズミじゃない。」とDが言う。
「どっちだって同じよ、日は当たらないんでしょ。」と美千代が言う。
「そりゃそうだけどな。」とオレも言う。
「あたしは日が当たる場所がいい。」と新井ナナは言うと立ち上がり、つまみをさらに作ってくれる。
「いつかはモグラにも日が当たる。ま、そしたら死んじまうかもしれないがな。」とDが残りのつまみを食いながら言った。
「まるでドラキュラじゃない、ね。」と美千代が答えて、オレにウィンクをした。オレはへらへら笑いながら、バーボンをゴクリと飲み干した。
「いい女たちだったな。」とオレは帰り道を歩きながら言った。朝焼けにはまだ早いし、深夜というにはもう遅かった。
「だろ?」言ったじゃないか、と言わんばかりにDが答える。オレたちは始発を待つ間、駅のホームにいる。
「泊まっていってもよかったんじゃないのか。」とオレが言うと、Dは酔っ払いながらクビを振る。
「そういうことはしたくないんだ、彼女とは。」駅員が遠目にオレたちのことを見ていた。
「純情かよ。」とオレが言うとDがプイと笑った。
「いいんじゃないの、そういうのも。」と離婚をしかけたせいかDは少し寂しそうだった。
「それはそうと、明日は探偵の面接だろ。」とオレは思い出して言う。
「よく覚えてるな、お前。」とDがあきれて言う。
「金がね、そろそろ必要だから。」とオレは言って、空を見た。いつまでも星々は悲しい顔を見せていた。
「確かにな。じゃ、寝ないで行きますか。」とDは言って、実際そのようにした。酔っ払いのオレたちを採用するような会社があるのか、考えられなかった。しかしそれは相手の問題であって、オレたちの問題ではない。そのように生きてきたし、これからもそのように生きていく。もちろんそれは間違いかもしれないってわけだが。
「どうだ、受かると思うか。」と早朝の新宿を歩きながら、Dが言う。
「さあね、テストさえなければな。」とオレは答える。頭がガンガンと痛かった。
「テストか。世の中、テストばかりだからな。」とDは言って、オレのお腹を突然殴った。
「ゲホゲホ。なにするんだ。」とオレはほとんど吐きそうになりながら言う。
「テストだよ、お前が探偵になる資格があるか。」と答えるDの腹を、オレは即座に殴り返した。
「どうだ。」とオレは、ゲホゲホ言ってるDに向かって言う。早朝でも新宿にはそれなりに人が歩いてて、オレたちのことを見ていた。誰もさすがに話しかけてはこなかったが、向こうにいる警察官がこちらに歩いてくる。
「合格だな、オレもお前も。」とDは言うと、オレと肩を組んで牛丼屋へと入った。警察から逃げたわけではない、たまたまそうなっただけのことだ。
「警官になるくらいなら、死んだほうがマシだな。」と言いながら、オレは牛丼屋のトイレで吐いた。
「いいから早くしろよ。」とDがドアの向こうで待っていた。結局オレたちは、そのまま面接をスルーしてしまった。もちろん受けていたら落ちていたし、今考えるとその方がよかったのかもしれない。後日面接を受けて、オレたちは合格してしまったのだから。
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