電話番

3年ぶりに社会人になった。お給料が定期的に入ってくることのありがたさを噛み締めている。

入社したのは●●駅から徒歩5分、社員20人程度の小さな会社だ。私は元カメラマンで、とある写真家の弟子をしていた。しかし、諸事情でここ3年ほど無職だった。正直なところ会社勤めする意欲はゼロだったが、30代が近づいてきたのと、借金返済のために働かざるを得なくなった。これがラストチャンスと思って、ニート専用のエージェントを通してようやく内定を手にしたのだ。

今の仕事は写真編集だ。会社の商品の写真や宣材を撮影して、ホームページに載せる。殺風景な会社のホームページを見栄え良くしたり、商品の動画撮影を行い、広告を作る。最近会社の業績が傾いてきたので、アイデアを出してなんとか売上を出してほしい、と面接で言われた。

業務内容的には問題ない。オフィスから工場まで飛び回る仕事だが、体力には自信がある。写真家の弟子というのは雑巾程度の扱いしか受けないから、メンタル面にも自信あり――というのは嘘で、私は5年弟子をやって病んでやめた。キラキラした業界には必ず裏があるのだ。そんなのはわかってた。でも私はドロップアウトした。

ただ、しごかれ慣れている方とは自負していた。だから新しい会社に入っても、大抵のことなら大丈夫だろうと思った。人前で怒鳴られるのも慣れているし、いざとなれば上司に歯向かう覚悟もある。暴言を言ってくる奴には、こちらも返して良いという私なりのルールがある。だから鬼のような写真家の下でも5年、耐えられた。

そんな私だが、情けないことに、入社3ヶ月でどうにも会社に行くのが辛くなってしまった。

原因はわかっている。

電話番である。

この会社では伝統的に、新しく入った社員は電話番を担当する。電話が鳴ったら1コール目で出て、然るべき人間に取り次ぐ。

意外なことに、私は写真家の弟子時代、一度も師匠の電話を取ったことがなかった。師匠には別に秘書がいて、スケジュール管理は全て彼女に任せていたからだ。私がやるのはそれ以外のすべてのこと。頼りない弟子にスケジュールを任せたら全てが破綻するので、それは正しい選択だったと思う。

そんなわけで始めた電話番だが、これが案外難しい。

最初に「左川フラワーでございます(言い忘れていたが、この会社はドライフラワーを扱う会社だ)」と言う。次に会社名と名前と要件を聞き、社内の人間に取り次ぐ。やることはこれだけだが……まず一発で名前や会社名など聞き取れない。相手に何回か聞き取って、呆れられる。世の中の新入社員が受ける洗礼を、遅ればせながら私も受けているのだろう。

すぐに慣れるだろうと思っていた。だが、3ヶ月経っても、どうにも電話を取るのが下手くそなのだ。

写真を撮っていても、編集作業をしていても、電話が鳴ったらすぐに受話器に走る。打ち合わせをしていようがなんだろうが電話番は私の役目だ。焦って電話を取っても、名前が正確に聞き取れるはずもない。そして用件を聞き忘れ、社内の人間に呆れられる。

写真家たるもの、電話ぐらい出られた方がいいに決まっている。だから3ヶ月頑張って電話版をやり続けてきたけれど、未だに相手の名前も聞き取れない。自分の無力さに愕然としつつ、今日も電話を取るのだったが……電話番が私の本来の業務にも影を落とし、すっかり自信喪失に陥っていた。

「大丈夫ですよ。最初なんてみんなそんなもんですから。すぐ慣れますよ」

私の前に電話番をしていた勤続3年目の女性社員が励ましてくれた。しかし、なかなかうまくいかないものだ。

電話を苦手とする要因の一つに、少ない情報で多くのことを判断しなければならない、というのがある。おそらく私はこれまで、視覚情報に偏って生きてきたのだ。

写真家は対面のコミュニケーション能力が必要とされる。モデルに向かって「かわいいよ!」とか「ビューティフル!」とか言っていた。私がモデルや女優を専門とする写真家に師事していたからだが……。まあ、これは特殊な場合にせよ、写真家が重要視しなければならないのは、視覚的に表現すべきことだ。だから相手の顔色を窺いながらコミュニケーションを図っていた。

一方電話は相手の顔が見えないため、声だけで全てを判断しなければならない。電話を取った時、向こうの性別すらわからない時がある。一言目を聞いただけで、相手が取引先か、営業か、はたまた社長の個人的な付き合いなのか判断しなければならない。

取引先の名前を全て覚えるまでに、どれくらいかかるのだろう。社長の知り合いは、しつこい営業の名前は、いつになったら覚えられるのか。

……前の電話番は3年これを続けたのだ。そして私も、3年電話番をする羽目になるかもしれない。

3年やればさすがに慣れるとは思うけれど……。

3年。途方もない数字だ。そして何年続けようが苦手なものは苦手だ、というのも私は痛感している。写真家の元には5年くらいいたけれど、結局耐えられなかったのだから。

来る日も来る日も電話……。

辛い。

電話が何本も来る時もあれば、0本の時もある。仕事をしている7時間、ずっと私は電話の恐怖に耐えている。通勤の間も電話を憂鬱に思い、家に帰ってからも電話対応のまずさを嘆く。私の生活は電話に支配されてしまった。電話が憂鬱で仕方なかった。

電話恐怖症、なんて単語が頭によぎる。そんなもの甘えだと思っていた。最近流行りの、何にでもラベリングしたがる社会の風潮。正直、鼻で笑っていた。でも今の私の状態は……電話恐怖症と言わず、なんと言おう。

あの会社で電話をまともに取れないのは私だけだ。他の人はちゃんと電話を取れている。私より年下の子もちゃんと電話に出られている。私は、いまだに電話の取り方について毎回注意や指導を受けていた。私のたどたどしい電話対応が周囲に聞かれるたびに恥ずかしくなるし、電話に出られないというのは、なんというか「無能」な感じが際立つのだ。

対面ではちゃんとできているのに。仕事の方は多分、問題なかった。注意されたことはあまりないから、問題ない、のだとは思う。でも電話に出られないだけで、私はもう無能なのだ。面と向かって言われたことはないけれど、なんとなく、私がうすのろな使えない新入社員である……なんて、思われているような気がする。

もう30も近いのだし、ちゃんと電話を取れるようにならないと……。

Youtubeを見て、電話の取り方を勉強してみる。メモ帳にカンペを書いて復唱してみる。でも暗記したことを電話口で言えない。保留を解除して「お待たせしました」の一言も浮かばない時がある。

自信をなくした。

仕事に行きたくない。

電話に出たくない。

でも、電話ごときで仕事を辞めるなんて……。

そんな、鬱々とした日々が続いた。



ある日の午後、私はいつものように電話をとった。

「もしもし、サガワさんですか」

子供の声だった。 

「はい、左川フラワーです……」

「サガワさんですか」

「すみません、ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「サガワさんいますか」

「お名前と会社名の方教えていただいても……?」

「サガワキョウヘイです」

埒が開かない。

保留を押して、社長に聞く。

「すみません。サガワキョウヘイさんという方からお電話です。ご用件は、「サガワさんがいるか」とのことですが……」

「誰?それ」

「私も知りません」

「うち、左川フラワーって社名だけど、サガワなんて人はいないよ。左川ってのは地名だから」

「どうお返ししましょうか」

「うーん。間違い電話なんじゃないの?」

保留を押し、電話口に戻る。

「すみません。間違い電話かと思われますが」

「サガワさんにつたえてください。早く来てって」

電話は切れた。

電話を置く。すかさず、社長から指示が飛んでくる。

「間違い電話の時、どうすればいいかって教えたよね」

「すみません。社長のお知り合いかと思いまして、一応確認をと……」

「でもそんな人いないってわかるじゃん。そういうところ、咄嗟に判断してくれないと困るよ。社長がいつも判断するのきついんだよね。電話を取った時点で有田さんにも責任があるんだから」

そんなこと言われたって……。

「そういえば昨日の宣材だけど、フォルダに入れてくれた?」

「はい、入れました」

「いつ?」

「今朝です」

「じゃあその時点で言ってくれないと。これ今日必要なんだからさ。締切は伝えといたと思うけど」

確かに、宣材を共有する締切は今日だった。ただ社長からは急ぎではないと言われていたし、共有する時間までは教えられていなかった。私が確認しなかったのが悪いのだけど。

でも、と言い訳が頭の中に続く。そんなに大事なものなら、自分でフォルダを確認すればいい話だ。普段は数分単位で私を管理したがるくせに、都合のいい時だけ自分で判断しろと言って、勝手じゃないか。私の人格など無視して駒のように使い、肝心な部分だけ私に責任を押し付けようとする。それは卑怯じゃないのか。それとも上司なんかみんなそんなものなのか。会社勤めをしたことがないからわからない。

とはいえ、私が気の利かない人間だというのも自覚している。「お前は気が利かねえなあ!!」と怒鳴る師匠の姿が思い出される。

……師匠は写真のことだけ教えてくれたから気が楽だったな。めちゃくちゃ怒られたけれど、私も言い返していたし。

今更あの写真家がマシに思えてきてしまう。私も私で勝手だ。3年間ずっと恨み続けてきたのに。無職になったのはずっとあいつのせいだって思い続けてきたのに。でもあいつのおかげで、写真が上手くなったのも事実で。それと同時に精神を崩したのも事実だ。感謝もしているけれど恨んでもいる。でも、今は、師匠の暴言をなぜか恋しく思ってしまう。師匠の言動は一貫して写真を上達させることだけだった。そこに人格否定が混じるとしても、写真が上手くなるのが嬉しかった。だから辛くても5年続けてこれたのだ。

今の仕事は、技能など上達せず、写真についても何も言われず、ただ電話番をしているだけじゃないか。そしてよくわからん責任を負わされている。

どれもこれも、電話のせいだ。電話が辛すぎるのが悪い……。



次の日。撮影所からオフィスに帰ってきてすぐ、電話が鳴った。

悪態をつきたいところをグッと堪えて受話器を取る。

「左川フラワーです」

「サガワさんいますか」

また、あの子供の声だ……。

「すみません、間違い電話かと思われますが」

「サガワさん、まだきませんか」

「間違い電話かと……」

「サガワさん、はやくきてください。おねがいします」

電話は切れた。

「社長、すみません。また、あの間違い電話です」

「またぁ?最近多いんだよね、間違い電話。困っちゃうよ」

私はSDカードから写真をパソコンに写す間——子供の発言を考えていた。彼はどうも、サガワさんという人に早く来てほしいそうだ。「サガワキョウヘイ」と名乗っていたから、サガワさんというのは身内だろう。例えば、父親の勤める会社に電話をかけているつもりで、うちにかけてしまったとか?

どうして早く来てほしいんだろう。何か重大なことでもあったのか。お母さんが急病になったとか?……だとすれば、昨日から電話をかけているけれど、お母さんは大丈夫なのか?

実際のところは、大した理由などないのだろうけど。でもちょっと物騒だ。物騒というか不気味だ。

サガワさん、早くサガワキョウヘイ君のところに行ってやってくれ。

「有田さん。そういえば今日、ちょっと帰りが遅かったんじゃない」

「電車を乗り違えて……」

嘘だ。できるだけ会社にいたくなかったのだ。電話を取らなければならないから。だから駅のホームで一服した。10分程度。結局帰ってすぐ不気味な電話を取ることになったけれど。

「そういう時は連絡してくれないかな?何かあったと思っちゃうから」

「すみません」

……やりづらい。

私が悪いんだけど。窮屈だと思ってしまう。

私、会社勤め向いてないのかな。どうにも自分の行動を縛られるのは苦手だ。

会社が社員の行動を監視するのは当たり前のことだ。そんなのはわかっている。でも駅のホームで一服するぐらい勝手にさせてくれてもいいじゃないか。

ダメなのか。

じゃあ、仕事のどこが楽しいというのだろう。

自分の撮った写真も評価されず、欠点ばかりつらつら指摘されても、どうにもやる気が出ない。

まあ、そんなのは耐えればいいだけの話だ。でも電話対応のせいで、全部の物事が精一杯になってしまう。つまり、私は会社に向いていないということか。普通の人は電話なんか簡単に取れるんだから。私は他の人よりも劣っている。それを自覚したなら、社長の言うことも素直に聞けるはずなのか?

でも、そんな簡単な話でもない……。私は私なのだ。

とにかく、あらゆることの自信がなくなってくる。



その晩、子供が「サガワさんいますか」と繰り返している夢を見た。私は電話口で、「申し訳ございません、サガワさんはいらっしゃいません」と答える。

「じゃあ、サガワさんはいつかえってきますか」

「すみません、わかりません」

「サガワさんがよるになってもかえってきません」

「それはお気の毒ですが……」

「サガワさんにつたえてください。早くかえってきてって」



次の日、出社。電車の中でまた憂鬱になる。電話電話電話。

自分はおかしいのかな。電話なんかでここまで憂鬱になるなんて。

自分が甘ったれてるだけなのかな。

3年経てば、電話なんか慣れる?……その前に、自分が潰れちゃうんじゃないの?

昔から大の男に怒鳴られてもへっちゃらだったのに、電話でこれほど憂鬱になるなんておかしな話だけれど。今では電話のベルが鳴っただけで冷や汗が出て、心拍数が高まってしまう。

でも電話なんかで会社を辞めたくない。上司も社長も嫌いだけれど、仕事はできるレベルだ。

電話さえなければ……。

そんなことを考えていると、ふと、車内ディスプレイにニュースが映った。

そのニュースを見て、私は危うくめまいを起こしそうになった。

「都内マンションで親子二人の死体が発見 死亡したのは狭川真澄さん(41)、狭川恭平くん(10) 餓死か」

狭川恭平。

サガワキョウヘイ。

餓死?

この飽食時代に餓死だって?

どういうこと?

……どうもこうもない。餓死したのだ。それだけだ。食べ物がなかったのだ。それで親子ともども死んだ。

嘘だろう。サガワキョウヘイが!

「夫の狭川孝雄さん(39)が帰宅したところ、二人の死体を発見した模様です」

いよいよパニックの気配がして、慌てて深呼吸した。

……ただの偶然だろう。珍しくもない名前だ。

そう思いつつも、事件を調べてしまう。ネットには早速狭川孝雄さんの個人情報が流出しており、とある都内の中小企業で働いているとの情報を得た。それだけではざっくりしすぎているが、しかし……左川フラワーの電話番号と似た電話番号に、都内の小さな金属加工会社が引っかかった。評判を調べると、かなりの薄給らしい。社員は何日も泊まり込みはザラで、ほぼ最低賃金で働かされているとか。

私も最低賃金で働いている。この給料で家族二人を養うのはとてもじゃないけれど無理だ。となると、もともと共働きだったのが、母親がなんらかの事情で働けなくなって、稼ぎが大幅に減ったというところだろうか。それで餓死した、とか。

やり切れないな……。

暗すぎるニュースだ。朝からあまりにも暗すぎる。

今までの電話は、サガワキョウヘイの必死の訴えだったのだろうか。ひもじくてどうにもならず、父親の会社に電話をかけた。しかし電話番号は間違っていてうちにかかってきた。そして父親が電話に気づくことはなかった。

もしあの時、私が父親の会社に電話をかけていたら、何か変わっていたのか?

そんなことを考えてもしょうがないけれど……あの電話が死んだ子供のものだという確証もないのだし……。調べたらわかるかもしれないけれど、調べたくもない。

暗い気分のまま会社にやってきた。今日は何もやる気がしない。

それでも電話はかかってくる。私は辿々しく、電話に出続ける。

社長や上司からまた小言が飛んでくる。

小言がなんだ。子供が餓死してるってのに……。

社長は気づかないのか?ニュースで結構大きく取り上げられてるのに、「サガワキョウヘイ」の電話の件をもう忘れてしまったのか?

まあ、忘れたんだろうな。

その日、サガワキョウヘイからの電話はかかってこなかった。



1週間後、私は遅くまで会社に居残っていた。次の日に提出する宣材の編集に苦戦していたのだ。

時刻は午後11時。そろそろ帰らないと終電を逃してしまう。

終電間際で帰るなんて久しぶりだな。師匠に怒鳴られて終電を逃した時は苦痛に思わなかったけれど、今はなぜかとてつもなく理不尽に感じてしまう。なぜだろう。

この仕事がつまらないから?

評価されないから?

わからない。師匠だって私の仕事をろくに評価していなかった。でもあの人は、たまに何か奢ってくれたな。遅くなればタクシーで家まで返してくれたし。

今思えば、それほど悪い人でもなかったのかもしれない。

写真家の道を諦めたのは、間違っていたのか。

私が弱すぎたのか。

無力感が募ってくる。無駄にプライドが高いくせに何もできない自分に……。

こんなことを考えていてもしょうがない。早く仕事を終わらせて、帰ろう。

午後11時半、ようやく全ての写真の編集を終わらせて、帰り支度をする。

そういえば最後に会社から出る時、専用のカードキーを使ってドアを閉めろと言われていたな。どうやるんだっけ。確かマニュアルに……。


〜♪


……会社の本棚を漁っていたところ、電話が鳴り響いた。

こんな時間に誰だ?

なんとなく、嫌な予感がした。

無視してもいいだろう。だが社長は、この時間まで私が居残っているのを知っている。電話に出なかったらまた明日小言を言われそうだ。

私は電話に出た。

「左川フラワーです」

電話の向こうは無言だった。

「もしもし?」

「サガワさんいますか」

子供の声だ。

私はこの声を、どう解釈すればいい?

できればいい方向に取りたい。間違い電話の主は餓死した狭川恭平ではなく、同名の別の子供だったと。そして今、間違い電話をかけてきたと。

そうに違いない。

彼は普通に生きていたのだ。

「申し訳ありませんが、間違い電話かと」

「サガワさんにつたえてください。早くかえってきてって」

「弊社にサガワさんという方はいらっしゃいません」

「サガワさんがよるになってもかえってきません」

「間違い電話かと思います。すみませんが、切らせていただきます」

「サガワさんはどこにいますか?」

「すみませんが間違い電話かと……」

「あなたはだれですか?」

「はい?」

私に、聞いているのか?

「あなたのおなまえは?」

「あの、その、プライバシーに関することはお答えできません、ので」

「おなかすきました」


私は電話を切った。

がちゃん、と思い切り叩きつけた。

オフィスに静寂が訪れる。蛍光灯が寒々しくはぜる。夏だというのに。

帰らないと。

私は玄関ドアまでまっすぐ歩き、後ろ手に電気を消して、オフィスを振り返らないようにしてドアを閉めた。エレベーターを待つ間、ボタンだけを眺める。後ろは決して振り返らない。

エレベーターが来る。手探りで1階のボタンを押し、ドアが閉まるのを待つ。

心臓が、血を抜かれたみたいに暴れている。

私、こんな怖がりだったっけ?

1階につく。ドアが開く。もうビル全体の電気は落ちていて、エレベーターを降りると、狭い階段に私一人だ。階段の上は真っ暗で何も見えない。

私は走り出した。

ビルを出て、駅まで一心不乱に走る。ビルを出てしまえば賑やかな繁華街だから、安心ではある。東京は夜の11時半でも明るく猥雑としている。あけすけなほど明るい駅の照明に救われ、電車に乗り込む。いつもは混み合う車内など大嫌いなのに、今は心から安心していられる。

ここでふと思う——今の私、「憑いてる」んじゃないか?

さっきの電話で、餓死した男の子の霊が憑いてるんじゃないか?

このまま家に帰ったら、幽霊を家に連れてくることになるのでは。どこかホテルでも泊まった方がよかったんじゃ?

……馬鹿馬鹿しい。ホテルなんか泊まったら、1日の稼ぎが吹き飛ぶじゃないか。だいたい7000円!

家に帰るぞ。

そんなことを考えているうちに最寄りに着いてしまった。いつもは途方もなく長く感じるのに、今日ばかりは一瞬だった。

幽霊なんか、これっぽっちも信じていなかったのに。写真家の弟子をやっていた時、心霊写真っぽいものはたまに見た。当然、そういうのはゴミや埃が写り込んでいるだけだ。こちらの思い込みが心霊写真を作るのであって、霊など存在しない。今、私はたまたま見たニュースと間違い電話を結びつけて、勝手に頭の中に霊を作り出しているだけだ。そうやって自分を宥めつつ、アパートまで自転車を飛ばす。右手には鍵。駐輪場に自転車を停めると、脇目も振らず部屋の鍵を開けて、玄関に滑り込んだ。

部屋の暗闇にぼんやりと誰かが立っているような気がして、私は目を瞑った。またまた手探りで部屋の電気をつける。家中のすべての電気をつける。

「おなかすきました」

電話の向こうの声は、なんであんなこと言ったんだろう?

ただのいたずら?

それとも怨霊?

なぜ私の名前を聞こうとしたんだろう?

どちらにせよ気味が悪い。

私は風呂にも入らず、布団に潜り込んだ。私の中の頑張って保っていた部分が、今崩れたのだろう。あまりにも怖くて、かつ悲しくて、冷房もつけず布団にくるまっていた。私も最低賃金だし、餓死するかも。

餓死する時、男の子は何を考えたんだろう。

気味の悪い電話と将来の不安、そして餓死の恐怖が襲ってきて、私はうめいた。呪うなら呪え。呪われたところで、私に捨てるものなど何もないのだから……。



次の日、出社すると、社長から声をかけられた。

「有田さん昨日、会社の鍵開けっぱなしで退社したでしょ」

「……あ」

忘れていた。というか、余裕がなかった。

「申し訳ありません」

「困るよ。夜に泥棒でも入ったらどうすんの。有田さんさあ、なんというか、責任感がないよね。前の電話のこともそうだけどさ、全部任せきりじゃん。100%の責任を社長に負わされても困るんだよ。会社のことを自分ごとだと思って欲しいな」

「すみません……」

私は謝った。

この件に関しては完全に私が悪い。

ろくな職歴も能力もない私をアルバイトにしてくれて、心からありがたいと思っている。

でも、こんな会社、地獄に落ちてほしい。



というわけで、私は入社4ヶ月目で仕事を辞めてしまった。心霊電話で仕事を辞めたのも情けない話ではあるが、今の職場では、電話番はしないでいられている。これだけでずいぶん気が楽になった。そして電話を取ってくれる人に対する感謝も増した。

風の噂で、私の後任がすぐに仕事を辞めたと聞いた。となると、やはり「サガワキョウヘイ」からの電話がかかり続けているということなのだろう。

あの会社は呪われたのか?

しかし、社長が電話を取らない限り、彼からの電話に気づくことはない。新入社員しかあの電話には気づかないのだし、気味悪がって辞める人もたくさんいるはずだ。とはいえ、世の中には呪われてもへっちゃらな人間など山ほどいるだろうし、特に気にすることでもないのだろう。

私の方は……なんとなく餓死というキーワードが引っかかって、また師匠に連絡を取った。

なんとなく餓死する前に師匠に会っておきたいと思ったからだ。勝手な話だが。

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短編 @reizouko

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