第16話 山猫亭
事件の後の旅は快適だった。事件前とはうってかわって誰もが友好的に接してくれた。
みんな心に傷を持つ人たちで、本来は優しい人たちだった。
アーリングさんたちもジャックさんたちと色々話し合っていた。例えば冒険者のうち何人かは今後ヴェリオル家で護衛として雇われることになったらしい。
事件から二日後の夕方に、俺たち隊商はグラスブルクに到着した。グラスブルグについて一番驚いたのが、市門の外にある畑の多くが葡萄だったことだ。グラスブルグは国一番のワインの名産地らしい。そして市門の外に広がる広大な葡萄畑のうち四割はヴェリオル家の畑だというのだから更に驚きだ。
街の中に入ったところでアーリングさんと、御者役の冒険者たちとは別れ、俺と残った冒険者たちは冒険者ギルドに到着を報告して護衛パーティーの解散となった。
ジャックさんたちはこれからもアーリングさんたちといろいろやることがあるのだろが、俺にはもう関係ない。
俺はギルドでグランベルからこの町に拠点を移すことを報告して、宿を探すことにした。
と言っても、一から探すわけじゃない。良さそうな宿はジャックさんたちからすでに聞いている。
その宿は少し値こそ張るが、馬屋があって従魔も大丈夫らしい。
従魔も大丈夫ということだけあって、冒険者ギルドの近くにその宿はあった。
宿の名前は山猫亭。なんだかネコと相性の良さそうな名前だ。
ズズたちも連れだって宿の敷地内に入ると、赤毛の少女に声を掛けられた。
「お客様ですか?」
十代前半くらいだろうか大人しそうな少女だ。
「はい。部屋は空いていますか?」
「はい。空いてます。じゃあ、馬鳥は私がお預かりして、馬屋まで連れて行きます」
「大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。馬や馬鳥のお世話は私のお仕事なのです」
そう言って、少女はえっへんと胸を張る。
「じゃあ、お願いします」
ズズとココの手綱を少女に託そうとしたとき、少女がネコの存在に気付く。
その瞬間、少女の瞳がハートマークになるのがわかった。
「その子は、お客様の従魔ですかっ!?」
「はい。ネコって言います」
「安直な名前です。ネコちゃんに触ってもいいですか?」
少女の両腕はすでにネコの方に向いていて、ぷるぷると震えている。
「いいですよ」
「やったーです。さわります」
従魔オッケーの宿で馬や馬鳥の世話を任せられている少女だけあって、ネコを怖がっている様子はまったくない。
両手で抱きしめるようにネコを撫で回して、悦楽の表情を浮かべている。
「さらさらです。すべすべです。すばらしい毛並みです」
ネコに頬ずりしながら少女は言う。
それから十分くらい少女はネコを堪能すると、不意に正気に戻った。
「私は仕事中でした! また後でネコちゃんを触ってもいいですか?」
「いいですよ」
「ありがとうございます。じゃあ、馬鳥を置いてきます。馬鳥に乗せてある荷物は、貴重品だけ持って行ってもらえれば、残りは後でお父さんがお客様の部屋に持っていきます」
「わかりました。馬鳥は黒いのがズズで、白いのがココです。よろしくお願いします」
ズズに乗っけてあった荷物だけ手に持って、馬鳥たちを少女に託す。
「はい。任せてくださいです」
慣れた手つきで手綱を引く少女を見送って、宿に入る。広いエントランスにある受付には、宿屋に似つかわしくないスキンヘッドで強面のおっさんが立っていた。背も高く筋骨隆々で威圧感がある。
「ようこそ、山猫亭へ」
笑顔を浮かべて歓迎してくれるが、逆にそれも怖い。
「一部屋借りたいんですけど……」
「二人部屋かい?」
どっちがいいだろう。どうせタナットは俺のベッドに入ってくるので、一人部屋で充分な気もするが、変に勘ぐられるのもあれなので二人部屋にしておこう。
「はい。二人部屋でお願いします。後、従魔と馬鳥が二羽います」
「となると、三食付で一日で銀貨六枚だな。それで何日泊まる予定なんだ?」
「しばらくこの町を拠点にするつもりではあるんですが、しっかりは決めていません」
「じゃあ、とりあえず一週間くらいいでいいか?」
「はい。それでお願いします」
「食事は三食付いてはいるが、前日か当日の朝のうちに必要ないことを伝えてくれれば、その分は差し引くから、いらないときは言ってくれ」
「わかりました」
三食付いているはうれしい。せっかくの新しい町なのだからいろいろな店を食べ歩いたりもしてみたいという気持ちもあるのだが、そうなるとタナットの存在が問題になる。
タナットは俺が食べさせないと食べないし、食事中は俺の膝の上にいたがる。
しっかり説明すればお店にも受け入れてもらえるだろうけど、正直面倒くさい。
だから宿で食事を用意してくれるのはありがたい。
用紙にサインして、お金を支払う。
「部屋の場所とかに希望はあるか?」
「特にはありません」
「じゃあ、一階の5号室だな」
部屋の鍵を受け取る。
「ところでその連れている従魔はスノーリンクスか?」
おっさんはカウンターから身を乗り出して聞いてくる。
「はい。名前はネコです」
「まさかあのスノーリンクスを従えている魔獣使いがいるとはな」
そう言った後、おっさんは感慨深そうに少しの間目をつむり、言葉を続けた。
「実は俺は、この宿屋を始める前は冒険者をやっていたんだ。あれはある依頼で雪山に入ったときだった。俺たちパーティーはホワイトウルフの群れに襲われた。かなりピンチだったんだが、そこに現れたのがスノーリンクスだった。流石の俺も、あのときはもう駄目かもしれないと思った。しかしだ、現れたスノーリンクスは俺たちではなくホワイトウルフに攻撃を仕掛けたんだ。俺たちはスノーリンクスと共闘して、ホワイトウルフの群れを全滅させた。おかげで俺のパーティーから死者はでなかった。スノーリンクスからしたら縄張りに入ってきたホワイトウルフを狩っただけかもしれないが、俺たちはスノーリンクスに助けられたんだ。だからこの宿屋は山猫亭って名前にしたのさ」
スノーリンクスはとても頭がいい。きっと彼の言ったとおりの状況だったのだろう。スノーリンクスの縄張りにホワイトウルフの群れが侵入していた。そして人間たちと戦闘を始めた。人間がずっと縄張りに居座るつもりのないことを理解していたスノーリンクスは人間と共に戦い、敵であるホワイトウルフを撃退した。
「それでもし良かったら、少し割引するからそのスノーリンクスに触らせてもらうこととかってできるか?」
おっさんはそう言うと、いそいそとカウンターから出てきた。
そんなおっさんに向かって、ネコは背中を丸めてウーっと唸り声を上げる。威嚇のポーズだ。どうやら触らせたくないらしい。ネコは子供や女性が触るのには寛容だが、俺と父さん以外の大人の男性には触られるのは嫌がる。
「嫌がって当たり前です。ネコちゃんは女の子なのです。お父さんみたいなむさいおっさんには触られたくないのです」
どこからともなく現れたさっきの少女が、おっさんに向かって辛辣な言葉を言い放つ。
「……そこをなんとか! 宿代は一日銀貨五枚にまけるから。それと宿にいるときのスノーリンクスの餌はこっちで用意しよう!」
手を合わせて頭を下げるおっさん。
めちゃくちゃいい話だ。ここはネコに折れてもらうしかない。
「ネコ、ご飯を用意してくれるって言うからさ、ちょっとくらいいいだろ?」
おっさんを威嚇しているネコの顔をわしゃわしゃと撫で回しながらお願いする。
ネコは納得してくれたみたいで、威嚇を止める。そしておっさんに近付くと、背を向けて座った。顔はじっとおっさんの方に向けている。
「背中なら触ってもいいみたいです」
「本当か? 引っ掻いたりしてこないか?」
「大丈夫です」
「よし! じゃあ、触るぞ」
おっさんは恐る恐るネコの背に触れる。
「おお……」
感極まっているおっさんを他所に、少女がネコの首に抱きつく。
「ネコちゃんは私には怒らないのです。もう友達です」
おっさんが背中を触っているときは嫌そうな顔で睨んでいたネコだが、少女に抱きつかれても少しも嫌そうではない。
「テレサ! ずるいぞ。父さんだって……」
「あなたたち! お客様の前で何を騒いでいるの!」
そう言って、箒を持った女性がやってきた。赤い髪の中年の女性。きっとこの山猫亭はこの家族で経営しているのだろう。
「ほら、マリッサ。このお客さんがスノーリンクスを連れてるんだよ」
「名前はネコちゃんです」
ネコに抱きついたまま、テレサと呼ばれた少女も付け加える。
「あら、大きくて綺麗な猫ちゃんですね」
言いながら、マリッサさんはネコの頭を撫でる。
「ああ……マリッサまで。俺には背中しか触らせてくれないのに……」
仲が良さそうで楽しそうな家族だ。これからしばらくお世話になるのだし、ちゃんと挨拶しておこう。
「これからしばらく、この宿でお世話になるアゼル・イグナスです。よろしくお願いします」
「あらあら、ご丁寧に。私はマリッサよ」
「私はテレサ! です!」
「俺はこの宿の主、パトリック・レドンドだ。それで背中のお嬢ちゃんは?」
「妹のタナットです。タナットはいろいろあって声は出せないんです」
「あら、それは大変ねぇ。何かあったら私やテレサに言ってくださいね」
「はい。そうさせてもらいます」
「私がお部屋に案内します。ネコちゃんも行くよ!」
ネコを連れ立って行くテレサちゃんの案内で部屋に向かう。
部屋に入ってみると、二人部屋ということもあってか、なかなか広い。部屋にトイレはないが、お風呂はついている。
タナットがいるので部屋にお風呂があるのはとてもありがたい。ちなみにうちの不思議少女タナットはトイレにはいかない。だからトイレは共同でも問題ないと思ったのだが……よく考えたら、俺がトイレに行くとき困るかもしれない……
まぁ、ないものは仕方ない。なんとかなるだろう。
とりあえずは部屋に荷物を運び入れて、整理をする。
どれくらい時間がたっただろう。この部屋に時計はないので正確な時間はわからない。ちなみにこの世界では時計は超高級品だ。
父さんの形見の短剣の整備を終えて、ネコをブラッシングをしていたとき、コンコンとドアが叩かれた。
「夕食を運んできましたよー」
マリッサさんの声だった。食事は部屋に運んでもらうか、食堂で食べるかを選べるのだ。
本来は運んでもらうサービスは有料らしいのだが、なんとこの料金もネコ割引で無料になっている。ネコさまさまだ。
ドアを開けると、パトリックさんもいた。マリッサさんが二人分の料理を運んでいるのに、パトリックさんが持っているのはネコの分だけだ。しかも厳つい顔に似合わない、少年のような笑顔を浮かべている。
俺はパトリックさんの思惑を瞬時に理解した。パトリックさんはネコを餌付けする気だ!
まぁ、たくさんサービスしてくれているし、好きにさせてあげよう。
運ばれてきた夕食はなかなか豪勢なものだった。様々な野菜と鶏肉がごろごろ入ったスープとパンとフルーツの盛り合わせ。
そしてネコのご飯は、最低限の味付けをして軽く火で炙った牛肉と鳥の内臓だ。パトリックさんに聞かれて教えていたネコの好物だ。
ネコもご機嫌で、料理を持つパトリックさんを見上げながら、しっぽでビタンビタンと床を叩いている。
料理ののった器がネコの前に置かれると、器を前足で器用に抱えて肉にかぶりつく。
「今だったら、頭を撫でても気にしないと思いますよ」
パトリックさんに教えてあげる。
「えっ? 食事中は怒らないか?」
「ネコは人間が自分の食べ物を奪ったりしないことをわかっているので大丈夫です」
「そう言うのなら、ちょっとだけ……」
そう言って、恐る恐るパトリックさんはネコの頭に触れる。しかしネコは嫌そうなそぶりはみせない。ネコも気付いていないわけではないが、好物を食べることに夢中でそれどころではないのだろう。
「よかったわね」
ネコの頭を撫でて幸せそうにしているパトリックさんを見て幸せそうに笑顔を浮かべるマリッサさん。
そして遠くからはそんな二人を叫んで呼ぶテレサちゃんの声。何やら忙しそうだ。
テレサちゃんの声に応えるように、二人は慌しく部屋から出て行った。
「さて、俺たちも食べようか」
タナットを膝の上にのっけて、俺たちも食事をはじめた。
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