第4話 薄紅色の桜の御堂の夢


「じゃあな。仲良くやれよ」


 創助は、明るい声でそう言うと、ブーツを履いて帰って行った。不機嫌そうな顔で立っている青眞と、それを不思議そうに一瞥している雫が見送った。


「雫、夕食は?」

「出来ています」


 こうして二人は台所へと向かった。本日は肉じゃがだ。牛肉を使っているのだが、牛肉を食べるという文化は、最近異国から入ってきたものである。他にも牛肉の料理には、すき焼きなどがある。


「どう? お味は」

「うん。ほっとする味だね」

「良かった」


 嬉しくなって、雫は両頬を持ち上げる。それからまじまじと青眞を見た。己はまだ、青眞の事を全然知らないようだと考える。叔父はどうやら詳しいようだが、どうせならば本人から直接聞きたい。なにせ自分達は、夫婦めおとなのだから。


「青眞」

「ん? さっき立ち聞きしていた内容について?」

「えっ!? 気づいてたの!?」

「……いいや、カマをかけたんだよ。そうじゃないかなぁと思ってね」


 呆れたような青眞の声に、慌てて雫は、両手の指先を唇に当てた。


「鋭すぎるでしょう!」

「雫がわかりやすすぎるんだよ」


 呆れたままの表情に、青眞は苦笑を重ねた。


「それで? 何が聞きたいの?」

「ええと……どうして軍を辞めたの?」

「君と結婚するから、というのが理由だよ」

「え?」

「……お嫁さんを迎えるんだから、危険な仕事は辞めようと思ってね」


 そういうと青眞が微笑した。苦笑ではなく、きちんとした笑顔だった。

 薄い唇が、優しく弧を描いている。


「俺は俺で、結婚前にも君のことを考えていたって事。君がまだ見ぬ俺を想って、煮魚の練習をしてくれたのと同じだよ」


 その言葉に、何故なのか雫は頬が熱くなってきた。そして何度も大きく頷いた。


「英断ね。それがいいわ。危険な仕事はしないべきよ」

「だろ? ただまぁ、代々高藤家の人間しか――今となっては俺にしか出来ないこともあるから、即応予備書記官として、普段は自由にしているけど有事の際は出向くという取り決めはしているよ。今回も、そういう話」


 つらつらと語る青眞に、頷きながら雫は少しずつ理解していく。


「――それで、高藤家の人間の持つ力というのは、〝青隠しの筆〟と呼ばれていて、生まれた時に特注する筆で宙に文字を書くと、それに力が宿って、悪しきものを封印できるというものなんだ。他にも、墨で紙に書いても、その辺のお札よりは強い破魔の力が宿るように出来たりもする。それを俺は文筆業だと伝えたんだよ」


 そうだったのかと、雫は納得した。

 仕事については概ね納得したので、雫は頷くことにした。


「そういうわけで、今日の夜は対処に出かけるから、家を空けるし帰りが遅くなる。明日は昼過ぎまで寝ているかもしれないけど、起こさないでね」


 真面目くさった顔で青眞が言うので、小さく首を縦に動かしつつ雫は頷いた。

 そのようにして夕食を終えると、一度部屋に戻った青眞がひょいと顔を出した。食器を洗っていた雫が振り返る。


「出かけてくるから、戸締まりをしっかりとするようにね。それと不用意に――いいや、絶対に今夜は外に出ないように」

「分かったわ」

「くれぐれも俺についてこようとしたりせず、大人しく」

「わ、分かってるわ!」

「それとあやかしが騒ぐかもしれないから、本当に外には出ないように」


 青眞がそう言うと玄関へと向かったので、雫は見送りに立った。

 本日の青眞は、洋装だ。黒い帝国軍の軍服の装いである。ブーツを履いている青眞を見ながら、本当に軍人だったのだなと、雫は改めて考えた。


「それじゃあね」


 そう言って立ち上がると、青眞が外へと出て行った。


「いってらっしゃいませ」


 それからすぐ、ガシャンと外鍵を閉める音が響いてきた。


「……これじゃあ、外に出られないじゃないの」


 雫はぽつりとそう零した。

 その後入浴した雫は、両手でお湯を掬う。肩から疲労が抜け出していく用だと感じながら、ぼんやりと考える。


「本当に危険は無いのかな?」


 青眞はそのように言っていたのだし、信じるしかない。ただそれでも、無事に帰ってきて欲しいと願うのは別だ。


 その日は身支度を調えて布団に入った後も、暫くの間青眞のことを考えて、無事を祈っていた。微睡みはじめてからは、気づくと夢を見ていた。


 ――そこは、薄紅色の桜が舞い散る御堂の前だった。

 巨大な岩があり、そこには黒い溝が刻まれている。よく目をこらせば、それは文字のように見えた。丁度、それは今刻まれた……書かれたところのようで、すぐそばには白髪を後ろで髷にした老人と、隣で見ている小さな少年がいるのが分かる。髪の色と緋色の瞳に覚えがあり、それが青眞だというのはすぐに分かった。


『青眞、ここも一つ。青隠しの筆で封印をしたと覚えておくように』

『お祖父じい様……母上は、どこへ行ってしまったのですか?』

『――高藤家の嫁になるというのは、危険がつきまとう事なんじゃよ。青隠しの筆に害されたと逆恨みをする は多い。だから青眞も、将来は雫ちゃんをよく守ってあげるんじゃよ』


 老人はそう言うと、不意に雫を見た。目が合った瞬間、夢の中であるから雫は驚いた。皺を深くし笑った――青眞の祖父らしき老人は、小さく頷いている。もし本物だとするならば、彼は、雫の祖父と約束した……雫と青眞の結婚を取り決めた人物のはずだ。


『きっと雫ちゃんもまた、青眞を守ってくれるじゃろうて。なぁ? 儂はそう願っておるよ』


 目を見つめられ、そう言われた直後――ハッとして雫は目を覚ました。

 既に少し開けてあった障子からは、朝の光が差し込んでいる。


「朝食の用意っ……は、私の分だけで、今日は昼食も遅いとして……青眞は帰ってきているのかしら?」


 慌てて上半身を起こしてそう呟きながら、瞬きをすればまだ夢の風景が脳裏に焼き付いていた。


「……本当に、夢だったのかな?」


 小首を傾げてみるが、答えは出なかった。

 その後身支度を士、階下へ降りて顔を洗ってから、雫は玄関へと向かった。

 朝野掃き掃除をしようと考えたのもあるが、靴や鍵を見れば青眞が帰宅したかどうか分かると思ったからだ。


「あ、よかった。帰ってるみたい」


 鍵が内側からかけられた状態になっている事を見て、ほっと雫は息を吐く。

 それから着物をたすき掛けにし、扉の外を箒で掃いた。

 朝食の準備はゆっくりでいいからと、先に一階と――静かに二階の窓を開けて、換気をする。春の風が心地いい。本日は青い空に雲が浮かんでいる。


 食事を済ませてから、雫は縫い物をしながら台所にいた。

 小鬼やろくろ首の女性が、興味深そうにしているが、本日は縫い物に集中していた。

 ――お守りの布を作ろうと考えて、生家の高堂家に伝わる破魔の模様を縫っている。


 階段が軋む音がして、青眞が起きてきたのは、十四時を少し過ぎた頃だった。


「おはよう、雫。腹減ったんだけど」

「はいはい、用意は出来ておりますよ」


 縫い物の道具を近くの棚に置き、雫は流し台の前に立つ。己の席についた青眞は欠伸をしていた。


「昨日は何時頃帰ってきたの?」

「朝の四時頃だよ」

「そうなの。結構お仕事は時間がかかるのね」

「ものによるかな。筆でちょっと書くだけのこともあれば――……まぁ、大体は書くだけだよ。特に危険は無い」

「ふぅん」


 頷きつつ、雫は夢の事が気になっていた。

 青眞の両親のことなどは、まだ一度も聞いた事が無い。

 手際よく食事の用意をしつつ、チラリと青眞に振り返る。聞いていいのか悪いのかも判断がつかない。


「はい、どうぞ」


 用意していたコロッケと、つけあわせのキャベツ、それから油揚げの味噌汁と白米を、雫は青眞の前へと並べていく。明日には、買い物にいかないと、そろそろ食材が切れそうだ。特にお米は買ってこなければならないが、一人では大変そうだから、青眞を誘ってみようかと考えている。


「あ、美味しそう。いただきます」


 手を合わせた青眞が、早速箸を手に取った。

 その様子を見ていると、青眞が昨日軍服を身に纏っていた事すら嘘のように思える。なんだかんだで、あやかし対策部隊というのは、危険がつきものだという知識は、雫にもある。普段へらへらとしている、今もゆるっとした空気の青眞が討伐などに臨むというのは、正直心配すぎる。


「うん。味もいいね。雫は料理が上手で本当によかった」

「どうしてそんなに料理にこだわるの?」

「……別に」


 言い淀んでから、青眞が顔を背けた。なにやら理由がありそうだ。


「ねぇ、どうして?」

「俺の母親が……その、料理が下手だったんだよ」

「え?」

「まぁ、この話はいつかするよ」


 折角先程気になった青眞の家族について聞けそうだったのだが、嫌そうな顔をされたので、これ以上は追求できないと雫は考えた。青眞は話したくない事は決して教えてくれないと、なんとなくここ数日で理解した。


「そう。じゃあ教えてくれる日、待っているからね」

「……期待はせずにね」


 そんな風にして、この日の一食目のひと時は流れていった。





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青隠しと筆 水鳴諒 @mizunariryou

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