第1章

四月。仕事も始まり、朝出社するとすぐに教育係の上司と顔を合わせることになった。

榎内えのうち翠玲すいれいです。よろしくね」

「ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします。早く仕事を覚えられるように、精一杯頑張ります」

彼女は一言でいうと、明るい人だった。教え方も丁寧で分かりやすく、私が何を聞いてもすぐに笑顔で教えてくれる、そんな人だった。

私は事務職を選んだ。特にやりたかったわけでもない。夢を、持ったこともない。ただなんとなく、この会社を選んだにしか過ぎなかった。

榎内さんから仕事を教えてもらい、そのまま昼食も一緒に取ることとなった。そして自然と話は、私の結婚についてだった。

「高校卒業してからすぐ結婚か、すごいね。お互いそれほど好きなんだね」

榎内さんは話上手でもあり、聞き上手でもあった。大抵の人は、話していて居心地がいい人だと思うことだろう。今日の午前中は他の上司達にも、「教育係が彼女でよかったね」と、何人もの人に言われた。

彼女も結婚していて、今年小学校に入った長男と三つ下の長女、二人の子供がいるそうだった。写真をスマートフォンで見せてもらったのだが、その写真には、幸せそうに笑う家族が写っていた。

人を信じられない私でも、この写真に写る家族は、本物の家族だと分かる。そして仲の良さそうな夫婦。私達とは、正反対だ。

「夢原さん?大丈夫?」

「はい、大丈夫です。……写真、ありがとうございました」

私はお礼を言いながら、得意の愛想笑いを見せたのだった。

そして三週間後、仕事が終わり家へ帰ると、私は夕飯の準備とお風呂の準備を進めていた。私達の間で特に分担は決まっていないのだが、基本私が早く帰ってくるので、私が夕飯やお風呂を準備しておくことがほとんどだった。

私はレシピをスマートフォンで見ながら、早くはないスピードで料理をこなしていく。

しかし、味付けを失敗してしまったらしく、美味しいものが出来上がることはなかった。食べられない程でもないのだが、美味しいとは到底言えない。

元々家では家事をたまには手伝ってきたし、料理だってしたことはあったのだが、簡単なものしか作ることはできないし、レパートリーも限られている。

しかし、結婚してからはそういうわけにもいかず、私は毎日レシピと顔を見合わせるようになった。

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