● 女に頼まれて、オレは断ることができなかった。
女に頼まれて、オレは断ることができなかった。彼女の兄がどう企業と絡んで、罠にはまったのかは知らない。だが、その愛人とやらに会うことくらいはできそうだった。物事は解決しなくても、情報と行動をもってすれば銭金を得ることができる。オレは自分の貯金も底を尽きかけていたので、即座に動くことにした。
「ここか。」オレは依頼主の赤い服の女から教えてもらった住所を尋ねた。直接当たるのが一番効果的だ。鷺ノ宮にある住宅の一角だった。わりと大きな家だが豪邸というほどじゃない。オレはインターンホーンを押す。
「はい。」と女の声が聞こえて、相手がインターンホーン越しにオレの顔を見ているのが分かった。
「ちょっとお伺いしていのですが、××さんのことで。」とオレは言ってみた。しばらく反応がなく、それから返事があった。
「どなたか知りませんが、お話しすることはありません。お帰りください。」わりと丁寧な扱いだったので、オレは可能性を感じた。
「命にかかわることなのです。」とオレは言った。誰の命だ?そう赤い服の女の兄。彼女の兄は刑務所に抑留されているはず。まずはそちらを当たるべきだったかなとオレは考えた。
「はぁ。」と中途半端な返事が返ってくる。
「怪しいものではございません。ただ人命を救うため、情報を集めている者でして。」と言いながら、いかにも怪しかったかもしれないとオレは思った。
「わかりました。」という意外な答えが返ってきて、オレは自分でも驚いた。Dがいなくなってから運がきつつある。奴がいるときには全てがうまくいかなかったもんだ。少しすると、女がドアを開きにやってきた。門をあけると、軽く会釈をする。
「初めまして。私はこういうものです。」とオレは言って、キンコーズで作った名刺を渡した。
「探偵さん。」と女は訝しげな表情でオレのことを見た。
「そうです。浮気調査ではありません。企業の手先でもない。ただ××さんを愛おしく思っている方からのご依頼でして。」とオレは言いながら、喋りすぎはよくないと自戒した。
「ふぅ。」と女はため息をついた。なるほど美しい女性で、年齢は二十代後半だろう。くっきりした目鼻立ち、百七十近くある身長。まるでモデルのようだった。
「もしよければ、立ち話しもあれですから。」とオレは彼女を促してみた。別に女の美しさにほだされたわけではないが、刑務所にいる男が騙されるのも分かる気がした。
「そうですね。では、中にお入りください。」と女はあっけなく言った。
「どうも。」と答えながら、まさかこれほどうまくいくとは思っていなかったので、オレは内心ドギマギしていた。しかし人命にかかわるのもまんざら嘘ではないわけで、何も後ろめたいことなどない。こちらは情報をいただいて、あとは依頼主である妹に伝えればいいのだ。オレは安易にそう思いながら、背の高い女の後ろを歩いて家に入った。
家の中に入ると、そこは小奇麗な一戸建てだった。一階はテラスといくつかの部屋がある。そしてすぐに螺旋の階段があり、女は二階へとオレを案内した。二階に上がると、そこは広いリビングだった。
「なかなかオシャレな作りの家ですね。」とオレはお世辞で言った。こういう家に住むのはどういう輩なのだろう。小金持ちの黄金虫といっても、都内で一戸建てとなるとそれなりの資産家かもしれない。親か夫が金持ちなのだろう。
「ありがとう。」と女はさらりと言った。そしてお掛けください、と白いソファをオレにすすめた。
「どうも。」とオレは言って、フカフカのソファに座った。こうでなくちゃ。
「何かお飲み物は?」などと聞かれた日には、ここがどこかのリゾートホテルか何かと勘違いしてしまいそうだ。もしくはちょっと高級なクラブ。
「ありがとうございます。でもそれほど長居するつもりもないので。」とオレはさっそく用件に入ろうとする。
「あら残念。コニっていうこのジュース、おいしいんだけど。」と女はあくまでマイペースに立ち振る舞う。
「では、いただきましょう。」あまり断るのも得策ではないので、女の申し出を受けることにする。
「そう。じゃあ。」と女はグラスにその紫色の液体を注いだ。
「いただきます。」とオレはその変な名前のジュースを飲んだ。まさか毒が入っているんじゃないだろうな。独特の味がする。
「どう?」と女は嬉しそうに尋ねた。よほどこのジュースに思い入れがあるらしい。
「なかなか、ですね。」とオレは言ったが、内心は何を飲ませるんだと思っていた。
「健康にいいのよ。探偵さん、ちょっと不健康そうだから。」と女は言って、ソファに座った。短めのスカートから長い脚が出ている。
「そうですね、飲みすぎかもしれない。」とオレはあくまでポーカーフェイスを装った。
「それで、××さんのことだったかしら。」と女は言った。彼女のペースでことが運んでいくことに、ちょっとやきもきしながらオレはうなずく。
「はい、ご存じですよね。もちろん。」とオレはカマをかける。ここまでオレをあげるということは、当然その話しをするということだ。
「そうね。よく知ってる。とまではいかないけど、多少は。」と女は言うと、タバコに火をつけた。これくらいタバコの似合う女には久しく会ったことがない。Dがいたらさぞかし喜んだことだろう。
「その多少知ってることを教えていただきたい。」とオレは言いながら、タバコを吸うか迷った。本来なら禁煙してるのだが。
「条件によるわ。」と女は言った。そらきた、とオレは思って、手にしていたタバコを懐に戻した。
××の愛人というモデルのような女は、足を組みかえると灰皿に灰を落とした。
「条件とは?」とオレは尋ねる。
「あたしの依頼を受けること。」と彼女は即答した。あまにも物事がトントンと進むので、オレは怪しんだ。
「もちろんご存知でしょうが、私はある方から依頼を受けてここに来ています。」とオレは言って探りを入れた。まさかこの女、最初からオレがここに来ることを知っていたのではあるまいか。
「ええ、それはさっき言っていた××さんのことを愛おしく想っている人ね。」と女は言った。なるほどこの女バカではないとオレは判断した。
「そうです。」とオレは短く言う。こういうときは短く的確に答えるのにかぎる。
「それはそれとして、ってことなんだけど。」と彼女は言うと再び足を組み替えた。どこまでが意図的で、どこまでが仕組まれたことなのかとオレは訝しく感じる。
「それはそれ、これはこれ、あれはあれってことですね。」とオレは言ってみた。
「おもしろい方ね。お仕事ってことなんだけど、お金は払うわ。」と女はズバリと答えた。頭がいい女は嫌いではない。
「なるほど。」とオレは言って、懐からタバコを取り出した。女はすかさずライターに火をつける。銀座かどこかのホステスとして働いていた経験がありそうな物腰だ。
「悪い条件は出さないわ。」と女はオレのタバコに火をつけながら言う。
「××のことですか?別件なら受けることは可能ですが。」とタバコを吸いながら、あくまで原則論を掲げてみた。
「××のことよ。同じ用件でも、お金次第じゃないの、探偵さん。」と彼女は言うと立ち上がった。そしてスーツケースを持ってくると、そこに入っている大金を見せた。
「これは、参りましたね。」この女、どこまでオレのことを信用しているのだろう。ここで大金を見せて、オレが襲うなどとは考えていないのだろうか。
「あ、もちろんここには監視カメラが備えつけてるから。」と彼女は肩をすくめてみせる。
「なるほど。」とオレは言った。
「けして悪い話しではないと思うの。」と女は長い手で、オレのタバコを取るとそれを吸った。
「では具体的にお聞かせ願いましょう。」とオレは言うしかなかった。ここに調査に来たというのに、家に入ったときから相手のペースにはまっている。だがどうしようもない引力が働いているように、オレは女の引いたレールを走り続けることとなる。
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