錯乱

 まあ、ミュリエルの意識が戻ったとあっては、いちおう夫として様子を見に行かねばなるまい。


「そうか。部屋まで行っても大丈夫だろうか」


 そうオーウェンに尋ねてみると、半分予想通りの言葉が返ってきた。オーウェンの腰が曲がる。


「今お会いするのは控えたほうがいいというお言葉を、ブレニム殿よりお預かりしております。苦しいのか、ときおり慟哭にも似た錯乱を見せるようでして」


「……はあ?」


「ときおり、叫ぶように嘆くように、大声を張り上げることもあるそうです。意思疎通もおぼつかない様子とのことですから、もう少し時間をおいてからのほうがよろしいかと」


「……」


 なんのこっちゃ。のーみそに深刻な障害が残ったとかじゃないよな。もしそうなら意思の疎通すら危うい状態になるんだが。まあ、たとえそうじゃなくても意識不明というか死ぬ一歩手前まで行ったんだもんなあ、目を醒ましたからってお話しましょそーしましょ、とはならんか。


 しかし体力が戻ってないとしたら、叫んだり嘆いたりするのも余計に体に負担がかかってまた悪化したりしないのかね。念のため、ブレニムに鎮静剤でも投与してもらっとこう。話をするにしても、まずは落ち着かせてから。


「……はあ。結局、なにも……」


 父は父で、そう言いかけてやめたのち、頭が痛いとばかりに額を右手で押さえた。

 いやまあ確かに父の立場からすれば、このままミュリエルが身罷られてしまったほうがやりやすいとこもあったとは思うけど。

 さすがに王家を敵に回すのは避けたいからミュリエルを冷遇するわけにもいかんし、かといってミュリエルが産んだ子を里子に出すわけにもいかん。


 おまけにミュリエルが新しい子を宿すことも難しいうえに、もしも産まれた子が俺の子供じゃなかった場合、側室を迎えて俺の実子を産んでもらうにしても『王家の血を取り入れる目的を果たせる』側室じゃないと意味がないわけで。

 他の王女はすでに全員もう婚約者がいるし、百歩譲って金髪を持つ公爵令嬢でもいいんだけど、残念ながらエーゲンドルク家に嫁げるような側室候補はいないだろう。


 わりと八方ふさがりに近い。

 もちろん一発逆転の可能性はある。三億分の一くらいには。


 …………


 そう考えると、確かに受精する上での精子の生存競争ってすげえな。俺たちは全員三億分の一の確率を勝ち抜いて産まれてきたわけだ。当たりか外れかはともかく、そう思うと生命ってのはとてつもなく価値のあるものだという実感が湧き上がってくるわ。


「……まあ、ミュリエルのことはもうしばらくブレニムに任せるとして、俺は産まれたのほうを見に行くことにしよう。では父上、失礼します」


 今の父の機嫌が目に見えて悪いので、これ以上余計なことを言われないように部屋から出たい。そんな気持ちもあってそう言い訳し、俺はオーウェンと一緒に父の前から去った。

 ま、見に行ったところで何か目に見えて変化してるわけじゃないし、おっぱいあげられるわけでもないし、見に行くことに意味はないにしても。


 だが、今はまだ、『』とまでは言えねえわ。なんかの間違いで俺の種が根付いて産まれた子だったら、本当に大事にする自信はあるのに。

 幼児虐待と化しそうで自分が怖い。自重しよう。


 …………


 それにしても、ミュリエルは目が醒めてすぐにそんな様子とは、よほど怖い夢でも見ていたみたいだな。


 いや、それともひょっとして────





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