第22話 諦めたらそこで破局

「九朗さん!? どうしたんですかその顔は!? ……っ! この前の糞ガキに仕返しされたんですね! 許せない! 義母さんに任せて! お友達に腕のいい弁護士がいるんです! 絶対に少年院にぶち込んで九朗さんを殴った事を後悔させてやりますから!」


 喧嘩自慢の不良共をワンパンKO出来る拳を自分の顔面に何度も叩き込んだのだ。


 家に帰る頃には、九朗の右頬は見るも無残に腫れあがっていた。


 それを見て、涼子が狼狽えるのも無理はない。


「……違うよ涼子さん。自分でやったんだ」

「自分で!? なんでそんな事!?」

「……アゲハさんに振られたんだ」


 色々と端折り過ぎだと我ながら思う。


 だが今は、落ち込みすぎて一から十まで説明する気にはなれない。


 とにかく、放っておいて欲しい。


「は?」


 涼子は素っ頓狂な声を出した。


 彼女なりに状況を理解しようとしたが無理だったらしい。


「はぁああああああああああ!?」


 暫しの沈黙の後、涼子は叫んだ。



 †



 昨日の今日でコレである。


 しかも九朗の落ち込みようだ。


 どう考えてもまとも別れ方ではない。


 そう思ったのだろう。


 涼子は根掘り葉掘り聞こうとした。


 九朗としては放っておいて欲しかったが、涼子が心配する気持ちを考えるとそういう訳にもいかない。


 本音を言えば九朗も誰かに話を聞いて欲しかったのだろう。


 一度口を開いてしまったら、堰を切ったみたいに言葉が溢れた。


 結局九朗は包み隠さず、一から十まで説明した。


 そうすると、不思議と気持ちが楽になった。


 巷で言う、悩み事はただ人に話すだけで楽になるというのは本当らしい。


 前世ではそんな相手、ただの一人もいなかったので知らなかった。


 それでふと気づく。


 話を聞き終えた涼子が凄い顔をしていた。


 例えるなら、想像を絶する超ウルトラ級の愚か者と対面したような顏だ。


 というか、例えでもなんでもなくその通りの状況なのだろう。


「……やっぱりその、マズかったですか?」

「マズいなんてレベルじゃないですよ! なんでそんな!? いくら何でもあり得ないって言うか、そんなの振られて当然でしょ!?」

「ご、ごめんなさい!?」


 ダンダンダンとテーブルを叩きながら叱られて思わず謝る。


「私に謝ってどうするんですか!? あぁもう、本当に……。非モテを拗らせまくって自己肯定感がマイナスに振り切った中年童貞ならいざしらず、どう見てもモテモテイケメンの九朗さんがそんなミスを犯すなんて、ありえないでしょう!?」

「うぅっ……。返す言葉もありません……」


 と言いつつ、九朗は内心ホッとした。


 だって自分の中身はまさに非モテを拗らせまくって自己肯定感がマイナスに振り

切った中年童貞なのである。


 涼子の言い方なら、情状酌量の余地はありそうだ。


「……なんでちょっとホッとしてるんですか?」

「き、気のせいですよ!? っていうか涼子さん、なんか凄く怒ってないですか!? アゲハさんの事嫌いだって言ってたし、てっきり喜ぶかと思ったんですけど……」

「それは……。それ! これはこれです!」


 確かに義理の母親の立場としては、涼子はアゲハを快く思っていなかった。


 だって高一の癖に見ず知らずの男とヤリまくっているおビッチさんだ。


 申し訳ないが、そんな奴に義理とは言え大事な一人息子を任せられない。


 それに、涼子ですら初体験は大学生になってからだ。


 とはいえだ。


 それはそれとして、涼子にはアゲハの気持ちが分かる気がした。


 涼子自身夜の世界で働いていて、毎晩のように見知らぬ男を抱いていた。


 同僚の中にはアゲハのように自分に自信がなく、男と寝る事で自分の存在価値を確認する子もいなくはなかった。


 むしろ、そんな子は多かったようにすら思う。


 自分だって、そういう気持ちが全くなかったとは言えない。


(……というか、形が違うだけで同じと言ってもいいくらいよ……)


 涼子は自分の仕事に誇りを持っていたが、それでも内心では、自分は汚れた存在なのではと不安になる事があった。


 特にその気持ちは、本気で誰かを好きになる程強くなる。


 自分なんかがこんな人を好きになってはいけない。


 自分なんかがこんな人の隣に居てはいけない。


 自分なんかこの人には相応しくない。


 自分なんか……。


 そう思って不安になる。


(……そのアゲハって子は、本当に九朗さんの事が好きだったのね……)


 話した事もなければ逢った事もない相手だ。


 それでも、九朗とのやり取りを聞いただけで涼子には分かった。


 まぁ、シチュエーション的にもスペック的にも、こんな男を好きにならない訳はないのだが。


 仮に自分がアゲハの立場だとしたら、絶対に惚れる自信がある。


 そう思うと、義理の母親という立場があってなお、涼子はアゲハに同情せずにはいられなかった。


 むしろ、なんでそんな見え見えの地雷を踏むような事をしちゃうのよ!? と九朗に呆れさえする。


 若さゆえの過ちと言えばそれまでだが、なんとなく九朗はその辺はしっかりしていると思っていた。


(……本当にこの子は。変な所で初心と言うか奥手と言うか、童貞っぽい所があるのよね)


 実際に童貞ではあるのだろうが。


 もっとこう、長年発酵させたブルーチーズみたいな童貞臭がするのである。


 この期に及んで何が悪かったのか分かっていないようでもあるし、最近の男の子ってこんな感じなのかしら……と不安になる。


「それに私、アゲハさんって子の事は別に嫌いじゃありませんから!」

「そうなんですか!?」

「そうですよ! あくまでも、九朗さんの彼女には相応しくないって思っただけです。そもそもその子の事よく知りませんし、好きも嫌いもないじゃないですか!」

「……まぁ、そうなんですけど」


 それを聞いて九朗もホッとした。


 無条件で嫌われているのでないのなら、まだチャンスはある。


 そう思ってから、もう自分は振られてしまった事を思い出す。


(……なんでこんな事になっちゃったんだろう)


 帰り道、何度も繰り返した問いだった。


 途中までは上手く行きそうな感じだったのに。


 アゲハの事を考えて言った事だったのに。


 なぜあそこまでアゲハを怒らせてしまったのか、未だに分からない九朗だった。


 なんとなくみんなに隠すという選択はよくない感じもするのだが。


 だからって、それだけで振られる程嫌われるとは思わなかった。


 それで九朗は聞いてみた。


「……それで、その。何が悪かったと思います?」

「……それ、本気で言ってます?」

「……はい」

「……はぁ~っ」


 クソデカ溜息を吐くと涼子は言った。


「なにもかもです!」

「……なにもかも、ですか」

「そうですよ! 九朗さんとしてはアゲハさんの事を思っての提案だったんでしょう。それは私にも分かります。でもダメです。ダメダメです。0点どころかマイナスです!」

「……それが俺にはわからないんです。だって! 今アゲハさんと付き合ってる事が周りに知れたら絶対アゲハさんを困らせる事になるじゃないですか! 俺はただ、アゲハさんを守りたかっただけで……」


 本当にただそれだけだった。


 アゲハを傷つけたくない。


 自分と付き合ったせいでアゲハに迷惑をかけたくない。


 自分のせいでアゲハが嫉妬されたり悪口を言われたりするのは嫌だった。


 それなのに、涼子はやれやれと溜息を吐く。


「その考えは立派だと思います。でも、大事な事が抜けてます」

「大事な事?」

「アゲハさんの気持ちですよ」


 真顔で言われても九朗は納得出来なかった。


「……アゲハさんの気持ちなら考えましたよ。だからこそ――」

「アゲハさんも九朗さんと同じくらい、いえ、もしかしたらそれ以上に九朗さんの事を好きかもしれないって事は考えましたか?」


 九朗の心臓がテストの終了間際に解答欄が一つずつズレていた事に気付いたみたいにヒュッとなる。


「やっぱり考えてなかったんですね……」

「だ、だって俺、女の子に好きになられるのなんか初めてで! 彼女が出来ただけで舞い上がっちゃって! ……アゲハさんが俺の事どう思ってるかなんて考える余裕……」

「いや本当、なんでその見た目でそんなに自分に自信がないんですか?」


 心底不思議そうに言われても、九朗は「……ごめんなさい」としか言えない。


「とにかく。話を聞いた限りでは、アゲハさんも九朗さんに負けないくらい九朗さんの事を好きなんだと思います。ここまで言えば流石にわかりますよね?」

「……アゲハさんも、俺に迷惑をかけたくなかったんですね……」


 深々と涼子が頷く。


「客観的に見れば、ただでさえアゲハさんは九朗さんとは釣り合わない相手で、そんな事はきっと、他ならぬ本人が一番感じていたはずです。そもそもアゲハさんはビッチ――奔放な子みたいですし。自分は汚れていると感じていて、九朗さんには相応しくないって思ってたはずなんです」

「そんなの俺は――」

「そういう所! またアゲハさんの気持ちをないがしろにしてますよ! 九朗さんが逆の立場だとして、相手がいいって言ってるから大丈夫だ! と思いますか?」

「……思いません」


 それこそ、自分なんか相応しくないと逃げ出してしまうだろう。


「でしょう? それでただでさえ不安な所に俺達付き合ったら面倒だからみんなに隠しとこうとか言われたら身を引きたくなるのも当然です! 九朗さんがアゲハさんを守ろうとしたように、アゲハさんも九朗さんを守りたかったんです。だから別れを切り出した。本気で好きだから! わかりましたか!?」

「はい!」


 力いっぱいの返事と共に九朗はテーブルに頭を打ち付けた。


「九朗さん!?」


 焦る涼子を気にもせず、二度三度と頭突きをする。


「俺はバカだ!? 大バカ野郎だ!? アゲハさんの気持ちを考えた気になってただけで全然考えていなかった! アゲハさんを守ろつもりで逆に傷つけた! アゲハさんはそんなにも俺の事を好きになってくれてたのに、そんな事俺は全然考えなかった!」


 そんなのは愛じゃない。


 ただの自己満足のオナニーだ。


 当然だ。


 佐藤英二は愛を知らない。


 一人の世界に閉じ籠り、ずっとオナニーばかりして死んだのだ。


 そのツケがこれなのだ。


「俺は!? 俺はぁ!? アゲハさんの彼氏に相応しくない……」


 額から血が出る程打ち付けると、そのままテーブルに突っ伏す。


 本当にこんな奴、死んだ方がマシだ。


「顔を上げなさい!」

「どぁ!?」


 涼子がドガンとテーブルを叩く。


 反射的に顔を上げると、涼子が怖い顔でこちらを睨んでいた。


「りょ、涼子さん?」

「イケメンがそんな事でピーピー泣くんじゃありません! 大体、まだ何も終わってないでしょう!?」

「で、でも俺、アゲハさんに嫌われて……」

「ないから!? 嫌われてません! 好きだから振ったの! まだわからないの!?」

「わ、分かりますけど……。でも……」

「でもはなし! これからどうするか! この程度の喧嘩、恋愛では日常茶飯事なんですよ! 涼子さんの恋愛講座その一! 痴話喧嘩は諦めたらそこで終了! 頑張って仲直りするか、諦めて別れるか! 九朗さんはどうしたいんですか!? っていうか、まさか諦めるつもりじゃないですよね!? こんな悲しい別れ方、義母さんは許しませんよ!」

「それは俺も嫌ですけど……。涼子さんは、俺とアゲハさんが付き合うのは反対なんじゃ……」

「反対ですけど! それはそれ! これはこれ! 義理の息子にこんな情けない別れ方させたら母親失格です! っていうか本気でその子が好きなら義母さんの屍を越えて行くぐらいの覚悟を見せなさい!」

「は、はい!?」


 なにもかも、一から十までその通りだと九朗は思った。


 アゲハとはまだ終わっていない。


 というかまだ、始まってすらいない。


 彼女が勝手に別れると言っているだけだ。


(やるだけやって振られたっていい。それでもせめて、アゲハさんにちゃんと謝りたい!)


 ここで逃げ出したらそこれそエロゲの主人公失格だ。


 でも、どうすれば?


 覚悟は決まっても、肝心のアイディアが浮かばなかった。


「……えっと、涼子さん。助言ついでにもう一つアドバイスが欲しいんですけど」

「アゲハさんと仲直りする方法教えてとか言ったら怒りますからね。それくらいは自分で考えなさい」

「……はいっ!」


 その通りだと九朗は思った。

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