第25話 エンカウント、ハイイロオオカミの亜種


 どういう理屈かはわからないが、このハイイロオオカミの亜種には魔法がまったく効かなかった。

 風の魔法も氷の魔法も水の魔法も駄目だった。どの魔法もオオカミの操る風の魔法かオオカミ自身に触れた所で掻き消えてしまう。

 その現象だけを見れば、あのオオカミは念動力を操る俺に似ている。

 それに効かなかったのは魔法だけじゃない。短剣も刺さらずに弾かれてしまったし、もちろん念動力も効かなかった。

 どうしよう。正義の味方っぽく颯爽と助けに入ったはいいのだが、いきなりの大ピンチだ。

 それでも焦りはない。

 決め手に欠くことは確かだが、それは相手も同じことだった。

 俺にだって相手の魔法は効かない。ただの大きなオオカミの普通の攻撃だったら充分捌ききることが可能だ。

 オオカミの攻撃をかわしながら、剣で攻撃をしてみるもやっぱりその刃は通らない。

 それは不思議な感覚だった。オオカミの体が金属のように硬くて、刃が弾かれるわけではない。特別に硬くは感じないのに斬ることができない。

 硬いゴムの塊を金属の棒で叩いているような感触だ。

 攻撃が効かない相手にどうやって決定打を与えてやろうか考える。

 目や口の中なら剣での攻撃も効くかもしれない。

 そんなことを考えているとオオカミも新しい手を打ってきた。

 今までは噛みつきと風の魔法による衝撃で攻撃を組み立てていたが、噛みつくさいに風の魔法を逆に吸い寄せる形で使ってきた。

 面白い手ではあるが、それでも俺には魔法が効かないのだから意味はない。

 それでも諦めずオオカミは攻撃を仕掛けてくる。

 オオカミが大きな口を開いて噛みつこうとしてくるので後退してかわす。びっしりと並んだ立派な牙にピンク色の歯茎が気持ち悪い。

 次に口を開けて吸い寄せてきたら、その口の中に短剣を投げ込んでみようなどと考えていると、俺の足下付近から氷の刃が生まれた。

 俺の魔法じゃない。オオカミの攻撃でもないので、俺が防戦一方だと考えたネコが加勢してくれたのだろう。

 もちろんネコの魔法もこのオオカミには効かない。

 ネコが更に追撃をかける。俺や氷の魔法を囮にして、オオカミの背後から飛び掛る。

 そこにオオカミが風の魔法を使う。オオカミ自身を中心とした全方位への暴風の衝撃。

 あっ……ヤバイ。

 自分の鼓動が聞こえた。目の奥が熱い。鼓動以外の音が消え、視界は色を失う。そして世界はスローになった。

 ……ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。その言葉が頭の中を埋め尽くす。

 俺には魔法が効かない。でも俺以外には効くのだ。この風の魔法に殺傷能力はない。それでもすごい勢いで、目を開けていることも難しく、衝撃も大きい。俺の背後にいれば念動力で守ってやることもできた。

 しかしネコはオオカミを挟んで向こう側にいる。俺の念動力より風の魔法の方が先にとどいてしまう。

 飛び掛ろうと空中にいたネコに風の魔法が直撃する。

 ネコは体をひねってうまく着地するが、そこにオオカミが噛みかかった。

 ネコよりずっと大きなオオカミがネコの側面からネコの腹に食らいつく。

「あああーー!」

 叫び声を上げ、思い切り剣でオオカミの首元を突き刺す。

 貫くことこそできなかったが痛みはあったのだろう、オオカミはネコを咥えたまま後退し、ネコを近くにある木に向かって吐き捨てた。

 木にぶつかって、その場に崩れ落ちるネコ。傷から血液が溢れ、銀色の美しい毛皮が赤く染まっていく。

 すぐにでもネコのもとに駆け寄りたいがそれもできない。

 このオオカミが邪魔でネコを助けに行けない。

 悲しみも、後悔も、絶望もない。そんな感情に意識を割く余裕がない。ただ溢れるのは怒りだけだった。

 まるで耳の横に心臓があるかのよう、はっきりと聞こえる鼓動と共に、体中の細部にまで怒りが巡っていく。

 溢れる怒りが、力が……体を支配する。

 魔法でも念動力でもなんでもいい。今、俺には力が必要だった。このオオカミを圧倒し、蹂躙するだけの絶大な力が必要だった。

 オオカミが俺に向かって噛みかかってくる。ネコの血液で赤く染まった牙の並んだ口が眼前に迫っていた。

 左手でオオカミの上顎、右手で下顎を受け止める。

 怒りに任せてその口を思いっきり広げてやる。

 鈍い音がした。引きちぎることこそできなかったが顎を外すことはできたようだ。

 そのまま口の中に右手をつっこむ。そして自分の腕を念動力で覆ってから、全力で火の魔法をオオカミの体内へと放つ。

 オオカミの腹が膨張し、くぐもった爆発音が響いた。

 口の中から赤黒い血液が溢れてくる。オオカミの皮膚が破裂することはなかったが、内臓はもうずたずたになっただろう。力なく倒れたオオカミの口から手を抜いてネコのほうを見る。

 意味がわからなかった。目にしたその光景が信じられなかった。

 すでにネコのもとにかけよっていたアリアさんの横で、ネコは普通に立っていた。全然元気そうだ。

 急いで駆け寄って傷を確認する。

 美しい銀の毛は血で汚れてはいるが、すでに傷はなかった。

「私が回復魔法を使う前に、もうネコさんの傷は塞がっていました」

 そうだ。よく考えてみればネコは普通のスノーリンクスではない。俺と一緒に母さんに育てられた家族なのだ。

 ネコが使える魔法は本来スノーリンクスが使う魔法だけではない。回復魔法だって使える。もしかしたら俺の知らない防御的な魔法だって使えるのかもしれない。

「よかったー」

 ネコを強く抱きしめる。ネコも頭をぐりぐりとこちらに擦りつけながら鳴き声を上げる。

「すいませんでした」

 ネコとじゃれ合っていると、なぜかアリアさんが謝ってきた。

「正義の味方になりたいなんて言っておきながら、私は何もできませんでした」

 拳を強く握り締めて、アリアさんは悔しそうにしている。

「誰だって、初めから完璧にはいかないですよ。それに助けることはできたんだし、大切なのはそこでしょう?」

「そうですね。みんな無事なようでよかったです」

 そう言ってアリアさんは笑顔を浮かべた。

 俺も助けられてよかったと心から思う。

 それでもそれが正義だったかというと、やっぱり俺にはわからなかった。

 もし悪と戦うのが正義であるのなら、このオオカミは悪ではなかった。このオオカミはただ珍しい亜種という存在だっただけだ。冒険者ギルドの話によればこのオオカミによる被害もとくにはなかったという。

 それを人間側が襲った。

 しかし人間から一方的に襲い掛かったからといって、人間側が悪であるかといえばそれも違うだろう。

 ただ加虐を楽しむために襲ったわけではない。研究だったり、食料のためだったりと人間がこの世界を生き抜いていくために戦った。

 それはなんらかの命を消費してしか生き抜くことのできないこの世界のシステムにおいて仕方のないことだ。

 もしそれが悪と責め立てられることになれば、この世界に生きる生物はすべからく悪ということになってしまう。

 やっぱり俺には正義はちょっと難しい。

 それでも……

「ありがとう。君のおかげで助かったよ」

 そう言って笑ってくれる人たちがいてくれるから、この戦いに価値はあった。



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