35 ぶりっ子モード②


「かほちゃんっ♡次はどこいくの~?」

「この先にかわいい雑貨屋さんがあるの。見てるだけでもきっと楽しいよ」

「やった~♡ひな、かわいいのだいすき~」


 レンタル友達としての陽菜乃のぶりっ子演技を浴びながら、叶歩たちは駅前を歩いていた。すこしだけ粘っこい真夏の路地で人々とすれ違うたびに、彼らはジロジロと珍しいものを見るような視線を陽菜乃に送る。

 そんな恥ずかしさを耐え忍びながら、慣れてない演技を律儀に続けている陽菜乃を見て、叶歩は「かわいいなぁ」と心の中でつぶやく。


 この時になると叶歩はなるほどな、と陽菜乃が『レンタル友達』の提案をした理由を察していた。要するにこの状況は、叶歩が陽菜乃に甘えるための免罪符になっているのだ。

 叶歩は『陽菜乃に好かれてはいけない』というスタンスを取っていたので、どうしても陽菜乃に距離を置かざるをえなかった。でもこうして、陽菜乃が金銭欲しさの”偽物の友達”という立場でいる以上、叶歩の信念は揺らぎかけていた。


「あのさ……手、つないでいい?」

 叶歩は気付けば、そう口走ってしまっていた。あのキャンプの日以降、自ら陽菜乃に触ろうとするのは控えていたのに。そうやっていままでため込んでいた欲求不満が叶歩の背中を押すように、自然と手が伸びていたのだ。

 そんな叶歩の行動を観測した瞬間、陽菜乃の目は潤みだした。そして一瞬だけ陽菜乃は演技をやめて、消え入るような声で「……いいの?」と言った。

「……う、うん。手くらいなら……いいの。」


 叶歩はそう言って、半ば無理やり気味にてのひらとてのひらを重ねた。陽菜乃はもう片方の手で目元をこするとまたさっきのようにぶりっ子の演技に戻り、抑揚を作って「叶歩ちゃん、ありがとっ」と言った。


 その様子を叶歩の隣で見ていたヒメが「ふたりとも仲良しなのですねぇ」と言って、微笑ましそうな顔をする。

「う、うん。ボクたち仲良しだよ」

「仲良しこよしなの♡」


 ふたりの限りなく近い心の距離感を察したヒメは少し俯き、ふたりが聞き取れないくらいの声量で「……残酷なことしますね」と呟いた。


 *

 空が茜色に染まるまで遊んだころ、一行はカフェにやってきていた。この時の陽菜乃はもう完全にぶりっこでいることに慣れてしまい、もはや恥じらいもあまり感じなくなっていた。両手でハートをつくりながら叶歩の注文したココアに向かって「おいしくなーれ♡もえもえきゅぅううーん」なんてセリフを吐いてみせる。


「ひなのちゃん、どんどんかわいくなってるよね」

「えへへへへへへっかわいいでしょー」

 ちなみに、この時たまたまカフェの角の席に陽菜乃の母親がいて、見て見ぬフリをされていることに陽菜乃は気付いてないが、それはまた別のお話。


「……こうしてさ、しょうもない会話するのも久しぶりだね」

「えへへー……」

 叶歩は陽菜乃の頭をさらさらと撫でた。でもなんだか、陽菜乃がいつものようにちゃんと返答してくれなくて、自分の言うことが受け流されていないか不安になってくる。

 叶歩としてはやはり、演技ではなく自然体で接してくれる陽菜乃が恋しいのだ。そんなことを想っていると、叶歩の胸は真綿できゅっと絞められるような感覚を覚える。


「か、かほちゃん?なんか悲しそうな顔してるよ?」

「ううん。なんでもないの」

「で、でも……大丈夫?ひな心配なんだよ」

「そっかぁ。それじゃ、ボクの頭撫でてくれる?」

「あ、あたまを」


 陽菜乃は一瞬固まってもじもじと辺りを見回すが、叶歩がこくんと頷くとすぐに目の前の栗色に向かって手を伸ばした。

 しかし、その指先が叶歩の頭の先に触れ合おうとした瞬間──『ピッピッピ』という鮮烈なアラームが、その場に鳴り響いた。


陽菜乃の動きが固まった。


「……あ。」


 そのアラームは、陽菜乃の友情のレンタル時間の終了を知らせるためのものだった。陽菜乃はスマホをつついてそれを停止し、声のトーンを二段階下げて叶歩へと苦笑いした。


「……叶歩ごめん。今日はここまでだね」


 どこか寂しそうにそう言うと、陽菜乃は立ち上がってポーチを拾い、踵を返す。その瞬間、叶歩の「待って!」という声がカフェ内に残響した。

 陽菜乃はびくんとして、もう一度振り返る。


「……その。まだ払ってないよ?陽菜乃ちゃんをレンタルしてたぶんのお金」

「あっ……うぅ、そっか」


 叶歩はそう呼び止めると、「今日はかわいかったよ。だから多めにあげちゃうね」と言って陽菜乃の手のひらに一万円札を握らせる。その瞬間、陽菜乃はピーマンを食べた時のように顔を曇らせた。


「あ、え?叶歩、こんなに貰えないって……」

「お金、困ってるんでしょ?」

「あ、いや……でも……」


 陽菜乃の顔はどんどん曇っていく。まるで裁判にかけられた罪人のようだった。

「……ぷぷ。お金に困ってないのかな?ぜんぶ嘘だったのかな?」

「そそそ、そんなことないよ……わかった、受け取る……」


 叶歩は、慣れない駆け引きに手を染めて不器用になっている陽菜乃を引っ搔き回して遊んでいた。





(やっぱりボク、こっちの陽菜乃ちゃんがすきだなぁ……)


 ──でもさ。今の陽菜乃ちゃんはレンタル友達だから、”仕事”が終わったいま、もうおわかれなんだね。ほんとはずっとこうして、他愛のないことばっか話してたいのに。


 一度離れる決意をした後にこうやってくっついちゃったんだから、ボクの決意は揺らぐに決まっている。

 陽菜乃ちゃんのやり方は正直不器用だしあんまり上手だとは思わないけれど、でも結局、ボクは陽菜乃ちゃんの術中にはまっちゃってるなあ。


 ……陽菜乃ちゃんが本気でボクからお金を巻き上げようとしてないことなんて、最初から周知の事実だ。じゃあなんでこんなルール作ったのかっていうと、きっと僕を素直にさせるため。

 陽菜乃ちゃんの提示したルールによれば、ボクが秘密を全部打ち明ければ、陽菜乃ちゃんは普通の友達に戻ってくれるんだとか。


 ……今まであれ隠すの、大変だったし、苦しかったんだけどなぁ。でも……陽菜乃ちゃんならきっと僕のやったことを許してくれるのかなって思う。どれだけ憎まれても構わないっていう前提でボクはあの選択をしたけど、陽菜乃ちゃんがボクを本気で憎むことができないってこと、薄々勘づいてた。だからもう……楽になっちゃっていいのかな。


 ボクはその時、大事にしていた信念をひとつ捨てる、妥協の選択をした。なんだか一歩だけ大人になった気がする。



 そして次の瞬間、ボクは目をうるうるとさせて陽菜乃に抱き着いていた。

「いままで無理させてごめんね。……ボク、ぜんぶ話すよ」

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