第11話 因果応報
結局の所、涼子のアドバイスとは何もするなという事だった。
人間は誰しも間違いを犯す。
それどころか、良かれと思って悪い結果を引き起こしたり、相手を傷つけてしまう事すらある。
今回がまさにそうだろう。
自分の事を棚に上げて怒りだしたアゲハにだって非はあるのだから、くよくよ悩んだった仕方がない。
なにか行動を起こすにしても、とりあえず相手の出方を見てからだ。
しばらくはアゲハに近寄らず、お互い頭を冷やした方がいい。
その通りだと九朗は思った。
思い返せば前世では、自分が悪いとも言えない小さなミスや行き違いを一々気にし、余計に事態を悪化させるような事をしてしまっていた。
下手にこちらが媚びへつらえば相手もそれに甘えてしまい、解決するものもしなくなるという事なのだろう。
「流石は涼子さん! やっぱり相談して良かったです!」
ゲーム内と同様に、いやそれ以上に、竿谷涼子は頼もしかった。
こんな人が義母として見守ってくれるなら、これ程心強い事はない。
「うふふ。これでも一応、九朗さんの義母さんなので」
照れ臭そうに笑う涼子を見ていると、少しだけ家族としての絆が深まったような気がした。
それがアゲハと喧嘩したお陰だと思うと、なんだか皮肉な気もするが。
†
(……なんなのよあいつ)
放課後になりふと思う。
あれから一週間、気付けばアゲハは九朗の事ばかり考えていた。
最初は単純にムカついていた。
ほとんど初対面も同じなのに、いきなりビッチをやめろと説教をされた。
その上勝手に本当のアゲハとやらを訳知り顔で語られて、その内容も酷く失礼なものだった。
九朗の言い分は、お前はなんの取り柄もない癖に承認欲求を満たしたくて股を開く安っぽい女だと言っているのも同じである。
そんな事を言われたら誰だって怒る。
アゲハもカッとなって手が出てしまった。
それでも気持ちは収まらず、家に帰って泣いてしまった。
なんなのあいつ!
イケメンだからって調子に乗っちゃって!
マジで最低!
本当に、あんなにムカついたのは生まれて初めてだ。
奇妙なのはその後だった。
ひとしきり泣いたのに、全然気持ちがスッキリしない。
普段なら、解決はしなくても泣けば気持ちが落ち着くものだ。
それなのに、泣き止んだアゲハは余計に胸がモヤモヤした。
怒りとは違う不快な気持ちが寝相の悪い鉛の人形みたいに腹の中でゴロゴロしている。
今もそうだ。
四六時中そんな具合なので、忘れたくても九朗の事を忘れられない。
ふとした時に思い出し、あれやこれやと考えてしまう。
この胸のモヤモヤはなんなんだ?
なんでこんなにもモヤモヤするんだ?
このモヤモヤはいつ消えるんだ?
まるで呪いでもかけられたみたいだ。
単純に、自分は酷い事を言われて物凄く傷ついたのかもしれない。
そうだとも!
あんな事を言われたら、引きずったって仕方ない。
悪いのはあいつで、自分じゃない。
そう思えたら簡単だった。
実際アゲハは思おうとした。
でも出来なかった。
気持ちが落ち着くにつれ、そしてこの胸のモヤモヤを自己分析するにつれ、どう考えてもこの中には罪悪感が混じっていた。
なんで!?
私は絶対悪くないのに!
……いや、嘘だ。
本当はアゲハも薄々気づいている。
自分はあの時九朗に手を挙げた事を後悔している。
だって彼は真剣だった。
そんな義理もなければ必要もないのに、本気でアゲハの事を思って説教してくれた。
それなのに、自分はキレて暴力を振るってしまった。
なぜ?
簡単な話だ。
それを認めてしまったら、自分はなんの取り柄もない癖に、承認欲求を満たしたくて股を開く安っぽい女だと認めることになってしまう。
そんなの嫌だ!
……と思っている時点で認めたも同然なのだが。
アゲハにだってプライドはある。
むしろ、プライドばかり人一倍だからこんな事になっている。
だから、簡単には認められない。
でも。
だけど。
時間が経つにつれ、事あるごとにそのことについて考えるにつれ、アゲハは認めざるを得なかった。
結局の所、自分のやっている事はそういうことなのだと。
というか、そんな事はアゲハ自身とっくに分かっていることだった。
ただ、認めたくなかっただけだ。
今だって完全に認めたとは言えないが、それも時間の問題だろう。
それなのにまだ胸のモヤモヤは治まらない。
だからまた、九朗の事を考えてしまう。
グルグルグルグル考えて、もう自分は怒っていない事に気づく。
そもそもの話、自分は怒るべきではなかったのだ。
九朗の言っている事が正しいのなら、あの時自分は彼を叩くべきではなかった。
最低だなんて言うべきでもなかった。
もっと別の言葉を伝えるべきだったのだ。
(……でも、じゃあ、なんて言えばよかったわけ!)
怒りが込み上げる。
九朗にではなく、自分に対して。
もう一度あの場面をやり直しても、多分自分は同じ事をする。
今はこうして認めた気になっているけれど、根本の部分では認められていない。
自分の愚かしさを、浅ましさを、過ちを、その行いを。
だってもう、やってしまったから。
周りより早くエッチしたら自慢できるという安易な理由で。
周りよりも多くエッチしたら自慢できるというくだらない理由で。
周りの子達が持て囃している人気の男子とエッチしたら自慢できるというしょうもない理由で。
自分はとんでもなく大切な物を手放してしまった。
そしてそれは、今更後悔したって絶対に戻ってこない物だ。
つまり自分は手遅れなのだ。
周りの子も、みんなそう思っている。
だから誰も何も言わない。
言った所で無駄だから。
虚しいだけで、哀れなだけで、面倒なだけだから。
それなのに、彼は言った。
なぜ?
エッチしたくて優しくしてくれる男は沢山いた。
というか、それ以外の理由でアゲハに関わる男なんか一人もいなかった。
アゲハの前に立つ男はみんな、エッチの事しか考えていない。
でも九朗は違った。
知らない相手とエッチなんかするなと言った。
何の得にもならない説教をして、アゲハの機嫌を損ねて自分からエッチする権利を放棄した。
そんなのは最初から眼中にないといった様子だった。
なぜ彼はそんな事をしたのだろう。
なぜ彼はそんなにもこちらの事を理解していたのだろう。
なぜ彼はあんなにも必死だったのだろう。
私のファンってどういう意味?
まさかそれって――
その事について考えると、トクン、トクンと胸が高鳴る。
口元がニヤけている事に気づいて、アゲハは慌てて頭を振った。
「いやいやいや、そんなわけないじゃんか!?」
あんなイケメンが自分の事を好きになるわけがない。
でも、ファンという事は少なからず好意を持っているのではないか?
知らない男とエッチするなというのも、俺以外の男として欲しくないという意味だったのかも……。
「って、都合よく考えすぎだから!?」
考えたくないのに、ブクブクと泡のように湧いてくる。
その度にアゲハは一喜一憂する。
もかしすると、この胸のモヤモヤの正体は恋なのかもしれない。
だとしたら、皮肉だけれだ。
だってアゲハは叩いてしまった。
こんな承認欲求を拗らせたしょうもないクソビッチの為に必死になってくれた超イケメンをビンタして、最低とまで言ってしまった。
絶対嫌われた。
あたしって本当バカ……。
あんな男と付き合えたなら、こんな自分だって変われたかもしれないのに。
もしも誰かのモノになれたなら、もう他の誰かと寝なくて済むのに。
……そうなのだ。
あの日以来、アゲハはエッチをしていない。
誘ってくる男子は大勢いるが、生理中だという事にして断っている。
本当は翌日、気晴らしに適当な男とエッチしようと思った。
でも出来なかった。
そいつに声をかけようと思ったら、悲しそうな九朗の顔が思い浮かんで気持ちが萎えてしまった。
こんな気持ちのままでは、エッチなんか出来っこない。
「……もしこのままビッチ辞めれたら、竿谷は喜んでくれるかな」
我知らず漏れた言葉にハッとする。
正直現実味のない話だった。
それくらいアゲハは誰彼構わずヤリまくっていた。
でもなんとなく、今なら出来そうな気もする。
というか、ビッチを辞めないと九朗に合わせる顔がない。
それでふと、アゲハは気づいた。
「……そっか。あたし、竿谷君に謝りたいんだ」
そんな事はとっくに分かっていたはずなのだが。
グルグルグルグル考えて、ようやくアゲハは自分の過ちを認められた。
腹に寝転ぶ鉛の人形は、いつの間にか風船のように軽くなって胸に浮かんでいる。
「ようアゲハ。探したぜ。ちょっと相手してくんねぇか」
粘ついた声に振り返る。
野球部とは名ばかりの上級生の不良共だ。
部室を私物化して、煙草に喧嘩とやりたい放題。
先生も手を焼く札付きである。
だからこそ、彼らと寝れば一目置かれた。
今となっては、バカな事をしていたという後悔しかない。
「……ごめんなさい。今、ちょっと生理中で」
「平気平気。俺らは構わねぇよ」
「いや、あたしは構うんですけど……」
「てかアゲハ。生理なら先週終わってんべ?」
ドレッドヘアーがスカートをめくる。
「や、やめてください!?」
「おいおい。ヤリマンビッチのアゲハちゃんがそんな事で今更照れんなよ!」
髭面の不良共がゲラゲラ笑う。
アゲハは酷く恥ずかしい気持ちになった。
悪い夢から覚めたみたいに、自分のしてきた行いが恥ずかしい。
(……私って、なんでこんな奴らと寝てたんだろう)
得意気になって自慢して、本当にバカみたいだ。
そんなのなんの自慢にもならない。
ただの恥さらしである。
ハッキリと認めると、アゲハは言った。
「悪いけどあたし、そーいうの辞めにしたんで」
足早に去ろうとするアゲハの手が乱暴に掴まれる。
「いや知らねぇし」
「今更それはねぇだろ」
「こっちはその気なんだよ。うだうだ言ってねぇでやらせろや」
剥き出しの性欲に怯えながらアゲハは思った。
悪い夢から覚めた?
とんでもない。
自分はまだ、悪夢の只中にいるのだ。
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