第24話 彼氏の務め
時間が止まった。
そう感じる程の圧倒的な静寂が二組を支配していた。
アゲハは突然目の前に全裸中年が現れたみたいな顔で目を剥いている。
九朗の心臓はアクセル全開のV8エンジンみたいな勢いで鼓動していた。
「ぇ、ぇええええええええええええ!?」
見知らぬ女子の絶叫を合図に、二組の生徒達が騒ぎ出した。
「おいおい、マジかよ!?」
「竿谷君が二子玉さんに告白したぁ!?」
「なんで!? どうして!? 意味わかんない!?」
「あんなビッチのどこがいいわけ!?」
誰かの声にアゲハの肩がビクリと揺れる。
苦虫を噛んだような顔で俯き。
「……帰って」
「帰らない! アゲハさん! 俺は――」
「帰れって言ってんの!? あんたなんかタイプじゃないし好きでもない。てか、ろくに話した事もないのにいきなり好きとか言われても困るし。こんな所で告白とか普通に迷惑だから!」
アゲハの態度は妙だった。
まるで初対面みたいな扱いである。
それでいて、鬱陶しそうに九朗を見つめる両の目は、必死に何かを訴えているようでもある。
(……そう言う事か)
九朗は察した。
もう二度と彼女の気持ちを見失わない。
そういう覚悟でここに立ち、観察し、気持ちをトレースしているのだ。
(俺はあのゲームを死ぬほどやり込んでいるんだ。何度も、何度も、何度も何度も君を攻略した。選択肢なんか見えなくたって、本気になれば君の本心が視える筈なんだ!)
そんなわけはない。
ゲームと現実とでは訳が違う。
それでも九朗はそう信じた。
不確かでも自分を信じる。
ハッタリでも自信を持たなければ、アゲハを不安にさせる。
それでは主人公失格だ。
(……アゲハさんは、俺が告白した事自体をなかった事にするつもりだ。たった一日でも付き合ってたなんて周りに知れたら俺の汚点になる。そう思って泥を被るつもりなんだ)
その証拠に、アゲハの返事を聞いて二組にはブーイングの嵐が巻き起こっていた。
「なにあの態度!」
「助けて貰ったくせに酷くない?」
「あんたに竿谷君は勿体ないっての!」
そうやって嫌われ者を演じれば九朗を守れると思ったのだろう。
優しい人だ。
そんな事をしたらどうなるかなんて分かっているはずなのに。
(だから好きなんだ。不器用で、繊細で、見栄っ張りで、でも優しい、そんな君がずっと好きだった)
ゲームをしならがいつも思っていた。
現実に出会ったら、余計にその想いは強くなった。
「その手には乗らないよ」
暖かな気持ちが沸き上がり、九朗は自然と笑みを浮かべた。
その意味を、アゲハは正しく理解したらしい。
「ダメ! 言わないで! お願いだから!」
「いいや。言うね。何度でも言ってやる! アゲハさん! 昨日は俺が悪かった! 俺達が付き合ってる事を隠そうとするなんて、大バカ野郎の大間違いだった! だからゴメン。この通りだ! 俺と寄りを戻してくれ!」
泣きそうになり、アゲハは両手で顔を覆った。
二組の混沌は増すばかりだ。
「はぁ!? こいつら、付き合ってたの!?」
「嘘でしょ!?」
「いや、でも、それなら色々納得だよな……」
「彼女がレイプされそうになったら助けに行くのは当然か……」
驚く者が半分。
納得する者が半分という感じだ。
実際、それを明かしてしまった方が外野にとっては分かりやすい。
惚れた男が惚れた女を助けに行った。
ただそれだけの話なのだ。
時系列についてはまだ誤解されているようだったが。
「正確には、好きだったから助けに行ったんだ。告白したのはその後。で、俺が二人の関係を隠そうとしたから振られたんだ」
「竿谷君!? なんで言っちゃうの!?」
慌てたアゲハが声をあげる。
「どうせ噂になるんだから、間違いは今の内に正しておいた方がいいだろ? 付き合ったのが事件の前と後とじゃ大違いだし」
「それは……そうだけど!?」
レイプ未遂の前から付き合っていたと誤解された場合、アゲハは九朗と付き合っているのに遊び歩いている悪女になってしまう。
「っていうかそう言う問題じゃなくて! あたし達、別れようって言ったじゃん!?」
「なんで?」
「な、なんでって……」
「俺は了承してないし、納得もしてない。俺に問題があったのなら、今この場で、ハッキリ理由を言ってくれ!」
九朗の仕掛けた罠に、まんまとアゲハは引っかかった。
「問題なんかない。あるわけないでしょ!? 竿谷君は悪くない。悪いのは全部あたし! だって、分かるでしょ!? あたしみたいなビッチと付き合ったら、竿谷君に迷惑かかるじゃん! 今だって、なんでこんな女とって言われてる……」
何人かがバツが悪そうに視線を逸らした。
その数は、決して少なくはない。
腹が立たないと言えば嘘になるが、そう思う者がいるのは仕方のない事だ。
それよりも大事なのは、アゲハの本心を大勢の前で引き出せた事である。
確かにアゲハはビッチだった。
浅はかな考えから見ず知らずの男に股を開きまくった。
普通に考えて、とてもではないが褒められる事ではない。
嫌われたり蔑まれても仕方ない。
……でも、それだけじゃない。
それ以外にも、優しい所や良い所、人間らしい所が沢山ある。
それを九朗は知って欲しかった。
その上で九朗は言った。
「そんなの俺は気にしない」
「あたしは気にするの!? 竿谷君が好きだから! 好きな人の足引っ張りたくないの!」
「俺だってそうだ! でも、だからって他人の目を気にして好きな人をないがしろにするのは違うだろ!? それじゃあ付き合ってる事を隠そうとした俺と同じじゃないか!」
「……そうだよ。だから、あたしは、最初から付き合わない方が良かったって……」
「そうじゃないだろ!? そうじゃないんだよ! そうじゃなくて……。こうやって堂々と、みんなの前で宣言するべきだったんだ! だってアゲハさんは俺にとって、何一つ恥じる事のない自慢の彼女だから! 文句がある奴はかかってこい! 俺がこの手でぶっ飛ばしてやる!」
薔薇の花束を振り回し、高らかに宣言する。
誰もが恐れる上級生の不良集団を一人で潰した九朗である。
文句を言える奴なんかいるわけがない。
「アゲハさん。もう一度言うよ。俺が間違ってたんだ。だって俺はアゲハさんの彼氏だから。アゲハさんを困らせる奴がいるのなら、コソコソ逃げ回るんじゃなく、戦って守らなくちゃダメだったんだ。……俺、バカだから。そんな当たり前の事も分かってなかった。でも、反省したから。これからもきっと間違う事あると思うけど……。ちゃんと反省してもっと良い彼氏になれるよう頑張るから……。だから俺と、寄りを戻して欲しい」
アゲハの前に跪き、花束を差し出す。
振り回したせいで花束は不格好になっていた。
その事に気付き、しまらないなと頬を掻きたくなる。
静寂の中にパチパチと、疎らな拍手が巻き起こった。
「いいぞ! 九朗! 俺は応援するぜ!」
聞こえた声は廊下から。
騒ぎを聞きつけたのだろう。
すし詰めのように並んだ人だかりの中で、クラスメイトの三浦和馬が窮屈そうに手を叩いている。
それが呼び水となり、あちらこちらで拍手が上がった。
ほとんど男子だったが、九朗には心強い。
当のアゲハは泣きそうな顔で俯いていた。
「……なんで? どうして? こんな女のどこが良いの? あたしには、全然分かんないよ……」
「あ~も~! じれったい!」
友人なのだろう。
寝たふりをするアゲハに声をかけた後ろの席のギャルが身を乗り出し、アゲハの胸を揉みしだいた。
「そんなんど~でもい~じゃんか!? 好きなんでしょ!? だったらツベコベ言わずにより戻せっての!」
「ちょ!? アンナ!? 分かったから!? 胸揉むなし!?」
(勃つな勃つな勃つな勃つな勃つな勃つな――)
ここで勃ったら台無しだ。
素敵な光景に釘付けになりながら、必死に九朗は体育教師の熊田の胸毛を思い出した。
アゲハはアンナの手を振りほどくと、上目遣いにチラリと九朗を一瞥し、そっと深呼吸をした。
そして震える声で言うのである。
「こ、こちらこそ。こんなあたしで良かったら……もう一度竿谷君の彼女にして下さい……」
歓声と指笛が二人の仲を冷やかした。
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