第17話 好きだから付き合えない。

「もちろん好きだよ!」


 反射的に九朗は叫んだ。


 満面の笑みにサムズアップも付け加えて。


「アヒッ」


 アゲハはゲーム内でも聞いた事が……いや、そうでもないか。


 ともかく、オホ声の亜種みたいな呻き声を出して顔を引き攣らせた。


 そのまま一時停止でもかけられたみたいに固まる。


(なぜ?)


 九朗は元中年童貞らしい鈍感さを発揮すると、暫し考える。


(いや!? なぜじゃねぇし!)


 流石に気づき全身の血液が逆流した。


「あばばばば!? いや、ちが、今のはそう言う意味じゃなくて!?」

「え!? あ! そ、そうだよね!? あたしみたいな最低ビッチ好きなわけないよね!?」


 アゲハはアゲハでホッとしたような、悲しいような、でも納得したような、残念なような、美術の成績が1の生徒のパレットみたいな表情で声を裏返らせる。


 それで九朗も余計に焦り、夏休み最終日に宿題を一つやり忘れている事に気付いた人みたいな顔になった。


「いや好きだけど!? そういう好きとは違うっていうか! アゲハさんの事は大好きだけど!? 俺みたいな冴えない中年童貞が好きになっていい対象じゃないって言うか!? そもそも次元が違うから考えた事もないっていうか!?」

「へ?」

「あああああああ! 今の忘れて! 俺も色々どうかしてるみたい!?」

「と、とりあえずお互いに深呼吸して落ちつこっか……」

「そうだね!?」


 公園のすみのベンチに二人で座り、スーハ―スーハーバカみたいに胸を上下させる。


「お、落ち着いた?」

「……全然」

「だよね……」


 お互いに顔を見合わせると、そこにはどちらも穴があったら入りたいとデカデカ書いてあった。


 そのマヌケさにどちらともなく笑いが込み上げ、よくわらかないが落ち着いた。


 落ち着いたら落ち着いたで今度は急に恥ずかしくなり、お互いにモジモジソワソワ口を閉ざす。


(これはつまり、どういう状況なんだ!?)


 まさかアゲハも好きなのだろうか。


 いやまさか。


 まさかまさか!


 大人気のエロゲの看板娘のヒロインが、こんな醜い中年童貞を好きになるはずがない!


 ……でも今の俺はそのエロゲの主人公なわけで。


(……つまりそれって!?)


 嫌が応でも期待する。


 でもだめだ。


 期待なんかしちゃいけない。


 前世では、期待して良い事なんか一つもなかった。


 でも、でも、でも!


 勝手にテンパり一喜一憂する九朗を見て、アゲハはクスリと笑った。


 そして優しい笑みを浮かべ。


「……あたしは竿谷君の事好きだよ」

「どこが!?」


 ゲームでは何百回と聞いたセリフだ。


 でも、リアルで言われた事は初めてだ。


 そりゃ、否定したくもなる。


「どこがって……。逆に聞きたいんだけど、あそこまでされて好きにならない女の子いる?」

「でも……」


 俺、チビデブの腋臭でブサイクだし。


 今は違う。


 でも、まだ慣れない。


 気分はまるで魔法のかかったシンデレラだ。


「わっかんないなぁ。なんでそんなイケメンなのに自信ないわけ? 竿谷君くらいかっこよかったら、普通はモテて当然って感じになると思うんだけど」

「……そうかもしれないけど。俺もそう言うの、あんまりピンとこないから……」

「俺も?」

「アゲハさんと一緒って事」

「どこが!? 全然違うじゃん!? 竿谷君はイケメンで優しくて強くて格好よくて学校でもチョ~人気じゃん!?」

「アゲハさんだって俺からしたら可愛くて素敵で人気者だよ」

「それこそどこがだし!? 絶対別の女と勘違いしてるっしょ!?」

「ほら同じだ。俺もアゲハさんも自分の良さに気付いてない。一緒だよ」

「全然納得いかない……」

「俺もそうだけど。俺がアゲハさんの事を素敵だと思ってる気持ちは否定して欲しくないな」


 まぁ、それはそれで可愛らしくもあるのだが。


 やはりアゲハは納得いかない様子で顔をしかめている。


「……だったら、あ~しが竿谷君の事好きな気持ちも否定して欲しくないんだけど」

「それは……そうかもしれないけど」


 それを言われると九朗も弱い。


 嬉しい事は嬉しいのだが、嬉しすぎて脳が理解を拒んでしまう。


「わかるよ……って言うのは違うのかもだけど。あたしも竿谷君があたしの事好きって話受け入れられないし。……たとえそう言う意味じゃなくてもさ」

「いや、そう言う意味じゃないわけじゃないんだけど……」

「本当!?」

「や、その、ぁの……」

「もう! 思わせぶりな事言わないでよ! 期待しちゃうじゃん!?」

「ごめん!? でも俺、自信なくて……」

「なんで……」


 不可解そうに呟くと、アゲハは溜息を吐いた。


「そういう所が似た者同士ってわけだ」

「みたいですね……」


 情けなくて縮こまる九朗にアゲハが笑いかける。


「もう! そんな顔しないでよ! あたしも多分同じ気持ちだから。竿谷君の事は好きだけど、付き合いたいとかそういうんじゃないし」

「……ですよねぇ」


 がっかりした。


 わかっていたつもりだったのに。


 勝手に期待してまた自爆してしまった。


「そうじゃなくて! 付き合いたい気持ちはあるの! それこそ今すぐ押し倒しちゃいたいくらいに! でも、今のあたしじゃそんな事、口が裂けても言えないし……。もし仮に、仮にの話ね。なにかの間違いで竿谷君もその気でも、今は無理って言うか、あたしなんか勿体ないっていうか、そんな資格ないっていうか、だってビッチだし……」

「そんなの関係ないよ!」

「……そう言ってくれるのは嬉しいけどさ。あたしはイヤだよ。好きだから、こんな自分じゃつき合えない」


 寂し気にアゲハが笑う。


 笑みに見えても笑みではない。


 そこにはただ、取り返しのつかない後悔が滲んでいた。


 九朗にはアゲハの気持ちがわかる気がした。


 自分だってアゲハの彼氏には相応しくないと思っている。


 転生して見た目はイケメンになった。


 そもそも自分はこの世界の主人公で、ヒロインであるアゲハに好かれるのは当然なのだ。


(……でもそれって、なんかズルいよな)


 騙しているような気分になる。


 あるいは、洗脳アプリで無理やり好きにさせているような。


 とてもじゃないが自分の魅力でアゲハの気持ちを射止めたとは思えない。


 アゲハだってそれは同じだ。


 前世では色んなルートのアゲハを攻略し、彼女に救われた。


 でもそんな事はアゲハは知らない。


 彼女からすれば、いきなり何処からともなく現れた王子様に助けられたような感覚なのだろう。


 戸惑うのは当然だ。


(……それが、どうした!)


 どうしたもこうしたもない。


 大問題だ。


 彼女が自分で感じているのと同じように。


 いや、それ以上に。


 九朗は自分なんかアゲハの恋人には相応しくないと思っている。


 でも。


 だからこそ。


 自分の気持ちに嘘をつくべきではないとも思う。


 俺なんかが。


 前世ではその言葉が呪いのように佐藤英二の人生を縛ってきた。


 その一言で夢も希望もなにもかも、挑戦することなく諦めてきた。


(……俺は、この世界の主人公に生まれ変わったんだ。それを卑怯だと気にしてたら、一生何も出来やしない。折角転生した意味がない。前世の俺が救われないし、今の俺も救えない!)


 それに、アゲハと自分は同じだと言うのなら、猶更彼女と付き合うべきだと思う。


 ていうか付き合いたい。


 御託なんかどうでもいい。


 言い訳はもうたくさんだ!


 俺なんかがと日和るからには、九朗は間違いなくアゲハの事が好きだった。


 そのアゲハがもしかしたら、こんな自分を好きだと言ってくれている。


 こんなあたしじゃなかったら、恋人になりたいと言ってくれている。


 精一杯の勇気を振り絞り、それでもあと一歩を踏み出せずにいるのなら。


 その一歩を踏み越えるのは、自分の役目であるはずだ。


「俺は付き合いたい」


 九朗は言った。


 途端に後悔が押し寄せる。


 バカバカバカ!


 俺はなんて事を言っちまったんだ!?


 でも止めない。


 臆病で後ろ向きな自分の声に耳を貸さない。


 俺なんかがと言うほど自分が嫌いなら。


 俺なんかがと言う程自分に自信がないのなら。


 変わるしかない。


 そしてそれは、今からだっていい筈なのだ。


 唐突な告白に、アゲハは石のように固まっていた。


 でもそれは外見だけで、激しく揺れる瞳から、内面では凄まじい速度で思考が駆け巡っている事が分る。


 それこそ九朗には自分の事のように理解出来る。


(だって俺達は似た者同士だから)


 深く考えたことはなかったが。


 だからこそ、九朗は彼女が好きだったのかもしれない。


(やっぱり俺、アゲハさんの事が好きだ)


 はっきり自覚した瞬間、恐れは消えた。


 アゲハの瞳が涙ぐみ、抑えきれない笑みが零れる。


 が、すぐに彼女はそれを否定するように奥歯を噛んだ。


 やり切れない笑みを浮かべて呟く。


「……ありがとう。嬉しいけど、やっぱりむ――」

「無理じゃない! 俺はアゲハさんが好きだ。ファンってつまり、そういう事だよ! アゲハさんも同じ気持ちだって言うんなら、俺と付き合ってくれ!」

「ぁ、ぅ、ぅぁ、ぁぁ……」


 喜びと苦悩が目まぐるしく入れ替わる。


 弾ける感情に耐え切れずアゲハの目から涙が溢れた。


「で、でもあたし、ビッチだよ? 色んな男に股開いて、ヤリまくって、汚れちゃってるんだよ? そんな女、普通いやでしょ……」

「イヤじゃない。そんなの気にならないくらい君が好きだ」

「でも、あたしは――」

「言い訳なんか聞きたくない! 俺と付き合ってくれるのか、くれないのか! どっちなんだ! アゲハさん!」

「ぅ、ぅう、ぅあ、ぁあああああああああ!」


 声をあげて泣き出すと、アゲハは九朗の胸に飛び込んだ。


「そんなの、付き合いたい決まってるじゃん!?」



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