第9話 お願いします

「お願いします」


 そう答えるだけで、涼子は何も聞かずに熟れた果実を思う存分揉ませてくれる。


 赤ちゃんみたいにちゅぱちゅぱ吸ったり、慈悲深い谷間に九朗を抱いて気持ちが晴れるまでよしよしなでなでしてくれる。


 ゲームでも主人公が悩んでいる時、あるいは悩んでいる振りをした時、心配してこんな風に声をかけてくる。


 いや、いくら何でも義理の息子に 「おっぱい揉む?」はないだろうと思うのだけど。これはエロゲの世界だし、涼子のバックボーンを知っていれば致し方ない。


 一見すれば貞淑な涼子だが、その内面はアゲハに負けず劣らず拗らせている。


 その是非はともかくとして、涼子を心配させてしまっているのは確からしい。


 当然だ。


 こんなあからさまに落ち込んでいる姿を見せたら誰だって心配する。


 精神年齢は自分の方が上なのに、情けない奴だと余計に落ち込む。


 でも、佐藤英二はずっと孤独に生きてきた。


 誰にも顧みられず、透明人間のような扱いを受けてきた。


 そのせいで、何時しか他人から自分がどう見えるかなんてまるっきり気にしなくなっていた。


 でもこれからはそういうわけにはいかない。


 だって今は、こんな風に心配してくれる人がいる。


 自分が悪いのに、被害者ぶって涼子を心配させてはいけない。


 それはそれとして九朗は悩んだ。


 あるいは誘惑された。


 だって佐藤英二は生前一度も生のおっぱいを見た事がない。


 揉んだ事もなければ吸った事もなく、顔を埋めた事もなければ匂いを嗅いだこともない。


 そりゃ、エロ画像やエロ動画では幾らでも見た事があるけれど。


 だからだろう。


 折角涼子が作ってくれた料理の味も分からない程落ち込んでいたのに、「おっぱい揉む!?」と言われた途端正気に戻った。


 それとも狂気に落ちたのか。


 おっぱい、揉みたいと思ってしまった。


 ゲームの展開でもあったように、聖母みたいな涼子の胸に優しく抱かれ、赤ちゃんみたいに甘やかされたいと思ってしまった。


 それくらい、今の九朗は弱っていた。


 涼子は義母である。エロゲ的には実質お母さん枠で、どんな時でも主人公の味方をする全肯定の癒し系である。


 エロイべの内容もバブ味溢れる女性優位物が多かった。


 仕事で失敗して心のすり減った時なんかは、とりあえず涼子ルートを選んでおけば間違いはない。


 佐藤英二にとって、涼子は文字通り心のオアシスだったのだ。


(……でもだめだ)


 悪魔の誘惑を耳にしたが、九朗は聞かなかったことにした。


 佐藤英二はもう死んだ。


 今の自分は竿谷九朗で、彼女の義理の息子なのだ。


 性的関係を持ったら最後、二人は男と女の関係になり、母と息子にはなれなくなる。


「……結構です」


 未練がましい下心を隠そうとして、つい素っ気ない言い方になってしまった。


 それがいけなかったのだろう。


 涼子の顔が引き攣った。


 あぁ!? 私ったらなんて事を言ってしまったんだろう!?


 バカバカバカ!


 こんな事をして、色情魔だと思われて九朗さんに嫌われる!


 そんな心の声が聞こえそうな程慌てふためき落ち込んでいた。


「……デスヨネー」


 ぎこちなく取り繕った笑みを浮かべ、涼子はカクンと頭を下げる。


 恥ずかしくて情けなくて、九朗に見せる顔がないといった風だ。


 それで九朗も焦りを感じた。


 涼子はただ、九朗を元気づけたいだけなのだ。


 焦りながらも必死に考え、彼女なりに絞り出した言葉がアレだった。


 間違っていたとしても、そこにあるのは紛れもない優しさだった。


 こんな風に彼女が落ち込まなければいけない理由などない。


 落ち込む涼子を見て、今度は九朗が心配した。


 涼子もまた、佐藤英二をシコらせまくった愛すべきヒロインの一人である。


 だからと言えば現金だが、彼女には笑っていて欲しい。


(でも、どうすれば……)


 彼女の望み通りおっぱいを揉んでしまえば手っ取り早い。


 けれどそれをしてしまったら、二人はずるずる関係を深め、あっと言う間に男女の仲だ。


 それは九朗も望まない。


 あくまでも、彼女は義母で、自分は息子だ。


(……なんだ。簡単な事じゃないか)


 その事に気付き、九朗は言った。


「……涼子さん。実は俺、悩みがあって」

「っ!?」


 所在なく垂れ下がっていた涼子の頭が弾かれたみたいに前を向いた。


 後悔で涙の滲んだ大きな目に驚きと共に活力が満ちる。


 その言葉をずっと待っていのだというように、涼子は大声を出した。


「わ、私でよければ! 相談に乗ります!」


 その声量に自分でも驚きながら、涼子は九朗の顔色を伺うように照れた笑いを浮かべる。


「お願いします。涼子さん以外に、頼れる人がいないんです」

「九朗さん……ぅ、ぅぅ、うぇえええええん!」


 いきなり涼子が泣き出した。

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