出産の危険
ミュリエルの
エデンブルグにも、雪が降った。
四季というものがあるからこそ、時が過ぎるのを実感できている気がする。
「……身体は、冷えてないか」
そうしてミュリエルが休んでいる部屋を訪ねる、いつもの日課。
滞在するのは時間にしてほんのわずかなのだが、たとえポーズでも『心配しているんだぞ』と当主である父にアピールせねばならない。
ミュリエルのほうには、特にうざったいと思っている様子はない。むしろいつも満面の笑みで俺を迎え入れてくれるので、少しばかり複雑だ。
「ふふ、今日もありがとうございます。御覧の通り大丈夫ですよ」
「……ならいいが」
「あなたは、意外と心配性なのですね。毎日毎日、同じ心配ばかりしている気がします」
「……当たり前だろう、自分のことでもあるんだから。さて、これからブレニムが検診にやってくる。トレヴももうすぐ来るから、準備しておいてくれ」
「はい」
どうにも、ミュリエルと話をするときに、一呼吸おいてから言葉を吐きだす癖がついてしまった。考えなしに言葉を口にすることがこの日常を大きく変えてしまうきっかけになるんじゃないかと、俺は恐れているのだろう。
オーウェンとトレヴ、ミュリエルの様子を知る二人の見解は、どちらも『記憶を失っているというのは嘘ではない』で一致している。
オーウェンいわく。
『ミュリエル様は、自分の本心を隠し通せるほど器用には見受けられません』
だそうだ。
まあオーウェンは、ミュリエルが結婚する前、俺に対して嫌悪とも憎しみともとれるようなむき出しの感情がこもった視線を投げつけていたところを何度も目の当たりにしているのだから、そう思うのも当然である。
そしておそらくミュリエルと一緒にいる時間が一番長いトレヴは。
『もしサイエロに支配されていたときの記憶がミュリエル様に残っているのであれば、さまざまなところで違和感が出てしまいます。だから今の様子を見る限り、ミュリエル様に支配された記憶は残ってないはずです』
と、はっきり言ってきた。
自分が同じ目に遭ったからこそそう言えるのだろう。トレヴはちょっと不器用なところもあるが、基本的にまじめで自分に課せられた任務に忠実だ。信用していいと思う。
ただ、一つだけ引っかかることがあるとすれば。
『ミュリエル様が憶えてないとしても、記憶が脳内に眠っているだけで、消失したわけではないとも思えます。事故に遭った時のような強い衝撃を再度受けたり、自分の生命が危機的状況に陥りそうになった場合、思い出してしまうこともあるかもしれません』
報告の最後に、トレヴが付け加えてきた推測。
つまりあれだな、機械が動かなくなって故障したと思ったが、角をたたくとなぜか復活した、みたいな。
元研究員の言葉だ、無視はできまい。
問題は、記憶が戻るトリガーが、果たして何なのかはっきりしないことだ。つまらない一言で記憶が戻ってしまうこともありうる。
だからこそ、ミュリエルとの会話は、えらく神経を使ってしまうのだ。
記憶が戻ることが、こんなにも怖い。
何が怖いのか、はっきりわかりたくはないけど。
―・―・―・―・―・―・―
「アズウェル様、少しよろしいでしょうか」
ミュリエルの検診後に、ブレニムが俺を訪ねてきた。
「構わない。どうかしたのか?」
「はい、少し……いいえ、かなり気になることが」
「ミュリエルのことで、か?」
「はい、そしておなかの中にいる新しい生命のことでもあります」
改まってそう告げるブレニムの顔は険しい。
「……よくない話、か」
「はい。ミュリエル様の胎盤の位置が、あまりよろしくないのです」
「……それは」
「出産時に、大量出血などの危険があります。双方の命のリスクが高いです」
「……」
「もちろん、できる限りのことはするつもりです。が、万が一のこともある、そうお覚悟はしていただいたほうがよろしいかと」
「……わかった。ブレニムに救えない命なら、誰にも救えないだろう」
「それは過ぎたお言葉でございます。ですが、それを裏切らないように尽力させていただきます」
会話を重ね、だいぶ打ち解けたはずのブレニムがあえてこういう態度をとってくるあたり、相当に危険度が高いのだろう。
そのままブレニムは恭しい態度を崩さずに、公爵邸を出て行った。ぽつんと残された俺はふと考える。
覚悟……覚悟か。
どんな覚悟を決めればいいのだろうな。ミュリエルの命のことか、生まれてくる子供の命のことか、はたまたその両方か、それとも公爵家の未来か。
それとも──俺の、心のことか。
まあ、危険な出産になりそうだという事実は、隠さずに当主である父に伝えねばなるまいよ。
―・―・―・―・―・―・―
そうして春が来る少し手前、雪がまだ解け切らない頃に、ミュリエルは産気づいた。
できうる限りの準備はした。ブレニムはじめ医師団が手を尽くしてくれた。
無事、金色の髪の男児が産まれた。
だが、ミュリエルは──産まれてきたわが子を見ないまま、危篤状態になってしまった。
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