〇「あたりまえだ。」とオレは答えた。
Dはオレを見ると笑った。
「なんだよ。」オレはコーヒーを飲み干しながら言う。
「彼女、あらわれないな。」とDは新井ナナのことを言った。
「あたりまえだ。」とオレは答えた。
「そうか?来ると思ったがな。」だったらなぜ一人で国分寺に来なかったんだ。オレを誘ったってことは、つまり脈がないってわかってたんだろ。オレはそう言いたかったが、その時は言わなかった。
「そろそろ行くか。腹が減った。」そう言うとオレは席を立とうとした。
「まぁ待てよ。そんなに急ぎなさんな。」とDが首を振る。
「いつまでここで油を売ってんだ。」そうオレが言うのを見て、Dの目の色が変わった。
「よう。」と声を上げるDに対して、オレはどうしようか迷っていた。すると後ろから声がした。
「こんにちは。」と彼女は言ったのだ。新井ナナだ。
「もう夜だがね。」とDは言った。彼女は微笑んで、久しぶりですとばかり頭を下げた。
「待ってたんだ。」とオレが恰好をつけて言う。
「ごめん、練習が長引いて。」とナナは言った。
「練習ってシンガーだっけ。」とオレは尋ねた。
「はい。」そう言うと、彼女はDの横に腰をかけた。
「こいつが帰ろうとするもんだからよ。」とDはオレのことをナナに愚痴った。
「だいぶ待ったもんでね。」とオレは彼女に言い訳をするようにつぶやいた。
「ごめんなさい。」とナナは殊勝に謝ってみせると、タバコに火をつけようとした。
「なにか食べに行こうぜ。」とDが言う。
「そうだな、腹が減った。」とオレが相槌をうつ。
「それならおいしいもつ焼き屋さんがあるけど。」と新井ナナは言って、タバコに火をつけるのをやめた。
「いいね、行こうぜそこへ。」とDは言うとすぐに立ち上がった。さっきまでは岩のように動かなかったのに、現金なもんだ。
「オーケー。どこでもいい、そこへ行こう。」とオレも言って立ち上がった。
「おいしいわよ。」とナナは言うと、国分寺の駅から5分くらいのもつ焼き屋にオレたちを連れて行った。
もつ焼き屋は人で混んでいて、すぐには入れなかった。オレたちは店外のイスに座って、席が空くのを待った。
「いつから国分寺にいるんだい。」とオレは尋ねる。
「ほんとは吉祥寺に住みたかったの。」と彼女は質問とは違うことを答えた。
「そうかい、オレたちはあそこに寄り付かないことにしてんだ。なぁ。」とDがウソを言った。どうしてそんなウソを言うのかは知らない。でも時々Dはどうでもいいウソをついた。
「まぁな。」それに対してオレはあまり相手をしないことにしてる。
「そうなの、なんで?」と彼女はタバコに火をつけて聞く。
「そりゃ、人気のある町は、すぐにすたれる。人を捨てる。」とDはもっともらしいことを述べた。そして自分もタバコに火をつけた。
「ここに捨てられた人間が二人いるってことさ。」とオレも言った。
「そうなの?でも。」と彼女は言いかけて、やめた。何を言おうとしていたのか、オレにもわからない。
「ま、住めば都とは言うものの。」と煙を吐きながらDは言う。
「結局は環境が人を作るからな。」オレは言った。
「環境。」と彼女はため息をついた。若い女がつくため息は悪いものじゃない。
「お、空いたんじゃねーか。」とDが言うと、店の扉が開いて客が退出した。オレたちは中に入ると、さっそくビールともつ焼きを注文する。
「さっきの続きだけど、やっぱり住む場所は大切ってことよね。」と彼女は言った。何かを悩んでいるような表情だった。
「そりゃそうさ。」とオレは断言したが、根拠があったわけじゃない。
「住む場所は人を作るしな。」とDはさっきオレが言った言葉を、初めて自分が発見したように言った。
「そうよね、あたしシェアハウスしてるんだけど。」とそこで、ビールが運ばれてくる。オレたちは乾杯をしてから、彼女の話を聞いた。つまり、彼女は何人かで広い部屋を借りて住んでいるのだが、気に入らない人間もいるってことらしい。
「どこにだって気に入らない奴はいる。」とオレもオレでもっともらしいことを言った。
「お前みたいな。」とDが悪態をつく。
「うん、そう思って我慢してたけど。」けど、なんなのか、その続きを聞くことはなかった。なぜなら、そのあとにもつ焼きが運ばれてきて、そこから話題も変わったからだ。でも今考えると、彼女の住んでいた環境が、最後にはDやオレにも影響を及ぼしたってわけだ。オレはそんなこととも露知らず、豚の串焼きを味わって満足していた。
「二人はどこで出会ったの?」と新井ナナが聞いた。
「忘れた。」とオレはビールをお代わりして言った。
「だいぶ前のことだからな。」とDがタバコを吹かす。
「変な二人組。」と言うとナナはほくそ笑む。
「ま、腐れ縁みたいなもんだ。」とオレが言う。
「この歳になると、ツルむ奴も限られるからな。」とDが付け足す。
「そうなんだ。」とナナもビールに口をつける。
「昔は夢もあったけどな。」とオレは言った。
「ま、昔の物語。」とDが相槌をうつ。
「夢って、なんだったの?」とナナが聞いた。
「なんだっけか。」とオレは肩をすくめる。
「お前はレーサーだろ。バイク。」とDが言う。
「そうなの?」とナナが興味を持ったように顔を近づけた。
「ああ。」と少しはにかむようにオレが答える。
「こいつ、そこそこいい線いってたんだけどな。」とDが言う。
「カッコいいね。」とナナが言った。
「かっこよくはないさ。事故って終わったんだ。」とオレはビールを飲む。
「そう、トップで走ってたのに、自爆しちまって。あれに勝ってたら。」とDが言いかけたところで、オレが制した。
「惜しかったんだね。」とナナはそんなオレを見て言った。
「バカだったからな。」とオレが言う。
「そう、バカほど速い。ま、本当に速いやつは頭もいいけどな。」とDは横やりをいれる。
「うん、でも挑戦しただけエライよ。」とナナが優しく言う。
「ありがとよ。」と言って、オレはナナの頭を撫でた。
「生きてるだけマシってもんだ。」とDは言って、店主に焼酎を注文した。
「そうだよね。」とナナはもつ焼きを食べた。
「死んだほうがマシなこともあるけどな。」と皮肉な表情でオレが言う。
「生還した奴が言うと説得力あるね。」とDは少し茶化して言った。
「二人とも、仲いいね。」と言って、ナナはビールを飲み干した。
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