36 シークレット・ノート
ふたりきりだった。
ヒメと別れた後、叶歩はどこか温かいような辛いような表情を浮かべて陽菜乃の手を引き、夕日の差す街を歩いていた。熱くなったタイルに、ふたりの長い影が映る。
「……ぜんぶ話してくれるってのは、本当なのか?」
「うん。約束するよ。えっと、だから教えてほしいんだけど……陽菜乃ちゃんはどうしてレンタル友達やるなんて言ったの?」
「あっあれは……なんというか……叶歩にもっと構ってほしかったから……友達っていう立場を捨てたかったんだ」
それを聞いた瞬間、叶歩の顔がほんのりと赤くなる。
叶歩が陽菜乃に好かれたくないという立場をとっていたがゆえ、陽菜乃は『レンタル友達』という仮面をかぶったのだ。北風のように強引に叶歩のヴェールを脱がすよりかは、太陽の光のように柔軟な戦略をとらざるを得なかった。実際、叶歩はそのおかげでもっと陽菜乃を求めるようになってしまった。
それに……たしかにそういう意図があるのはわかるのだが、今ハッキリと『構ってほしかった』と言われて、叶歩の庇護欲はオーバーフローした。性別が変わって以降、陽菜乃が小動物性をチラつかせるのが叶歩にとってはたまらないのだ。
「その……陽菜乃ちゃんもけっこう言うようになったね……」
「事実だから仕方ないだろ」
陽菜乃は何もないほうを向いて顔を空と同じ色に染めた。
ふたりは木陰のベンチに座りこんだ。生暖かい汗でコーティングされた手首は、少しだけしめっぽかった。
「……それで、秘密、話してくれるんだよな?」
陽菜乃がすこしだけ震えながら問いかけると、叶歩はゆっくりうなずいた。
「うん。でもね、全部聞いたら陽菜乃ちゃんはボクのことを嫌いになっちゃうかもしれない。……それでもいいの?」
陽菜乃は少しだけ気難しい顔をしたが、すぐにまっすぐ叶歩を見つめた。
「……そう言われてじゃあ聞かないって言える関係じゃないんだ、もう」
「そうだね」
叶歩はにっこりと笑った。
***
はじめてあの夢を見たのがいつだったか正確には覚えてないけれど、六年生の秋ごろだった気がする。そう、ボクがまだ『ハル』だったころ。
「ここ……どこ……?」
ボクはぼんやりとした意識のまま、教室にいた。全体が赤い光に照らされて、半分だけ開いた窓からは『ゆうやけこやけ』のメロディが聞こえる。
物静かな空間の中で一人ぽつんと少女が座っていた。どこか感傷的な雰囲気を漂わせている少女だった。
「ハル、こっちだよ」
ボクはその少女に会ったことがないのに、なぜかその子のことを昔からよく知っている気がした。その子の表情、青い瞳、乳白色の肌、そして指先までもが『彼』の面影を纏っているみたいだった。『彼』とは似ても似つかない、か弱い女の子なのに、どうしても『彼』を見出さざるを得ない。
そしてその少女がボクを見てくすすと笑いかけた瞬間、その疑念は確信に変わった。
「……ゆーま、なの?」
「……ふふ」
少女は立ち上がってくるんとターンをし、ボクの手をとって笑いかける。
「わたし、ハルのためにおんなのこになったんだよ」
少女がそう言った瞬間、世界は真っ白になった。
最初の夢はそれで終わりだった。こんな夢を見てしまったことにすこしだけ罪悪感を覚えたが、所詮夢だしなぁ、とあくびを三数えるころにはもう別の事を考えていた。
しかし、その数日後。
ボクは布団に包まれながらその夢の続きを見た。ボクはそれをただの夢として受け止めることができなかった。それほどにリアルで濃密な夢だったのだ。
ボクの中の何かが変わってしまう音がした。
「わたし、ハルのために女の子になったんだよ? みてよ、こんなにかわいいの」
「ゆ、ゆーま……」
少女はボクにむかってイタズラっぽい目線を送ると、手を掴んできた。柔らかくて暖かいすべすべの右手が、ボクの左手に重なる。
「……わたし、ハルのためならなんでもしちゃうの」
少女はそう言って甘えてくる。ボクの懐にいい匂いのする頭を潜らせて、上目遣いになる。
いかにも夢の中って感じの、都合のいい展開だった。でもそんな妄想じみたシチュエーションがボクの胸を確かに締め付けていたのは、事実だった。
そんな夢が、三日に一回くらいの割合でボクの脳に流れ込んでくるようになった。
寝る前はいいんだ。あの幸せが見れるんだっていうワクワクがあるから。
問題なのは目が覚めた時だ。猛々しい時計のアラームの音に邪魔をされて、ああボクはなんて夢を見てしまったんだっていう、自分の深層にあるいけない欲望を知ってしまった罪悪感に苦しめられる。
それと同時に、現実と夢とのギャップに締め付けられる。ボクの周りにはあんなふうに優しくしてくれる女の子はいない。
そんな閉塞感を誰にも言えないまま、バタバタと学校の支度をする。
素晴らしい夢っていうのは、醒めた瞬間に悪夢に変わってしまうのだ。
しかもあんな夢を見てしまったせいで、ボクは本当にあの少女……女の子バージョンの悠馬に惚れてしまったのだ。だからそれ以降、悠馬のことをそういう目で見るようになってしまった。
あの夢を見るたびに、ボクの恋心は大きくなってしまう。いつしか、ボクは現実の、男の悠馬に対してもドキドキするようになってしまった。そもそもボクにとって悠馬は誰よりも大切な人間だった。ボクを闇から救ってくれた存在であり、優しくて一緒に居ると心地いい、最高の親友だ。
もし、そんな悠馬が本当に女の子としてボクの前に現れたら──きっと世界中のどんな美女ですら及ばないほどに、ボクを虜にしてしまうだろう。
夢に登場した知り合いに恋心を患わせてしまうのは、きっとよくあることなのかもしれない。夢の中で人間の魅力は誇大化されて、それがダイレクトに脳に伝わる。でもボクの場合は、それが女体化した親友だった。
絶対に叶わない恋だった。
そう、
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